タグ

ブックマーク / macroscope.hatenablog.com (15)

  • ワート『温暖化の〈発見〉とは何か』 重版 - macroscope

    【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】 スペンサー R. ワート (Spencer R. Weart) 著, 増田 耕一、熊井 ひろ美 訳 (2005) 『温暖化の〈発見〉とは何か』 (みずす書房) のが、しばらく版元品切れになっていました。出版社は重版するかどうか迷っていたようですが、真鍋淑郎さんのノーベル賞受賞が決まったのを機会に、重版されました。重版の部数が多くないので、店頭にはあまり出ていないかと思いますが、書店から注文すれば買えるはずです。訳者のひとりとしては、地学、とくに気候システムについて学ぶための副読となることを期待しているので、大学図書館・学校図書館などに入れてくださるとありがたいと思います。 この日語版は原書の2003年の初版にもとづくもので、2001年の IPCC (気候変動に関する政府間パネル) 第3次評価報告書が出たときま

    ワート『温暖化の〈発見〉とは何か』 重版 - macroscope
  • 山尾さんと民進党には まだ期待している - macroscope

    【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】 - 0 - Twitterで時事的な問題に出会って、Twitter上でコメントしようとしたものの、各投稿140字以内という制限のあるTwitterでは議論をするのがむずかしい。そこで、考えたことをブログ記事として書くことにした。 この記事の話題についてわたしはまったく専門性はない。日の国政選挙の有権者であるという程度の当事者性があるが、それは多くの読者と共有するものだ。 - 1 - わたしは今の自民・公明政権の政策には反対だ。政策に関する大まかな意見は[2017-07-10 日政府は緊縮でない政策をとってほしいが、安倍内閣を支持はしない。]の記事に書いた。政権交代してほしいと思っている。それにはなんらかの政党再編成も必要だと思うが、今ある政党のうちでは、民進党に期待する。 - 2 - 山尾 志桜里(しおり)議員の名ま

    山尾さんと民進党には まだ期待している - macroscope
  • 海洋学者Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波 - macroscope

    (人の名まえに敬称をつけるかどうかはいつも迷うが、今回はとくに意味もなく不ぞろいになることをおことわりしておく。) 【[補足 (2017-10-08)] ネット上(Twitterほか)のいろいろなかたのご指摘によって知った情報を追加した。】 【[補足 (2018-09-05)] 日海洋学会の雑誌『海の研究』に、小栗 一将さんによる、石黒 鎮雄さんの研究業績などについての解説(小栗, 2018)が出た。わたしにとって新しい興味深い情報をふくんでいるが、このブログ記事には まだ反映できていない。 小栗 一将, 2018: 石黒鎮雄博士の業績 -- 観測機器・実験装置の開発とアナログコンピューティングによる海洋現象解明のパイオニア。海の研究 (日海洋学会), 27: 189-216. https://kaiyo-gakkai.jp/jos/publications/uminokenkyu/b

    海洋学者Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波 - macroscope
  • 学術論文の「オープン化」と費用負担 - macroscope

    【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】 == 1. 問題 == 「学術の成果である知識は社会に提供されるべきだ」という考えは前からあったが、ここ十年ほどの間に、「学術知識のオープン化」という要求が高まっている。それには、特定の組織(研究機関や学会など)に所属している人だけでなく、だれでも知識にアクセスできるようにするべきだ、という主張が含まれている。それには次のようないくつかの理由がある。 政策決定に使われる知識は、市民がアクセス可能でなければならない。 公共資金でおこなわれた学問の成果は、市民に還元されるべきだ。 専門の枠を越えた学問のため、学会などのメンバー限定でなく、広く公開するべきだ。 「だれでも」には「貧しい人でも」という意味が含まれるので、オープン化の主張は、提供は無料であるべきだという主張を含むこともある。だが、知識を社会に提供するのには費用がか

    学術論文の「オープン化」と費用負担 - macroscope
  • 安保法制について考えたこと - macroscope

    2015年9月19日未明、いわゆる安保法制が、国会で成立した。【内閣官房のウェブサイトに「平和安全法制等の整備について」 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/housei_seibi.html という表題のページがあって、中身を見ると、成立した法律は「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」だそうだが、成立までの過程で「安保[関連]法案」と呼ばれることが多かったので、この表現にしておく。】 - 1 - 【わたしが国会の状況を追いかけたのは9月17日(木)からで、しかも、ネット中継も、(NHKが中継した時間帯の)テレビ中継も見ていない。情報源は、Twitter上でたまたま「フォロー」した数十人の人たちの発言(「リツイ

    安保法制について考えたこと - macroscope
  • SPEEDIに期待された機能、それをどうやって実現するか - macroscope

    【[おことわり] わたしは気象学の専門家ではあるが、とくに原子力防災を専門とするわけではないし、その関連の政策に対してとくに発言力があるわけでもない。ここに書くのは、個人としての意見を表明し、できれば政策決定にかかわる人にも読んでいただきたいと思うからだ。】 【[おことわり] いつものことだが、わたしはブログ記事を書いたあと修正することがあり、その際に、いつどこを修正したかの表示は省略することがある。】 - - - 原子力規制委員会が、今後の原子力施設事故の際の住民の避難計画に、SPEEDIを使わないことにしようとしているという報道があった。これは決定ではなく検討中の案であるとわたしは理解している。それに対して、「SPEEDIを使わないのは安全軽視だ、けしからん」という声と、「SPEEDIはどうせ役にたたないのであり、捨てるのが正しいのだ」という声が聞かれた。どちらの意見も、原子力発電所の

    SPEEDIに期待された機能、それをどうやって実現するか - macroscope
  • グラフの軸をゼロから始めないのはうそつきか / そろばんグラフのすすめ - macroscope

    数量をあらわすグラフの「うそ」が、たびたび問題になる。対象となる数量と画面上の長さなどの数量との対応がまちがっている場合もある。しかし、対応は正しくてもまずいとされる場合がある。 そのうちで、たびたびむしかえされる議論に、「軸の原点がゼロから始まっていないグラフはうそつきだ」というものがある。これは、英語圏でも日語圏でも、Huff (1954)のを根拠としていることが多いようだ。 例を作ってみる。ある人の年俸が去年は580万円、今年は520万円だったとする。横軸に年、縦軸に金額をとって、縦軸の範囲を500万から600万として、棒グラフをつくると、今年の年俸を示す棒の長さは去年のものの4分の1になるだろう。見た人は、年俸が4分の1になったような印象をもつかもしれないが、実際は去年の値に相対的には約10%減ったのだ。 縦軸の原点は数量ゼロにとらなければならない、という態度をとると、2の棒

    グラフの軸をゼロから始めないのはうそつきか / そろばんグラフのすすめ - macroscope
  • 地球の年齢に関するKelvinの議論はどのようにまちがっていたのか? - macroscope

    科学者が当時としてはまじめに考えた結果が、あとの時代の科学の視点から見ると大きなまちがいだった、という話の例として、Kelvin (William Thomson, 1824 -- 1907; Lord Kelvinになったのは1892年だが便宜上一貫してこの名まえで呼ぶことにする)による地球の年齢の算定があげられる。Kelvinは、地球内部からの熱流量を熱伝導(熱伝導率は一定)だと考え、その熱源は地球ができたときの内部エネルギー [および重力の位置エネルギーからの転換 を考えていたようだが、詳細未確認] であって新たな補給はないと考えた計算の結果をもとに、1862年には2千万年から4億年の間という数値を示し、のちにはそのうち小さいほうの数値を主張した。 今では地球の年齢は46億年とされているが、その数値は放射性核種の壊変(および(ある種類の)隕石が地球とほぼ同じ時期にできたという仮定)に

    地球の年齢に関するKelvinの議論はどのようにまちがっていたのか? - macroscope
  • ある研究室での盗作連発(Wegman & Said) - macroscope

    学術雑誌論文や博士論文についての盗作 【いわゆる「コピペ」。出典を明示した引用でない、まる写し。ただし、少し変更した場合も含む。わたしは「剽窃」の「剽」の字をこの目的のために覚える気が起きないので、芸術作品でなくても「盗作」を使いたい。】の話題が出てくると、わたしは、ある事例を思い出す。 【ただし、この事例についてのわたしの知識は少数の情報源によっており、自分で原文にあたって確認していないことが多いので、偏りがあるかと思う。それで、だいぶ迷ったのだが、おそらく日語圏ではわたしがこの件についていちばん詳しい人だろうと思うので、書いておくことにした。また、この件は、気候に関する科学への信頼の問題と複雑にからんでいるのだが、ここではなるべく研究不正あるいは学術の品質(-管理)の問題にしぼって紹介したいと思う。】 話は、Mann, Bradley, Hughes (1998, 1999)による最

    ある研究室での盗作連発(Wegman & Said) - macroscope
  • 研究を任務とする独立行政法人の統合と、任期つき労働者の立場 - macroscope

    独立行政法人のうちでも科学研究をおもな職務とするところで働く人にとって、法人の統合は、たいていの場合、迷惑なことだ。もし、国になんらかの科学研究を推進したいという意図が先にあってその手段として法人統合が考えられたのならば、研究労働者としてもその意図に賛同できる場合は喜んで統合のために働くこともありうる。しかし、研究の内容に関する方針は変えず、組織だけを変えるのならば、労働者にとっては、いろいろな書類を書きかえたり、ものを買ったり出張したりするための手続きを覚えなおしたり、へたをすると組織の見かけをわかりやすくするだけの目的で引っ越しをさせられたりして、研究業務に使えるはずの時間を奪われながら、その時間が奪われなかったのと同じだけの研究成果を要求されるにちがいないので、まったくうれしくない。 さらに、国から独立行政法人に交付される運営費は毎年少しずつ削られるルールになっていて、研究を職務とす

    研究を任務とする独立行政法人の統合と、任期つき労働者の立場 - macroscope
  • 放射強制(力?) -- radiative forcing - macroscope

    「放射強制力」(英語ではradiative forcing)という用語は気象学者の間でも通用するとは限らない。しかし、地球温暖化のしくみを説明しようとすれば、表現はともかく、これに対応する概念を含む話になるはずだ。 これは物理学用語でいう「力」ではない。それにもかかわらず「力」という表現がよく使われるのは苦しまぎれのところがある。 英語で動詞の-ing形から名詞になったものは、日語で対応する動詞の連用形を名詞として使える場合はよいが、そうでないと表現に苦労する。英語の「force」は名詞ならば「力」だが、動詞では「強制する」がよさそうだ。ところが日語で「強制し」では名詞に聞こえない。「強制」だけだと名詞にはなり、それが「強い・弱い」などと定性的な議論には使えるが、数量の名まえとして使うと奇妙な気がする。 わたしはどうしても「力」を避けたくて「強制作用」と表現することもある。ただしきびし

    放射強制(力?) -- radiative forcing - macroscope
  • 「EM (有用微生物群)」と科学教育の問題 - macroscope

    [8月12日の記事「有用微生物は活用すべきだが、比嘉ブランドのEMは勧められない」]に続く話題。 スーパーサイエンスハイスクールの事例 呼吸発電(breathingpower)さんによるtogetter「科学技術立国日の未来を蝕むEM菌」http://togetter.com/li/377682 にまとめられているように、科学技術教育活動の中で、比嘉照夫氏(2012年3月まで名桜大学教授)の「EM (有用微生物群)」を扱い、前の記事で述べたような問題点のある比嘉氏の主張を受け売りしているものがけっこうある、という問題がある。 そのうちで、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業 http://ssh.jst.go.jp の例としてあげられていた甲府南高校の報告 平成18年度(平成19年3月) https://ssh.jst.go.jp/ssh/public/pdf/h18_pdf/1

    「EM (有用微生物群)」と科学教育の問題 - macroscope
  • 地球温暖化の見通しは、確かであり、不確かである。 - macroscope

    地球温暖化の話題に対して、その分野の科学的知見の状況を知っている者として、「地球温暖化の見通しは非常に確かなのだ」と言いたくなることもあるし、「地球温暖化の見通しは非常に不確かなのだ」と言いたくなることもある。それだけ切り離して示されると矛盾になるが、自分の考えは一貫しているつもりだ。科学的知見はひとつの文で書けるようなものではなく複雑な構造をもっている。それを木にたとえるとすれば、確かな「幹」と不確かな「枝葉」あるいは知識の欠けた「葉の間の空間」とがあるのだ。そのような構造が、専門外の人にうまく伝わっていないので、枝葉の部分の見通しを信頼しすぎる人や、たまたま枝葉の不確かさにぶつかって幹をも信頼しなくなる人が出てくるのだと思う。 わたしは2013年になってから、この主題で2回講演する機会があった。暫定的にウェブページ「気候の変化について、わかっていること、わからないこと」、「地球温暖化に

    地球温暖化の見通しは、確かであり、不確かである。 - macroscope
  • 地球温暖化の直観的とらえにくさ - macroscope

    地球温暖化という問題があることは多くの人が知っているが、それが社会のいろいろな問題のうちで重要だと考えている人はあまり多くないようだ。 これは、いろいろな意味で無理もないことだと思う。 まず、用語の問題がある。「地球温暖化」と表現すると、地球全体の温度が一様に上がることを想像しやすいが、想定されている上昇量、たとえば2℃は、人がローカル・短期間に感じる温度差としては大きくない。また寒冷化よりもよいことと感じられるかもしれない。他方「気候変動」「気候変化」はエルニーニョ現象をはじめとする自然変動を含み、そちらが主だと思う人が多いと思う。「全球平均地上気温の上昇を代表的な症状とする複雑な気候の変化」をうまく代表できる用語がないのだ。 ちなみに、英語圏の用語の使われかたの変遷を、Google Ngram Viewerで見てみた。これはGoogle Booksでディジタル化されたを、発行年別に分

    地球温暖化の直観的とらえにくさ - macroscope
  • シミュレーションによる科学的知見の意義 (Norton and Suppe 2001) - macroscope

    地球温暖化に関する政策決定の材料として、科学的知見が使われているが、そのうちでも予測型のシミュレーションで得られた知見が重要な位置をしめている。ところが、ときどき、専門家から見て信頼できないと思われるシミュレーション結果の細部まで、信頼できる予測であるかのように使われているのではないかと心配になることもある。シミュレーションで得られた知見は、どういう意味で使えるものであり、どういう意味で使えないものかの問題整理が必要だと思う。 科学哲学者の伊勢田哲治さんが6月15日の科学基礎論学会シンポジウムで「シミュレーションの認識論に何ができるか」という発表をされたのを知った([伊勢田さんのブログ記事2013-06-19])。その議論はNorton and Suppe (2001)の論点をもとにしている。Suppeさんは伊勢田さんの博士論文の指導者で名まえは「サッピ」とよむのだそうだ。 Norton

    シミュレーションによる科学的知見の意義 (Norton and Suppe 2001) - macroscope
    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2013/07/08
    本文より、「シミュレーションで得られた知見は、どういう意味で使えるものであり、どういう意味で使えないものかの問題整理が必要だと思う。」
  • 1