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ブックマーク / miyagi.no-blog.jp (3)

  • なごなぐ雑記: 新たなる「沖縄戦」の戦前と沖縄と日本国政府の戦争状態の今日

    新たなる「沖縄戦」の戦前と沖縄と日国政府の戦争状態の今日 4月25日に「日米共同声明:アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日と米国」が発せられた。共同記者会見の席上でオバマ米国大統領が安倍政権に対して「尖閣問題をエスカレートさせるのは profound mistake(重大な過ちor深刻な過ち)」と釘を刺すが、日のメディアは "profound mistake" を「正しくない」と誤訳(ねつ造)して報道し、ことさらに尖閣に関するオバマ大統領の安倍首相への指摘を小さく見せる。 尖閣諸島は安保条約が及ぶ範囲内であるとする共同声明の内容に対して、CNNの記者が「中国が尖閣に軍事侵攻したら米国は武力行使するのか」と問うと、オバマ大統領は苦笑いしつつ「日の施政下にある領域に条約が適用されるという同盟の条件は、複数の米国政権の標準的な解釈です。我々は単にこの条約を応用しているだけで

  • なごなぐ雑記: 『英霊か犬死か―沖縄から問う靖国裁判』

    我が家には小さなテレビがあるにはある。いつもは電源もアンテナの線も外され放置されている。もちろんアナログである。おそらくデジタルテレビなど購入しないと思う。2011年7月から我が家はテレビ放送と無縁になるだろう。 年に数回しかつけないテレビをセッティングして、番組が始まるのを待った。2010年10月2日午前10時。久しぶりに視たテレビのドキュメンタリー番組。沖縄の地元の放送局、琉球朝日放送(QAB)の制作した『英霊か犬死か―沖縄から問う靖国裁判』。感想を少しだけ記しておく。 死者を英霊とすることに至高の価値を見出す人々からすれば、犬死という言葉はあまりにも挑発的で侮蔑的で耐え難いものだろうと思う。死者を英霊と呼ぶか犬死と呼ぶかは、生きている者の行為であり、呼ばれる死者はすでに死んでいる。 テレビカメラの向こうで「沖縄靖国裁判原告」の人々が発する「犬死」という言葉は「沖縄戦」の実相に迫るキー

  • なごなぐ雑記: 「本土の沖縄化」について

    土の沖縄化」について 「土の沖縄化」という言葉(ツイッターでみかけたのだが、いちいち出典は探さない)が気になるので、少し考えたことを記しておく。 この言葉には歴史がある。1972年の米国から日国への施政権返還前後にも「土の沖縄化」という言葉は流通した。大江健三郎『沖縄ノート』(1970)にも、「土の沖縄化」という言葉への言及がある。 日米安保条約の再定義や諸々が行なわれる時にも折にふれて「土の沖縄化」という言葉が、人々の口を突いて出てきた。沖縄の米軍基地/訓練の土移転に際しても「土の沖縄化」という言葉は使われる。 大阪の八尾市にある八尾空港に米海兵隊のオスプレイ訓練を受入れるなどという思いつきを維新の会という政党の幹部が喋ったものだから、そのことに対して、またぞろ「土の沖縄化」という言葉が私如きの目にも触れる。 まず、この維新の会の発言は、単純な思いつきレベルを超えない

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