松本邦吉『かりぬひ抄』(ふらぬーる社)、自跋に、 本書は、俳句を学びはじめた二〇〇一年から二〇一六年までの句の中から、菲才ながら独力で四二〇句を選んだ。句の構成は心緒にかなうほぼ制作の年代順とし一部の句に前書を付した。 とあり、扉裏には、オクタビオ・パス『弓と竪琴』の「われわれが詩にポエジーの存在を問うとき、しばしば、ポエジーと詩が勝手に混同されているのではなかろうか?」が献辞され、最初のぺージには自序として、 春の野はまだかりぬひのひかりかな の句が掲げ配されている。加えて装幀も自装であることをおもえば、本集のすべてに松本邦吉の目と手が行き届いていることに気付かされないわけにはいかない。自跋の「独力で四二〇句を選んだ」とあったことに、愚生は、ふと、高屋窓秋が「俳句は一人でするものものです」と言った言葉を思い出す。最後は俳句を作ることもまた孤独な作業であるという覚悟を述べたものだと、理解し