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ブックマーク / repo.kyoto-wu.ac.jp (4)

  • 江口聡「性・人格・自己決定 : セックスワークは性的自由の放棄か」

    論では、性と人格が結びついているという主張、および、セックスワークは自身の「性的自己決定権」や「性的人格権」を侵害する行為であるため社会的に許容するべきではないとする主張をとりあげ検討する。まず「人格」という曖昧な言葉の分析を行ない、それがいくつかの違った意味を含んでいること、そして、personとしての「人格の尊重」は、自律や自己決定の尊重を含むことを主張する。次に、セックスワークが性的自由や自己決定権の放棄につながるとする見解は、「譲渡できない権利」という概念に含まれる「請求しないこと」と「放棄すること」とを混同した結果生じた支持できない見解であることを示す。最後に、自己決定や同意にもかかわらずある種の性的行為は危害をもたらす可能性があり、これが「性的人格権」を提唱する人々が危惧している点であると解釈することができることを示唆する。 In this paper I will exam

  • [PDF]性的モノ化と性の倫理学 江口 聡

    sexual objectification M. “Is sex an autonomy-killing, mind-numbing, subhuman passion?” “Yes, but only when it’s good.” Soble, c MacKinnon, , p. a sexual objects things commodities b c , LeMoncheck, Paglia, Soble, b , “Man fucks woman, subject verb object” MacKinnon, Objectification Nussbaum, person treating as an object instrumentality denial of autonomy inertness agency activity fungibility a b

  • 鶴田直美「不死と退屈 : ウィリアムズの議論から」

    ウィリアムズ パーフィット 不死 人格の同一性 Bernard Williams Derek Parfit immortality personal identity 通常わたしたちは、死は人生において最大の悪だと考えており、短い生よりも長い生の方がよりよいと思っている。それでは、不老不死であったとしたなら、わたしたちの人生はよりよいものになるのだろうか。バーナード・ウィリアムズは、不死は人にとって望ましいものではなく、不死の人間は必然的に人生に退屈すると論じている。稿は、ウィリアムズの主張の根底にある人格概念をデレク・パーフィットの還元主義的人格概念と比較しつつ、ウィリアムズの議論を批判的に検討する。 In 'The Makropulos case: reflections on tedium of immortality', Bernard Williams argued as f

  • Kyoto Women's University Academic Information Repository: ノートをとる学生は授業を理解しているのか? : 〈大事なところは色を変えて板書してほしい=83%〉を前にして

    稿は、大学生の授業理解・ノートをとる行為・授業外の学習の3つが、どのように関係しているかについて解明する。学生の多くが「知識の伝達─貯蔵モデル」への過剰適応によって大学で学ぶことへの準備が不充分である。それゆえ、まず必要なのは「いかにノートをとるべきか」的な指南ではなく、「大学での学びのレディネス」を高めさせることだ。ではどうすればよいか。こうした問題意識に基づき、次の4つの知見を得た。第1 に、大事なところが分からないことが多い学生ほど、キーワードしか板書されない場合に自分で文章化したり、板書がなされない口頭のみの説明をノートしたりすることが少ない。第2 に、大事なところが分からないことが多いか否かは、「前進的理解(ノートを早くとり終わった時に疑問点や重要点をまとめる)」の有無に影響しない。第3 に、「前進的理解」をしている学生は、していない学生と比べて、平均的に自学自習時間が長いもの

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