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2018年1月22日のブックマーク (6件)

  • 松本邦吉「逆光の昭和背高泡立草」(『かりぬひ抄』)・・

    邦吉『かりぬひ抄』(ふらぬーる社)、自跋に、 書は、俳句を学びはじめた二〇〇一年から二〇一六年までの句の中から、菲才ながら独力で四二〇句を選んだ。句の構成は心緒にかなうほぼ制作の年代順とし一部の句に前書を付した。 とあり、扉裏には、オクタビオ・パス『弓と竪琴』の「われわれが詩にポエジーの存在を問うとき、しばしば、ポエジーと詩が勝手に混同されているのではなかろうか?」が献辞され、最初のぺージには自序として、 春の野はまだかりぬひのひかりかな の句が掲げ配されている。加えて装幀も自装であることをおもえば、集のすべてに松邦吉の目と手が行き届いていることに気付かされないわけにはいかない。自跋の「独力で四二〇句を選んだ」とあったことに、愚生は、ふと、高屋窓秋が「俳句は一人でするものものです」と言った言葉を思い出す。最後は俳句を作ることもまた孤独な作業であるという覚悟を述べたものだと、理解し

    松本邦吉「逆光の昭和背高泡立草」(『かりぬひ抄』)・・
  • 松本邦吉「涼しさの星より星の生まれけん」(『しずかな人 春の海』)・・・

    邦吉『しずかな人 春の海』(思潮社)。 もともとが詩人の松邦吉だから、詩編の載っているのは違和感がない。ただ著には句篇ともいうべき「春の海」も収められている。それも四季の配列をもって(しかも旧かな使い)。 帯には「二つの詩型の宇宙を自在に行き交い、新しい〈詩〉のありかを手探りする」とあったので、当面はその手探りを見続けていくしかない。 愚生は、俳句以外をよく知らないせいか、その俳句作品の語り得ない何かの部分を詩篇に見てしまうのだった。 それとあと一つ蛇足かもしれないが、二つの詩型は、韻文という同一ジャンルなのだと思ってみると、そこに差異を認めずに読むことができるのである。 なかでも最終篇の「手紙」には感銘した。最初の四行は魅力的かつ短律の俳句のようでもあった。 手紙 春 の                  光  の 真空  の 海 きこえていない 音楽に(以下略) 句はいくつかを

    松本邦吉「涼しさの星より星の生まれけん」(『しずかな人 春の海』)・・・
  • 松尾貴史のちょっと違和感:日本人の「マスク信仰」 「異常な光景」と思わない異常 | 毎日新聞

    人のマスク信仰はいつまで続くのだろうか。その昔は風邪がはやる季節に見かけることが多かったけれども、この30年ほどは花粉症の季節に拡大し、いまでは真夏以外でマスクを着用している人を見かけない日はほとんどなくなった。 私は、しゃべる仕事なので喉を酷使することもあり、湿り気を保つために不定期に着けることがある。顔、鼻や耳に違和感があるのを人一倍嫌う性分なので、柔らかい素材の伸縮性のあるスポンジ状のものを使っている。これならば、耳介(じかい)の裏が痛くなることもないし、通気性がいいので息苦しいことがない。おまけに、洗って何度も使えるので経済的でもある。 しかし、風邪やインフルエンザなどの予防のためでは一切ない。スカスカのマスクで防げるとは思っていないし、マスクを着けるために顔の周辺に手を持って行くことの方がリスクを高めるのではないかとすら思っている。

    松尾貴史のちょっと違和感:日本人の「マスク信仰」 「異常な光景」と思わない異常 | 毎日新聞
  • 学校と私:戦争の影背負った「先生」=ノンフィクション作家・保阪正康さん - 毎日新聞

    保阪正康(ほさか・まさやす)さん 終戦の翌年、北海道八雲町で国民学校(翌年から小学校)の新入生になりました。奉安殿(天皇の写真などを納めた建物)を、校長先生が一人ハンマーで壊していたのが、入学した春でした。軍国教育を受けていないので、上級生に「歴代天皇の名前も言えないのか」とからかわれました。戦争の名残に満ちていたこの時期が私の原点です。 4~6年時の担任だった当時30代の先生が、読書や文学の喜びを教えてくれました。「小説は生きる知恵を与えてくれる」と武者小路実篤や伊藤左千夫の作品を勧めたり、音読は「芝居のせりふのように読んでみろ」と指導したり。先生は、たまに授業を自習にして、児童の前で窓の外を眺めていた。涙がほおをつたっていました。軍隊時代に戦場で失った友人を思い出していたと、後に知りました。

    学校と私:戦争の影背負った「先生」=ノンフィクション作家・保阪正康さん - 毎日新聞
  • 評論家の西部邁さん多摩川で溺死、自殺か | 読売新聞 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

    21日午前6時40分頃、東京都大田区田園調布の多摩川河川敷で、男性から「川に飛び込んだ人がいる」と110番があった。 警視庁田園調布署員が救助したが、搬送先の病院で死亡が確認された。溺死とみられる。 同署幹部によると、亡くなったのは評論家、西部邁(すすむ)さん(78)(世田谷区)。家族が同日午前3時半頃、西部さんが自宅にいないことに気づき、行方を捜していた。河川敷で遺書が見つかったことから同署は自殺とみている。 西部さんは北海道生まれ。東大在学中の60年安保闘争で新左翼運動を先導した後、同大大学院で経済学を専攻。1986年に東大教授に就任するが、88年に教授会のあり方を不満として辞職、以後は評論活動に力を注いだ。 その主張は、スペインの哲学者オルテガらに触発された大衆社会批判などを柱とする保守思想。経済学や思想史の学識を踏まえた議論は、左翼からの「転身」という自身のドラマ性とも相まって注目

    評論家の西部邁さん多摩川で溺死、自殺か | 読売新聞 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
  • 自殺か:評論家の西部邁さん死亡 東京・多摩川で見つかる | 毎日新聞

    21日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布5の多摩川河川敷にいた男性から「河原から川に人が飛び込んだようだ」と110番があった。駆け付けた警視庁田園調布署員が、近くの岸から数メートルの川の中を流されている男性を発見。男性は病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。 同署によると、亡くなったのは世田谷区の…

    自殺か:評論家の西部邁さん死亡 東京・多摩川で見つかる | 毎日新聞