この話、講師は「生徒の多くは戸惑いながらも喜んで授業を吸収してくれ、小テストでも多くの生徒の理解を確認することができました」と書いていますが、本当にそうだったのか、もし本当にそうならなぜ保護者から苦情がきたのか、それも塾長が長々とお説教するくらいたくさんきたのか、ということを考える必要があると思いますね。 塾長にお説教されると言う事は(少なくない数の)生徒が不満を親に伝えたからだと考えるのが普通だし、生徒が不満に思ったのを講師が認識していないというのは本質的な問題だと思います。
まず、初期の Constructing Quarkは科学知識社会学の代表的な研究の一つです。ピッカリング自身が物理学の教育を受けた人だけあって、この本の素粒子物理学の歴史叙述は定評があります。 その後、1990年代には科学哲学、科学史、科学社会学にまたがる「実践的転回」と呼ばれる運動の旗ふりをつとめました(実践的転回というのは、簡単にいえば、科学を対象とした研究において、科学理論が主役ではなく、科学者の日々の営み(実践)こそが主役となるべきだという考え方です)。主著のMangle of Practiceはこのころに書かれたものですが、実験の現場における科学者の行為と、それに対する実験器具の抵抗(要するに思い通りの結果を出してくれないこと)と、その他の周辺のファクターが、相互にぶつかりあい、事前には予想不可能な形をおりなしていく、という科学の実践観を事例研究に基づいて提示します(タイトルに言
かれこれ15年くらいネットワーク環境から遠ざかっていたので、Twitterなんて正しく夢の世界でがすよ(悪夢?)。「ネットは広大だわ」by草薙素子(攻殻機動隊1巻最後のセリフ)要注意:無断転載は一切お断りします。必ず許可を取って下さい。 えっとですね、この方の論旨には あまり正面から受け止めないのが一番です。順番に言うと①アニメ業界にブラックの要素が無いと主張するアニメ業界人は殆どいないです。しかしながら「企業ではなくアニメ業界自体がブラック業界だ」というならば、それはもはや陰謀論者と大差無いです。何故ならば、健全な制作会社も存在するからです。仮に「健全な制作会社がいったい何社あるというのか、僅かな例外を挙げた所でアニメ業界がブラックな事実に何ら影響しないではないか」とでも抗弁した場合「企業ではなくアニメ業界自体がブラック業界だ」という発言は「嘘になります」。②副業を持ちながらアニメーター
これは、そんな事でいいの?と思われるかもしれないんだけど、先生にメッセージを書くにあたり、病気の事は書かないでいいです。むしろ、あなたがいま何をしているか、なつかしい思い出はなにか、あなたが最近何で幸せを感じたか、楽しかったか、最近美しさを感じたことはあるのか、どこかに行ったか、なにか大変だったか、それを乗り越えたか、乗り越えようとがんばっているところか、将来何がしたいか、そういう事を書くべきだと思います。メッセージは、寄せ書きにするんでしょうか?もしできれば、間に合うのなら、寄せ書きじゃなくて、一人一人、短くてもいいから封筒に入れて、お手紙をたくさん渡すのがいいのじゃないかな。 なぜかというとどうしても短いメッセージってみんな病気や体調の事を書いてしまうからです。それって、まあ、がんという、あまり治らない病気に対しては酷なことだし、そもそも、「はやくよくなってくださいね」とか、たくさん書
こんな感じでいかがでしょう(5種8冊になってしまいましたが) ①数学を哲学する スチュワート シャピロ http://www.amazon.co.jp/dp/4480860746/ref=cm_sw_r_tw_dp_moE0vb1VN9SAR ②言語はなぜ哲学の問題になるのか イアン・ハッキング http://www.amazon.co.jp/dp/4326152192/ref=cm_sw_r_tw_dp_zpE0vb05JWVNK ③言語哲学大全1論理と言語 飯田 隆 http://www.amazon.co.jp/dp/4326152001/ref=cm_sw_r_tw_dp_eqE0vb1N0H85J(4巻まで) ④ダメットにたどりつくまで (双書エニグマ) 金子 洋之 http://www.amazon.co.jp/dp/432619913X/ref=cm_sw_r_tw_dp_u
かれこれ15年くらいネットワーク環境から遠ざかっていたので、Twitterなんて正しく夢の世界でがすよ(悪夢?)。「ネットは広大だわ」by草薙素子(攻殻機動隊1巻最後のセリフ)要注意:無断転載は一切お断りします。必ず許可を取って下さい。 こういう映像表現が可能になったのは、アニメーションの制作現場にコンピューターが導入されたここ10年くらいですけど、制作会社にコンピューターが導入されたのは1990年代の話です。では、何故、こういう映像表現が最近になって多用される様になったか?というと、アニメーション制作とひと言で言えないほど、各部署の作業内容の足並みを揃える事が困難を極める共通意識で成り立たっていたからです。コンピューターが導入される以前の制作工程は、各部署の責任職の人がそれぞれの作業内容について、キチンと責任を取る(取れる)事がそもそもの大前提で、つまり、監督の采配に合わせて各部署が作業
ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の本文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。 それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。 まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日本における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影
イルカ追い込み漁とひとくちにいってもいろいろなやりかた、背景があるので一概に言えません。現在日本で行われているものについては、まず、追い込みのプロセスでイルカに対して与えるストレスや命を奪う過程での苦痛が大きいという批判があり、それに答える必要があると思います。 ツイートでも紹介しましたが、以下の論文は2011年にとられた映像をもとに太地町のイルカ追い込み漁がイルカに与えている苦痛を推測しています。 Butterworth, A et al. 2013 "A Veterinary and Behavioral Analysis of Dolphin Killing Methods Currently Used in the “Drive Hunt” in Taiji, Japan" Journal of Applied Animal Welfare Science 16, 184-204.
過去のaskでの質問などを見ても、質問を投げるような方にとって、こういう部分が一番妙に感じられているのだなと感じます(学識が広いとかはともかく)。強い理由というほどかは微妙ですが、結局将来の不安でしょうか。普通に20代半ばの時期で、ものになるという確信がない中で、進学の判断をするのはそれなりに覚悟がいることだと思います(おっしゃられているようになんとなくの進学もあるでしょうが、そういう人の話はあまりしても仕方がないので)。私には覚悟はありませんでした。話は変わって、これは今振り返って思うところでもあり、そういう意味で同じような岐路にあるなら考えてもらってもいいと思うのですが、逆に、いま、あえて研究者の道を目指す理由って今どれだけあるんでしょうか。本は自腹とはいえ普通に買えますし、論文も最近は大体紀要はリポジトリに載るし、学会誌もJ-STAGEに載る。海外論文はまあ自分の出た大学図書館とかに
大学があり授業がある限りはだれかしら雇わないといけないわけで、教えながら哲学の研究をするというポジション自体は残っていくとは思います。ただ、漠然と自分の好きな研究だけしていれば評価されるというわけでもありませんし、どういう人がどういうところに採用されたかみたいなことを見て、早いうちから研究者としての生存戦略を考えるみたいなことは必要になると思います。「そういう小賢しいのがいやだから研究者を目指したのに」という人にとっては大変生きにくい時代になっていると思います。 哲学業界としては優秀な方たちにあとを継いでいただかないと先細りになっていくので、能力のある方には哲学の研究者を目指してほしい反面、とても「どんどんおいでください」と勧誘できる状況でないのも事実で、苦しいところです。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く