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ブックマーク / kamiyakenkyujo.hatenablog.com (54)

  • 人生最悪の年 - 紙屋研究所

    今年は人生で最悪の年だった。仕事でも家庭でも。 もちろん、来年はそんなことがないようにしたいのだが、「『最悪だった』なんてのんきにブログに書けていた頃はよかったな〜」などという具合に「最悪」を更新することもないわけじゃない。 何をしていても前向きな気持ちが生まれないとか、いつも不安に苛まれているとか、そんな感情に支配されるようになるとは思ってもみなかった。もちろん、そうした精神状態というものがあるということをでは読んで知っていたが、やはりどこか他人事だったんだろう。 当に苦しいな、これは。 こんなに苦しいとは思っても見なかった。 イスラエルに何年も捕らえられたパレスチナ人や、共産党圧政下で苦しむ香港政治犯などが、牢獄に閉じ込められたりする孤立感や絶望感というのは、こういう「体を蝕むような精神的抑圧」(おそらくぼくが体験しているプレッシャーの数倍、数十倍)と一体で行われるんだと想像すると

    人生最悪の年 - 紙屋研究所
  • 幹部たちの“知的水準の衰弱” - 紙屋研究所

    休みで、いろんなを読んでいるが、読み返すものもある。 不破哲三『スターリン秘史』もその一つである。 スターリン秘史―巨悪の成立と展開〈5〉大戦下の覇権主義(下) 作者:不破 哲三 新日出版社 Amazon 不破はこの著作の中で、スターリンの問題点の根源を暴いているのだが、同時に、それを描くプロセスで、スターリンという指導者が持っていた「長所」というか、ある種の明晰さにも遠慮なく触れている。 スターリンがトリアッチ〔イタリア共産党指導者〕やトレーズ〔フランス共産党指導者〕にあたえた路線転換は、それぞれ成功をおさめて、イタリアでも、フランスでも、共産党が戦後政治で有力な地位を得ることに貢献しました。スターリンが求めた路線転換に共通しているのは、反ファシズム闘争の成果を強引に社会変革に結びつけることに固執せず、資主義的政治体制のもとで共産党がしかるべき政治的地位を獲得するという限定的な目標

    幹部たちの“知的水準の衰弱” - 紙屋研究所
  • 「頭がいい」とはどういうことか──貧困、学歴、無料塾 - 紙屋研究所

    ネット上で生活保護をめぐる話から親と子の関係の話に話題がとび、さらに「頭のよさ」についての話題にもなっているので、ぼくもちょっと書いてみる。 DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤 環境という足枷 - G.A.W. 「頭がいい」とはどういうことか。 これはちまたで「勉強できるやつが頭がいいとは限らない」という言葉で、「勉強ができる≠ 頭がいい」というふうに認識されている。ぼくもよく言われたよ。「あんた大学出てるのに、そんなこともできないの(知らないの)」。 じゃあ「頭がいい」って一体なんなんだ、ということになる。 二つの「頭のよさ」──(1)「学者的に頭がいい」 「頭がいい」には二つある。 一つは「学者的に頭がいい」ということ。 もう一つは「うちのオヤジ的に頭がいい」ということ。 結論から先にいえば、前者は概念を体系化できる能力であり、後者は目的を

    「頭がいい」とはどういうことか──貧困、学歴、無料塾 - 紙屋研究所
  • 松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』 - 紙屋研究所

    共産党は党首公選をやってはどうかということが話題になっている。 www3.nhk.or.jp news.yahoo.co.jp www.sankei.com www.yomiuri.co.jp その台風の目になっているのが松竹伸幸『シン・日共産党宣言』(文春新書)である。「ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由」というサブタイトルの通り、党首公選を求めて党の防衛政策などの発展を訴えている。 実は松竹の書には、表現の自由での政策の対立をめぐり、ぼくの名前も出てきてびっくりする。 シン・日共産党宣言 ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由 (文春新書 1396) 作者:松竹 伸幸 文藝春秋 Amazon 党首公選をしたらいいではないか。これが書についてのぼくの結論である。 党首公選をやったほうがいい派に変わった理由 数年くらい前までは「やらないほうがいい」派であったが、「やったほう

    松竹伸幸『シン・日本共産党宣言』 - 紙屋研究所
  • マンガの表現について共産党は2022年参院選でどういう政策を打ち出したか - 紙屋研究所

    2021年の総選挙で共産党のマンガ・アニメの表現に関する政策が話題になった。 その際に、ぼくも記事を書いた。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com ぼくは「カジを切っていない」とは結論づけた。しかし叙述が乱暴すぎる、と批判した。 この記事を書いた他に、共産党の中央に意見も出した。 総選挙が終わってしばらくしてから、共産党のある街頭演説をぼんやり聞いていたとき、演説を終えた、にひ そうへい元参議院議員がぼくのところにやってきて、「紙屋さん、あなたの意見を読みましたよ! 中央の担当部署でも共有しています」と笑顔で話しかけられた。演説後の非常に短時間ではあったが、「ぜひ今度話しましょう!」と、にひ元議員から言われた「あ、読まれてるんだ」と思った。 さらに、田村智子政策委員長が講師を務めるジェンダー問題の学習会があり、質問・意見を募集していたので、遠慮なく書いて出した。 上記

    マンガの表現について共産党は2022年参院選でどういう政策を打ち出したか - 紙屋研究所
  • ワタナベ・コウ『漫画 伊藤千代子の青春』 - 紙屋研究所

    戦前の官憲による弾圧で命を落とした共産党の若い活動家たちのことを知ったのは、1990年ごろだったと思う。その一人に伊藤千代子がいた。あの当時、伊藤千代子について書いた「赤旗」の記事やら簡単な伝記的紹介を読んだと思ったのだが、ほとんど忘れていた。 日共産党のサイトでは伊藤の死について次のように書かれている。 市ケ谷刑務所で栄養失調になり、病院に転送後亡くなりました。 ある意味、簡略である。 党幹部の演説で触れている場合も同じで、例えば不破哲三は、 こういう旗印をかかげて活動したために、日共産党は、天皇制政府から、最も憎むべき犯罪者として激しい迫害をくわえられ、多くの犠牲者を出しました。〔中略〕ここに、その中の一人の女性の死についてうたった短歌があります。/こころざしつつ たふれし少女よ 新しき光の中に置きて思はむ/これはアララギ派の歌人である土屋文明さんが、自分の教え子だった伊藤千代子さ

    ワタナベ・コウ『漫画 伊藤千代子の青春』 - 紙屋研究所
  • 中北浩爾『日本共産党』 - 紙屋研究所

    中北浩爾『日共産党 「革命」を夢見た100年』(中公新書)を読了。細かい評価は別にして「としてどういう印象を持ったか」をざっくり書いておきたい。 日共産党-「革命」を夢見た100年 (中公新書 2695) 作者:中北 浩爾 中央公論新社 Amazon 組織構造や政策などを論評するという「ヨコの軸」でのではなく、100年の歴史を振り返ることで「日共産党」という政党を論じる「タテの軸」でのである。 日共産党は世界的にみて資主義国では共産党という名前の政党が極端に小さくなったり消滅する中で「かなりの踏ん張りをみせている」(p.24)という評価をしている。 そのような「かなりの踏ん張り」はなにゆえ生じているかをみたときに、一言で言えばソ連や中国の影響を脱して、「宮路線」、つまり1961年に現在の原型となる綱領を確定し、指導者であった宮顕治が率いてきた自主独立の路線によるものだと

    中北浩爾『日本共産党』 - 紙屋研究所
  • 日本共産党の自衛隊論を整理する - 紙屋研究所

    この記事。 news.yahoo.co.jp ついている「はてブ」のブコメが、まあなんと言おうか…。 b.hatena.ne.jp なーんて冷笑している場合じゃない。こういうブコメがつくのも、共産党が国民に広く自分の立場をこれまで知らせてこなかったという「問題」でもあるのだろう。知らないのは、国民のせいではなく、当該政党の努力の問題じゃ、ということ。 共産党自衛隊に対する方針(ざっくり簡単に) 日共産党自衛隊への態度とはつまるところ、こういうことだ。 自衛隊は違憲であり、将来的には憲法9条は完全実施(自衛隊の解消)されるべきである。 しかし、それは将来、アジアの国際環境がよくなり、国民が「もういいじゃない?」と合意してのちであって、それまでは自衛隊は存在するし、活用する。専守防衛の部隊として侵略者と戦うのである。 共産党が参加する政権ができたときも同じ。党としては違憲という考えを持ち

    日本共産党の自衛隊論を整理する - 紙屋研究所
  • 藤子不二雄『フータくん』 - 紙屋研究所

    小さい頃、友だちのNという家にいくと、コロコロコミックがあった。というか、その家にしかコロコロコミックはなかった。さらに、その言えには『モジャ公』や『21エモン』など藤子不二雄のマンガがたくさんあった。そして、Nの家以外ではそんなものは見たことはなかった。別に裕福な家でもない。おもちゃ系のものはほとんどなかった。Nの家の親が好きだっただけなのだろうか。いま思うと、Nの家がなければ藤子不二雄のマンガ世界には足をふみいれられなかっただろう。 再読した『フータくん』は面白くなかった? その中で忘れられなかったのが『モジャ公』と『フータくん』である。 というか、この2作品は、その後どこでも読むことができず、いつか読みたいと思いながら、今日まできてしまった。 以前のエントリで『モジャ公』については書いた。Fの全集が出たことで手に入りやすくなったのである。そして、30年ぶりくらいに手にとってみて、マン

    藤子不二雄『フータくん』 - 紙屋研究所
  • 共産党はマンガ・アニメの規制にカジを切ったのか - 紙屋研究所

    共産党がアニメやマンガの表現規制に「方向転換」したのではないかと、ネットの一部で話題になっている。 togetter.com 共産党は今回の総選挙政策で 「児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きに反対します。 と明確に言っている。それなのに、なぜこんな騒ぎになるのかといえば、ジェンダー分野で書かれている政策がこれと矛盾するのではないかという疑惑を招いているからである。 結論を言っておくと、「表現の法的規制ではない」というのがぼくの受け止め。しかし、政策としての叙述の仕方として最悪のものだと思う。どこかの政権党っぽく言ってしまうと、見事に「誤解を招く」。書いた人のセンスを疑う。 問題の、ジェンダー分野における共産党の該当政策はこの部分である。 ―――児童ポルノは「性の商品化」の中でも最悪のものです。児童ポルノ禁止法(1999年成立。2004年、2014年改正)に

    共産党はマンガ・アニメの規制にカジを切ったのか - 紙屋研究所
  • 「暴力革命」宣伝のスジの悪さ - 紙屋研究所

    “日共産党は現在も暴力革命を方針とする政党である”という宣伝は、現代では珍しいほどかけらも真実がない純然たるデマである。なんの根も葉もない。大昔は共産党はどうだったとか、何があったとか、そういうことを百歩譲って認めるとしても、今現在共産党がそんななんのメリットもない意味不明の方針を1グラムもとっていないことはあまりにも明瞭だからである。 もし当に暴力革命をやるつもりでいるなら「最近どこかで武装訓練をしているのをみた」とか「あそこに大量の武器が隠してある」とか、そんな情報が、全国で100や200あっても良さそうなものだが、まるで聞こえてこない。当たり前である。そんな方針も活動も何もないからである。 だから公安調査庁が60年もかかって日共産党を「調べて」いるのに、いまだに破防法を適用できない。何も出てこないからである。3年成果が出なければ情け容赦なく事業が終了する世知辛いこの公務渡世で、

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  • 小山田圭吾の件について考える - 紙屋研究所

    小山田圭吾の件を今さら書く。 ぼくは、フリッパーズ・ギターを友人の影響で聴き始め、中毒になり、デートで車に乗ればいつもかけて、自分としてはそれ以外に買ったことのないクリップビデオまで買い、自分の結婚式(会費制の「結婚を祝う会」)で入場と退場において流した*1ほどにはファンであった。 小山田と小沢健二がソロになってからはそれとなく追ってはいたが、フリッパーズ・ギターがなくなった時点で興味は失せてしまったいたのだと思う。ぼくのなかからはフェードアウトしていった。小山田や小沢個人に入れ揚げるということはなかったのである。 現時点で、フリッパーズ・ギターを聞くことはあまりないけども、それでも思い出したように年に数回くらいは聴いてきただろうか。 作品は独立したものであり、したがって作品と作者は別なもの ぼくは、作品というのものは、作者のものだけでも読者のものだけでもなく、社会に解き放たれた段階ですで

    小山田圭吾の件について考える - 紙屋研究所
  • 「風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつ」で思い出す筒井康隆 - 紙屋研究所

    www.kaiseisha.co.jp これを読んで当然この箇所に目がいく。 風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつのだと思います。 そこにこの記事。 m-dojo.hatenadiary.com 筒井康隆の風刺・パロディ論争を思い出す(「笑いの理由」/筒井『やつあたり文化論』、新潮文庫所収)。 最近「差別語」論争について振り返る機会があって久々に読み返していたために、記憶に残るところがあったのだ。 やつあたり文化論(新潮文庫) 作者:筒井 康隆 新潮社 Amazon 筒井は風刺とパロディを区別して、パロディにおいて「原典の質を理解していない」という批判を厳しく批判する。 なぜかというと、原典の質を衝いているというだけでは創造性に乏しいことがあきらかで、ある程度以上の文学的価値は望めない。そこで途中から原典をはなれ、その作品独自の世界を追求したり、自分の主張をきわ立た

    「風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつ」で思い出す筒井康隆 - 紙屋研究所
  • 英語を勉強しているんだが - 紙屋研究所

    英語を勉強している。 なんのために? いや…別に…意味もなく。 『超訳マルクス』*1をやった時には、辞書を引き引きという具合だった。 サラサラ読めたらカッコいいかな、くらいに。 しかし英語というものはいったん始めたら日課にしないといけない。 筋トレと同じである。 筋トレは週1日の休みを入れて毎日続いている。2017年の秋頃からだからもう3〜4年になる。だいたい30分あればできるほどのメニューだからだ。 ここに英語など入れることができるだろうか。 たぶんできないと思う。 日課を増やすと、一つ一つは小さくて、面白いことであっても、やはり「やらねば」という義務感が多少混じるので、下手をするとそれがいつか積もり積もって爆発してしまう。「あー、もー面倒くせえ!」ってなるのだ。だから日課を増やすことは慎重でなければならない。さしたる目的もないのに日課にするなどということは時間という資源の浪費である。

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  • 「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める - 紙屋研究所

    福岡市の中学校の人権侵害の校則、いわゆる「ブラック校則」が話題になっている。 news.livedoor.com 「学校まかせ」では人権侵害がいつまでも解決しない ぼくは市内の中学校に娘を通わせる一人の親として強い関心を持ってきた。 ぼくがずっと感じている不満は、「校則は学校ごとの問題。学校ごとに決めればいい」という扱いをされることだ。結果的にいつまでたっても問題が解決しないのである。 学校という単位になると、一人の保護者が言えることは実に限られている。担任や校長に話したこともある。それで変わるかどうかはわからない。というか、悪意にとらえれば、「3年間、のらりくらりとかわしていれば、このモンペは子どもが卒業してしまうのでおさらばだ」と思われているのだろう。 PTAを通じた改革の可能性と難しさ PTAはどうか。福岡市でもPTAを通じて改革したケースはある。 news.yahoo.co.jp

    「ブラック校則」の「合理的理由」をしつこく問い詰める - 紙屋研究所
  • 田川建三『イエスという男』 - 紙屋研究所

    リモート読書会では田川建三『イエスという男』を読んだ。 イエスという男 第二版 増補改訂 作者:田川 建三 発売日: 2004/06/10 メディア: 単行 もちろんなんでもハイハイと言う「イエスマン」のことではなく(笑)、キリスト教の始祖とされているイエスのことである。 どういうか。 イエスを神の子でありまた宗教家であるとするイメージを一方の極とすれば、他方でイエスをローマ支配と闘った社会革命家とするイメージの極があり、この両極のイメージを排して、イエス像を打ち立てようとしている。 当時イエスが活動したパレスチナはユダヤ教が支配している土地であり、政治・経済・宗教が一体となっていた。「イエスの活動はやはりユダヤ教批判を質としていた」(p.167)とある通り、イエスは当時のユダヤ教を批判するのだが、それは、宗教が生活のこまごましたところまで支配をしていたからである。イエスはその支配に

    田川建三『イエスという男』 - 紙屋研究所
  • スポーツの本質的暴力性とどうつきあうか - 紙屋研究所

    リモート読書会は、川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』を取り上げた。 このについてはすでに2005年に書評を書いている。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com 例えば写真は、今年11月28日付の西日新聞夕刊の記事であるが、柔道の1984年五輪における山下・ラシュワン戦を振り返り、怪我をしていた山下の「右足は狙わないと決めていた」とするラシュワンの言葉を載せ、「その高潔な精神は世界で評価され、国際フェアプレー賞を受賞した」とする。1面のほとんどを使って、相手の弱点を狙わないことを「フェアプレー」として称揚している。 西日新聞夕刊2020年11月28日付(6面) 川谷は、この山下・ラシュワン戦を冒頭に題材にとり、「相手の弱点を狙わないことはスポーツマンシップに悖るのか」という問いを立てている。 川谷は、勝敗の決着こそがスポーツの内在的目的であり、それがスポーツのエトスだと

    スポーツの本質的暴力性とどうつきあうか - 紙屋研究所
  • 萩本創八・森田蓮次『アスペル・カノジョ』8巻のワンシーンへの違和感 - 紙屋研究所

    『アスペル・カノジョ』は、新聞配達のアルバイトをしながら、自分の好きなマンガを細々とウェブで発表して暮らしている男性(横井)のもとに、その作品を読んでどうしても会いたくなった女性(斎藤)がやってくる話である。 横井は人付き合いが苦手でおそらく発達障害の可能性があるのだが、斎藤は自閉症スペクトラムの当事者で、極度の生きづらさを抱えて生きてきた。横井は、不安と苛立ちと絶望の中にいる斎藤を放っておけなくなり、依存や支配の危ういバランスを渡りながら、二人は共同生活を始めていくことになる。 その中で、8巻に次のようなエピソードがある。 アスペル・カノジョ(8) (コミックDAYSコミックス) 作者:萩創八,森田蓮次 発売日: 2020/08/11 メディア: Kindle版 同じ新聞配達をしている清水あずさという女性もまた発達障害なのだが、あずさのパートナー(浩介)もまた清水が放っておけないと感じ

    萩本創八・森田蓮次『アスペル・カノジョ』8巻のワンシーンへの違和感 - 紙屋研究所
  • 萩原あさ美『娘の友達』1巻 - 紙屋研究所

    必死に出世街道を走っていたサラリーマンであると同時に、不登校になりかけた高校生の娘をもつシングルファーザーでもある主人公・市川晃介が、喫茶店でバイトをしていた娘の友達・如月古都と知り合い、二人きりのカラオケで抱きしめられたり、職場放棄して二人で新幹線で逃避行したりと、あたかも破滅をそそのかされるように、慰め・癒されるという物語である。 娘の友達(1) (モーニングコミックス) 作者: 萩原あさ美 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2019/08/08 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る 「疲れませんか?」などと言って、上司であり父親であるという役割を全部捨てて、ただの「市川晃介」になってみてくださいと一体そんなことをいう女子高生がいるわけないじゃないか。おかしいだろ、これ。これはエロゲーの分岐画面なのか、セクサロイドなのか。 ……などと賢しらに抗してみてもダメだな。

    萩原あさ美『娘の友達』1巻 - 紙屋研究所
  • 上西充子『呪いの言葉の解きかた』 - 紙屋研究所

    昨年ぼくは「ご飯論法」の命名者の一人として流行語大賞をいただいた。「朝ごはんをべましたか?」という問いに、米飯はべていないがパンはべたという事実を隠して「ご飯はべておりません」と答弁する……このタイプのごまかしを安倍政権がやっているのではないか、という欺瞞の告発が形になったものが「ご飯論法」というネーミングであった。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com だがぼくの方の受賞はおまけみたいなもので、実際には、共同受賞した上西充子・法政大教授がこの手法を見抜き、暴いたことがまさに受賞の中心である。 受賞の時に会場の近くのスタバで初めてお会いしたが、その時も、上西はこの論法が従来の霞ヶ関文学による単なる「ごまかし答弁」「あいまい答弁」とはどう違うかを厳密にぼくに語っていた。ぼくのツイッターのタイムラインに上西のツイートが流れてくるが、“リベラルっぽいツイート”に雰囲

    上西充子『呪いの言葉の解きかた』 - 紙屋研究所