タグ

ブックマーク / hosokawa18.exblog.jp (40)

  • フィンガーボールの水を飲む話 | 塩はうまくてまずいです

    たしか安倍内閣のときだったか、「道徳」 の授業が話題になったコトがありました。 ネットを見てると「道徳」の授業で、部落だとか水平社事件だとかを学ぶ学校もあるみたいですが、 それも時代によるものなのか。地域によるものなのか。 普通は 「道徳」 の教科書を読んで終わりでしょう。 ちなみにウチの地元は保守系の強い地域だったせいか、 「明治天皇は一般人だったとしても、名を馳せたであろう有能な人」 とか教師が余裕で教えてました。(笑) 道徳の教科書の内容なんてほとんど忘れているのですが、 1つだけ強烈にインパクトが残っている話があります。 それが 「フィンガーボール」 の話。 むかしむかし。ある国の王女さまがお城で「誕生日パーティー」を開きました。 パーティーには貴族たちが列席したのですが、 なぜか普通の庶民が一人招かれていました。 彼は緊張しすぎでオドオド状態。当然テーブルマナーも知らず、 緊張し

    フィンガーボールの水を飲む話 | 塩はうまくてまずいです
  • 古沼の 浅き方より 野となりて 28番 | 塩はうまくてまずいです

    戦国で有名な「四兄弟」といえば誰を思い浮かべますか? 島津? 毛利? ま・・・たしかに彼らも有名ですけど、忘れちゃいけません。 彼らに匹敵する・・・いや。遥かに凌駕する「四兄弟」がいます。 それは「三好四兄弟」。 長慶・義賢・冬康・一存 応仁の乱後。「一人勝ち」したのは管領の「細川京兆家」でした。 しかしそれも長くは続かず、やがて内紛を起こして衰退します。 そんな「細川京兆家」に仕えていたのが三好長慶。 長慶は主君である「細川晴元」を裏切って政権を奪取。 このクーデターを支えたのが彼の弟たちでした。 四男の一存(かずなが)は、讃岐の十河家(そごう)へ養子に入って家督を継承。 長慶を助けて各地を転戦した猛将です。通称「鬼十河」。 三男の冬康は、淡路島の安宅家(あたぎ)の養子になって「安宅水軍」を掌握。 畿内支配のためには絶対必要な「水軍」を統率しました。 そして長慶が右腕として最も頼りにして

    古沼の 浅き方より 野となりて 28番 | 塩はうまくてまずいです
  • 塩はうまくてまずいです

    真珠湾攻撃 (昭和16年12月8日) 昭和16年10月16日。またもや近衛首相は全てをブン投げて総辞職。 木戸内大臣は次の首相に「東条陸相」を奏薦しました。 昭和天皇は言ってます。 「虎穴に入らずんば虎児を得ずだね」 10月18日。東条が宮中に参内。 「近衛首相に協力しなかったから、お叱りを受けるのだろう」 って思っていたら、まさかの大命降下。 「9月6日の御前会議の決定を白紙に戻して、対米交渉に努めよ」 昭和天皇に対する忠誠心は人一倍厚い東条首相。 今までの態度をコロッと変えて「日米交渉」に全力を尽くすコトとなります。 しかし。相変わらず参謀部は「支那からは絶対に撤兵しない!」の一点張り。 じゃあ海軍に「アメリカとは戦争できない」と言ってもらおうと働きかけても、 「そんなコト言えません」のこれまた一点張り。 陸軍の強硬姿勢と海軍の無責任な態度・・・。 ま。自分も近衛首相に対して散々やっ

    塩はうまくてまずいです
    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2023/01/04
    すご〜く、久しぶりに見たが、2018/8/21以降更新ないんだよな、どうしたのかな。
  • 江戸時代の死刑と治安 | 塩はうまくてまずいです

    今日は仕事でちょろっと平塚まで行ってきました。 すっかり暖かい陽気になってきましたなー。うん。春は眠い。w そういえば「官国弊社」の一つである「寒川神社」の前を通っているのですが、 ここはいつでも攻略できるので、参拝するのは後回しにしています。 ま。近いうちに御朱印をゲットするつもりですけど。 さて。モンテスキューが書いた世界的な名著「法の精神」。 このには意外と「日」についての記述が多く描かれています。 はたしてモンテスキューは日をどのように語っているのか? 関連個所を適当に抜粋してみます。 まずは 第6編13章「日の法律の無力さ」から。 ---------------------------------------- 度の過ぎた刑罰は専制政治を腐敗させる。 目を日に向けてみよう。 日ではほとんどの罪は「死罪」にされる。 なぜなら日の皇帝は偉大であり、服従しないコトは大罪で

    江戸時代の死刑と治安 | 塩はうまくてまずいです
    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2016/03/10
    “法の精神”
  • モンテスキュー日本を語る | 塩はうまくてまずいです

    モンテスキューって知ってますか? 私はよく知りません。w それでも歴史的にはかなりの有名人でして、 たしか中学の歴史・公民の教科書にも登場していたような・・・。 ま。民主主義の根幹を成す「三権分立」を唱えた人ですから、 必要以上に持ち上げられてる感もありますが。w モンテスキュー 18世紀は「啓蒙運動」と呼ばれる哲学が流行った時代で、 モンテスキューもそんな啓蒙思想家の一人。 ただし彼はあくまでも三権の分立を唱えただけであり、 同じく啓蒙思想家の「ルソー」のように「人民主権」とまでは言ってません。 たしかにモンテスキューは「絶対王政」を批判してましたが、 国王の権力を否定していたワケじゃなく、あくまでもバランスを重視。 特に国王と国民の中間に位置する「貴族」の必要性を説いていました。 やがて彼らの思想は「フランス革命」に大きな影響を与えていくワケですが、 モンテスキューが「必要な存在」とし

  • 浜名湖藩 | 塩はうまくてまずいです

    浜松に「浜名湖パルパル」という遊園地がありまして、 子供のころによく連れてってもらいました。 静岡県のテレビでは、今でもパルパルのCMがしょっちゅう流れており、 年がら年中「プリキュアショー」をやってるんだなー・・・って感じます。w この遊園地があった場所。 ここには堀江城という城があり、「大沢家」という国人が割拠してました。 桶狭間後。家康が遠江へ侵攻すると、徹底抗戦して城を守り切り、 その戦いっぷりに敬意を表した家康によって領安堵が認められまして、 以後は徳川家に臣従。 関ヶ原後には 1550石 を安堵されて「高家」となり、 その後も江戸時代を通じて加増を重ね、最終的には 5485石 となりました。 しかし。いくら「高家」で加増を続けていたとはいえ、 所領が 1万石 以下の者は「大名」とは呼ばれません。 あくまでも「旗」です。 明治元年8月。新政府は全国の大名・旗に対して検地を命

    浜名湖藩 | 塩はうまくてまずいです
  • 13宗スペック | 塩はうまくてまずいです

    それほど興味はないものの、知ってると何かと便利そうなのが「仏教」。 「攻防」とか「興亡」とかの殺伐とした話は大好きなのですが、 たまには穏やかな心で「信仰心」に耽るのも良いかもしれません。 てなワケで、日仏教の話をダラダラと。 文化庁は毎年「宗教年鑑」というを出してまして、 この資料によると、日の仏教は「13宗56派」が存在する・・・って書いてあります。 さらにこれらは大きく「6系統」に分類されます。 こういう分類表とかを見ていると、 なんか寺院や信徒を奪い合う「ボードゲーム」みたいなのを想像しちゃいまして、 どうしても信徒数が「兵力」に見えてしまう・・・というゲーム脳なのですよ。 そこで日の仏教界を牛耳る「13宗」の勢力スペックをまとめてみました。 「うーん・・・やっぱ浄土系の勢力は圧倒的だな~」 とか、シミュレーションゲーム的な感覚で眺めてみましょうか。 データは平成26年度版

  • 八幡太郎の不遇 | 塩はうまくてまずいです

    マッピーも15面を越えると激ムズですよ。(挨拶) NHK大河の「炎立つ」で源義家を演じていたのは佐藤浩市。 イケメンで非常にカッコ良い役柄でした。 たしかに義家といえば、ヒロイックなイメージがあります。 敗走する安倍貞任に和歌を詠んだら、返歌が即座に返って来たので、 「天晴なヤツだ」と感心して、見逃してやった話とか。 雁の列が乱れているの見て、敵の伏兵を見破った話とか。 「後三年の役」が終わったとき、朝廷からの恩賞は出なかったものの、 自腹を切って家臣たちに恩賞を与えてやった話とか・・・。 とにかく義家は武芸・知略・人徳に優れた名将として讃えられます。 「同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや」 義家が河内源氏の当主となったころ。 京都周辺では、山門(延暦寺)と寺門(園城寺)の僧兵たちが ヤクザのカチコミみたいな抗争をくり返して、京都市民は大迷惑。 とても検非違使では対処できず、 朝廷と

  • ゲームデザイナーの話 | 塩はうまくてまずいです

    そういえば「俺ケツ」が再販されるみたいですねー。これは買うしかないっ。 「エポック朝鮮戦争」のデザイナーは、知る人ぞ知る鈴木銀一郎氏。 国産ウォーシミュレーションゲームのパイオニア的な方です。 そういえばその昔。えんじ先生から鈴木氏が書いた自叙伝をもらったっけなー。 「朝鮮戦争」は何かと物議を醸してしまったゲームでしたから、 この件について氏が何か語ってないかなー・・・と思いまして、 さっそくこのを探し出して、パラパラとめくってましたら、 簡単にですけど、エポック朝鮮戦争についての記述がありました。 まだ日にこの手のゲームがなく、海外からの輸入ゲームに頼るしかなかった頃、 たまたま出会った黒田幸弘氏と意気投合して、 「これからは日でもウォーゲームが流行るに違いない」 と考えて、ゲームのデザインに取り組んだのだそうです。 ちなみに黒田氏も知る人ぞ知る有名なゲームデザイナーで、 「戦国大

  • 朝鮮戦争歴史概況4 | 塩はうまくてまずいです

    「ウチの会社の株って下がりそうだから売買停止にしまーす」 「株を売ったヤツは政府が許さんからな」 「国営企業は株を買え!」 そりゃあこんなコトが可能ならば、株は上がるよなー。w 逆の意味で中国株って魅力かも。(軽いウソ) さて。朝鮮戦争前半戦における概略のつづき。 国連軍を追い詰めた北朝鮮軍は「8月攻勢」「9月攻勢」を敢行。 一気に勝負を決めるべく大攻勢をかけます。 これはこのゲームにおいても「マンセー突撃」という形でルール化されてまして、 マンセー突撃を行なったら、戦闘力が2倍になる代わりに 戦闘での被害とは別に必ず2ステップロスします。w この大攻勢に対して、第8軍司令官ウォーカー中将は訓示します。 「韓国にダンケルクはない!」 今回は朝鮮戦争前半戦のクライマックス「釜山橋頭保の戦い」について。 11.8月15日 釜山橋頭保が確立した時、さしもの北朝鮮軍もその勢いにかげりがさしていた。

    朝鮮戦争歴史概況4 | 塩はうまくてまずいです
  • 朝鮮戦争歴史概況2 | 塩はうまくてまずいです

    なんか今日はいきなり梅雨が明けたような天気でしたねー。 今から真夏のコトを考えただけで、ぐったりしちゃいますなー。 さて。「エポック朝鮮戦争」のルールブックには、 朝鮮戦争の概略についてざっくりと説明しているページがあります。 このゲームで扱われているのは「開戦」から「仁川上陸作戦」まで。 もちろん説明文も「前半戦」についてに多くが割かれてます。 開戦わずか4日でソウルは陥落。 韓国はその直前に「水原」へと遷都していたものの、 7月4日には水原も陥落し、韓国政府は「大田」へと避難します。 アメリカは地上軍の投入を決定。まず「スミス支隊」が前線へと送られますが、 まだアメリカ北朝鮮軍をナメ切ってました。 で。今回はアメリカ軍と北朝鮮軍が初めて衝突した「烏山の戦い」から、 要衝「大田」における決戦までを。 5.アメリカの参戦 北朝鮮の侵攻が始まった当初、 アメリカは空軍と海軍のみによる支援を

    朝鮮戦争歴史概況2 | 塩はうまくてまずいです
  • 朝鮮戦争歴史概況3 | 塩はうまくてまずいです

    ちょっと文の捕捉を。 北朝鮮軍の最精鋭である第6師団は「大田決戦」には参加せず、 天安 → 全州 → 光州 → 順天 こんなルートで南下してます。 ちなみに韓国政府は「大田」から「大邱」へと移ってました。 「エポック朝鮮戦争」で見る序盤戦。 今回は全戦線でズルズルと後退を余儀なくされた国連軍が 洛東江の防御線・・・いわゆる「釜山橋頭保」に追い詰められるまで。 8.罠 7月23日、国連軍の偵察機は西海岸方面を南下している北朝鮮軍の大部隊を発見した。 第8軍司令部では、この部隊は大田攻略に参加しなかった 北朝鮮第4師団の一部であると判断した。 しかし実はこの部隊こそ、方虎山将軍率いる精鋭第6師団だったのである。 彼らは敗走する韓国兵を掃討しつつ、西側から釜山をめざして進撃中であった。 ところが国連軍の主力は大田の東南にある「永同」から「咸昌」を経て 「盈徳」にいたる前線に展開していたため、

    朝鮮戦争歴史概況3 | 塩はうまくてまずいです
  • 朝鮮戦争歴史概況1 | 塩はうまくてまずいです

    「エポック朝鮮戦争」が朝日新聞にイチャモン付けられたとき。 「説明書も歴史書と同様、詳しく記述してあり、 不幸な戦争を正しく認識してもらうためのもので、単なるおもちゃではない」 と、エポック社は回答してます。 そこでその記述についてちょろっと見てみましょう。 まずは、開戦からソウル陥落までの4日間の戦況について。 1.南北朝鮮の分断 1945年8月15日、日は連合国に対して無条件降伏した。 米ソ両国は北緯38度線をもって、 日軍を武装解除するための米ソ軍管轄区域の境界を定めた。 しかしこの便宜的で一時的な境界線はその後、 民族を分断する恒久的な国境線となってしまったのである。 すなわち南はアメリカの軍政下に置かれ、北がソ連の支配下に置かれた後、 それぞれは大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)として、 同一民族でありながら、全く異なる道を歩み始めたのであった。 南北の両国はそれぞれ

    朝鮮戦争歴史概況1 | 塩はうまくてまずいです
  • 昭和天皇実録を読もう | 塩はうまくてまずいです

    史の中で格段に面白いのは「源平」や「戦国」や「幕末」よりも 何気に「戦前昭和」の話だったりします。 「昭和天皇実録」が今年の3月から東京書籍で刊行されるコトになりました。 全18巻(+索引1巻)の19冊。 で、1冊 ¥1,890(税別)ですから、 お値段しめて ¥35,910(税別)なり~。 むう。たしかに安い買い物じゃありません。 ただし同じく昭和史に関して手に入れたい「西園寺公と政局」(いわゆる原田日記)。 こっちは9冊セット(全8巻・別巻1)で ¥47,000 (税別) ま。これを考えたら良心的な価格と言えるでしょうか。 しかし問題なのはお値段よりも「刊行予定」。 東京書籍は「毎年3月と9月に刊行する予定だ」と発表しており、 この予定でいくと、最終巻が出るのは2019年3月。 「刊行が決まってるだけマシだ。何年経っても続刊が出ないがどれだけあるか・・・」 思わずえんじ先生に怒

    昭和天皇実録を読もう | 塩はうまくてまずいです
  • 楠木正儀という存在 | 塩はうまくてまずいです

    南朝の内紛を描く「南朝内訌記」。 これまではセコい話ばっかりでしたが、今回はちょいと違います。w 戦前の教科書では南朝武将はみんな美しい「忠臣」とされてました。 その中でも特に「楠木正成・正行」親子の扱いは別格。 「もう忠臣すぎて忠臣すぎて・・・キャー抱いてー」 こんな書かれ方で、ちょっと引いてしまうぐらいの「ベタ誉め」状態。 いわゆる「皇国史観」ってヤツですが、 実はこの史観ですと、ちょっと困ったコトが起きてしまいます。 皇国史観が絶賛する楠木一族。 正成は「湊川」で。正行は「四条畷」で。 それぞれ戦死してしまいまして、 楠木家の当主は正成の三男で、正行の弟。 「楠木正儀」(まさのり)が継承します。 正儀は父や兄にも劣らない戦上手。 ゲリラ戦も得意でして、京都攻略にも成功してます。 南朝軍は正儀がほぼ一人で支えている状態でした。 ところが戦上手でありながら、正儀は幕府との和平派。 「こん

    楠木正儀という存在 | 塩はうまくてまずいです
  • 賢者は歴史に学ぶか | 塩はうまくてまずいです

    もうすでに10年以上も前のコトになっちゃいましたが、 池袋の「羊料理屋」で酔っぱらった帰りに、ohtsuki19亭で作ったのがこのブログ。 あまり深く考えないでダラダラ書いてたせいなのか、 「平平合戦」を1回目の記事とすると、今回でちょうど2000回目となりました。 ま。これからもあまり深く考えずに、浅く広くダラダラと適当に書いていこうかと。 戦後最初の総選挙で勝利したのは鳩山一郎が率いる自由党でした。 しかし鳩山は組閣寸前になって、GHQによってパージされちゃいます。 困っちゃった鳩山は「自由党」を預けるつもりで、吉田茂に言います。 「君に自由党総裁の座を託したい」 「僕は政治に興味がないから・・・・」 「そんなコト言わないで頼むよ」 「それならば・・・・」 と言って、吉田が引き受ける代わりに出した条件がこれ。 1. 自由党のための資金集めはしない。 2. 人事は自分の好きにさせてもらう

    賢者は歴史に学ぶか | 塩はうまくてまずいです
  • 千住の酒合戦 | 塩はうまくてまずいです

    たまには酒を飲まないといけません。 ある程度は酒に慣れておかないと、終電で寝過ごしちゃって、 夜中の「中野坂上駅」を当てもなく彷徨うコトとなるのですよ。w いやー。マンガ喫茶でもあれば・・・と思ったのですが、 当に何もなかったなー。早めにタクシーで戻る決断をして正解でした。 江戸時代。全国各地で「酒合戦」と呼ばれるイベントが行われてたようです。 要するに「タダ酒飲み大会」。 ちゃんと審査員もいまして、酒量のみならずマナーも採点してたみたい。 マナーですか・・・ま、楽しく飲むのが最大のマナーですよね。そうですね。 さて。そんな酒合戦の中でも有名なのが、 1815年10月21日行われた「千住の酒合戦」。 この日に千住の飛脚問屋の旦那が還暦を迎えた・・・ってコトで催されたイベントです。 参加者は受付で自分の酒量を「申請」した後、エントリーナンバーを受け取ります。 それを持って会場の大広間に行く

    千住の酒合戦 | 塩はうまくてまずいです
  • 一会桑政権の限界 | 塩はうまくてまずいです

    ビールが美味しい店がありまして、さっそく昼間っから飲んでました。 なんでこう昼間に飲む酒って美味いんでしょうかねー。 量より質の大人な飲み会を心がけねばなりませんよ。(誰が?) さて。幕末の話は有名ですので適当にハショりながら、 前回のつづき。 もし一橋慶喜に雄藩諸侯たちと連携して政権を運営していく気持ちがあれば、 「参与会議」が主導する形での維新が達成されたかもしれません。 しかし慶喜には久光や春嶽たちと共にやっていく気はさらさらなかったようで、 自ら「参与会議」をブッ壊してしまいます。 ここに雄藩連合による幕政改革の道は途絶えました。 参与会議が崩壊した後、政権の枠組みを作ったのは「一会桑」と呼ばれる勢力。 一橋慶喜(一橋) 松平容保(会津) 松平定敬(桑名) 一橋慶喜は「最後の将軍」として有名な人ですが、 彼が最も輝いていたのは将軍になる少し前。 「禁裏御守衛総督」として政権を握って

  • ビブリオバトル | 塩はうまくてまずいです

    先日。えんじ先生と飲んでたときに「ビブリオバトル」の話をしてました。 みなさんは「ビブリオバトル」って知ってますか? 私は全く知らなかったのですが、けっこう有名らしいです。 「書評合戦」とでも言うんでしょうか。 全国の図書館とか大型書店とかで大々的に行われているみたい。 数人の参加者が自分の好きなを持ち寄りまして、 順番に一人ずつ、観客の前でそのの紹介をします。制限時間は5分。 その後。2分間の質疑応答を受け付けます。 全員の発表が終わったら「最も読みたいと思った」について観客が投票を行い、 最も多くの票を得た人が勝者となる。 ざっくり言うとこんな感じです。 5分間のスピーチっていうのは、けっこう長いです。 資料配布なんかは禁じられており、舌先三寸で勝負しなければならず、 に対する愛はもちろんですが、 勝つためにはやっぱり「話術」が重要になってくるワケでして、 「言いくるめ技能」な

    ビブリオバトル | 塩はうまくてまずいです
  • 実録残された謎 | 塩はうまくてまずいです

    かつて90歳になった福田首相(親父のほう)が「回想録」を出版したとき。 多くの記者や評論家は真っ先に「ダッカ事件」の項目を読んだそうです。 そしてほとんど触れられてないのを見て、ガックリしたそうです。 「昭和天皇実録」は膨大な文量を誇る「正史」であり、 いくら専門家といえども、全て読破するには相当の時間がかかるハズ。 まずは「気になる項目」のみに絞って読んだものと思われます。 9月9日の朝刊各紙による「昭和天皇実録」について。 今回は「読売新聞」の記事内容を。 読売新聞は「実録」についてのポイントを「箇条書き」にまとめてまして、 これがけっこう解かりやすかったりします。↓ [新たな資料] ・侍従ら間近で仕えた人々の日記が引用された。 ・1936~44年に侍従長を務めた百武三郎の日記の存在が判明。 [新事実] ・「皇室について批評や議論をしない学者の講義は役に立たない」と述べていた。 ・「博

    実録残された謎 | 塩はうまくてまずいです