Ian Kershaw の本を読み進めた。 英語のまとめ冊子の索引作りをした。原稿の細かいチェックなどが残っているがほぼ完成だろうか。 久しぶりにストーブをつけている。雨風のせいか涼しいので。
皆様のお役に立てればと思い、要約したノートを打ち込んでみました。 はじめに 矢内原忠雄の植民政策論は、植民による社会・経済の変容に注目している。その帰結であるディレンマを明らかにする。 一.「世界経済」の発展史 矢内原は、植民地化による資本主義の浸透により、植民地の自立、本国と植民地の社会主義化へ向かうと展望した。しかし、そこにディレンマを見いだした。次節でそれを朝鮮統治論に即してみていく。 二.〈植民・社会政策〉論とそのディレンマ 矢内原の帝国再編論は、植民地における「社会」の問題を焦点化し、その解決のために帝国日本を改造しようとするものだった。ただし、朝鮮人の移民労働者と日本人労働者との利害衝突といったディレンマを矢内原は予見していた。この点に関し、同時代のイギリス労働党の帝国政策を参照のこと。 三.先住民と沖縄人 矢内原の議論では、樺太・北海道や南洋諸島、東南アジアなどの先住民、そし
(※以下、ブログ表示のテストもかねて、自分なりにまとめてみた。何かの参考になれば幸いです。関連ページ:http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/morimori_68/20070922など) 日本における公共性はいかに作られるべきか? 1.国民国家形成の類型 身分制の消失度 強 合衆国 | フランス 弱――――――――――――強 中央集権度 イギリス | プロイセン 弱 2.近代国家における国民国家形成 中央集権制の系列に中間集団が組み込まれ、中間集団内では個人がしばられたのが明治国家である。 (1) 国と地方自治 地方の共同体は解体され、政府の下部組織として再編された。 (2) 福祉制度 地域の相互扶助を解体し、国家の主導で福祉制度を作り、中間集団(家族や企業)を利用した。 (3) 警察 警察は近代化に当たりパターナリスティックな役割を
今週のお題「書くこと」 原稿用紙に万年筆で日記を書いている。 ライフ・ログという言葉もあるらしい。生活/生命の記録である。 たとえば今日のように万年筆を忘れると、いまひとつサマにならない。インクを紙が吸う具合が良いのである。ボールペンだと、やや感触が違う。滑りすぎるのだ。 原稿用紙はコクヨの四百字詰め、A4サイズのノートパッド型を使っている。 いつだったか、気のきいた書き物をしようと文具店に行った。原稿用紙も、いつものやつと同じモノでいいのかな? すると、どこからか魯迅先生の声がした。 「でかい紙を使いなさい。文豪は、でかい紙を使うものだ。」 文豪と来ましたか。恐れ入りました。そうします。 一回り大きな原稿用紙は鞄のこやしになっています。
台風11号が近づいてきたので通過を待っています。職場のプリンターで来週の計画表テンプレートをプリントアウトしてきました。縦軸に時間帯をとり、横軸に曜日をとったものです。(全く同じというわけではありませんが、こういう感じのもの。→http://excel07.blog114.fc2.com/blog-entry-568.html) これをA3に拡大コピーし、ポスト・イットに予定を描いて、貼り付けていくわけですね。 これをやるようにすると、自分で自分の時間を管理するという実感を持つことができます。 こうして作った予定表を、スマートフォンのアプリに入力するとさらに吉かな。わたしは「スケジュールプランナー」というアプリを使っています。
本はやはり、はじめのページを読んでみないと合うか合わないかがわかりません。合わないと思っても、まだ機が熟していないだけという場合もありますが…。 本には三種類あると思います。第一に仕事の関係の本。第二に気晴らしの本。第三に物事を知る本。 (1) 仕事の関係の本は、大工さんがカンナやノコギリを揃えるのと同様に考えています。例えばフランク・ベトガー著『私はどうして販売によって富と幸福を得たか』(ダイヤモンド社、1955年)は、営業―お客を作り、作ったお客を維持しながら、その数を増やしていくこと―のバイブルです。営業以外でも、時間の使い方について役に立つことが書いてあります。とっくに絶版で、私は図書館で借りて主な所をコピーしました。 (2) 気晴らしの本。具体的には漫画とか、犯人当てミステリとか。最近では、図書館の新刊コーナーでたまたま見つけた今野敏の『果断』(新潮文庫)が面白かったです。 (3
私は靖国神社を全否定するつもりはない。焼き払い、ぶっつぶして駐車場にしてしまえとは言わない。それをたとえば対馬丸で身内を失った人の前で言えるか? 言えないのである。 靖国神社は、形式上は、一宗教法人でしかないので、誰を祀ろうと祀るまいと勝手ということになる。 ただ、そこに首相が参りに行くとなると話は別である。A級戦犯を神として、「昭和殉難者」として祀っているからだ。日本はサンフランシスコ講和条約を受けいれて国際社会に復帰したのだから、国際的には極東軍事裁判の否認という意味を持つことになる。安倍晋三の靖国神社参拝は、パフォーマンスでしかない。本当に崇敬の念なり何なりがあるのならば、極秘裏にお忍びで行くだろう。 靖国神社が国民を戦争に送り込むイデオロギー装置の役割を果たしたことは、歴史的に明白である。靖国神社は、戦争神社である。日本が集団的自衛権を行使することになれば、自衛隊員の犠牲者も出るだ
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