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ブックマーク / sarutora.hatenablog.com (23)

  • 常野雄次郎さんの言葉と行動を引き継ぐ会 - 猿虎日記

    テラ豚丼と自由 ●「サルトル哲学における自由とは」 http://d.hatena.ne.jp/sarutora/20080708/1215483859 たとえば、私たちは、毎朝目ざまし時計がなると起床し、事や身支度をして学校や会社に行く、というような日常生活を送っている。しかし、「崖くずれが崖の上の石の落下を引き起こす」というのと同じように「目ざまし時計が私の起床を引き起こす」と言うことはできない。目ざまし時計の音が鳴った時、起床するという可能性を作り出すのは私たち自身だからである。つまり、崖の上の私に、崖から身を投げる可能性があったのと同じように、目ざまし時計の音を聞いた私にも、起きずにそのまま寝つづけるという可能性があるのである(会社はクビになるかもしれないが)。 私たちの日常生活は「芝生に入るな」とか、「税金を払いなさい」といったものをはじめとした様々な規則にかこまれている(これ

    常野雄次郎さんの言葉と行動を引き継ぐ会 - 猿虎日記
  • 浅間山荘と児童虐待──漫画『刻刻』について── - 猿虎日記

    数年前、風邪で寝込んでいるときに、当時話題になっていた『刻刻』(こっこく)という漫画をまとめて読みました*1。読み始めたら確かに設定が凝っていて引き込まれました。面白かったです。しかし、読み終えて、やはり筋と違うところで違和感が残った。まあ『プラネテス』を読んだ時と同じようなものです*2。というか最近の漫画はそういう感じを持たないもののほうが少ないのかも? ところで、『刻刻』とはどんな作品なのでしょうか(以下ネタバレあり)。 刻刻 コミック 1-8巻セット (モ-ニングKC) 作者: 堀尾省太出版社/メーカー: 講談社発売日: 2014/10/23メディア: コミックこの商品を含むブログを見る 「止界術(しかいじゅつ)」という時間を止めることのできる術がある。時間を止めるといっても、原理的には昔の『サイボーグ009』の「加速装置」と同じで、超高速に動くことで周囲の世界が止まって見えるよう

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  • 『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記

    注意!ネタバレあり! 幸村誠(ゆきむら・まこと)のマンガ『プラネテス』(講談社モーニングKC)について、むかし記事をかきました。 『プラネテス』のポリティカ その1 - 猿虎日記(さるとらにっき) よくやるのですが、「つづく」としたまま放置。きがつくと3年いじょう たっていました。あれから3年も たったというのが 信じられないのですが。 先日、上田亮(うえだ・りょう)さんが、この記事についてトラックバックをおくってくださいました。 『プラネテス』における「政治」について考える - 上田亮の只今勉強中 わたしが つづきで書こうと おもっていた、『プラネテス』のなかで「ひっかかった」ぶぶんについて、ほとんど書いて くださいました。 「テロリスト」が「愛の力」で「バッタリと活動を停止した」というところも そうです。つけくわえると、この「テロリスト」は「ハキム」という名前から わかるように、アラブ

    『プラネテス』のポリティカ その2 - 猿虎日記
  • 「ニッポンは素晴らしい」 - 猿虎日記

    また、サルトルか、と思う方もいるだろう。が、また、サルトルである。あしからず。とはいえ、サルトルのこの辺のものを掘り起こすのもおそらくここぐらいだろうとも思う(それはそれである意味絶望的なことでもあるのだが)ので、まあいいだろう。 今回のサルトルは、1957年のサルトルである。1957年5月*1、サルトル主宰の『現代』誌135号に掲載され、その後、論文集『シチュアシオン V』に再録された「みなさんは素晴らしい」という文章である(«Vous êtes formidables», dans Situations, V [«Colonialisme et néocolonialisme»], Gallimard, 1964. /二宮敬訳「みなさんは素晴らしい」『シチュアシオン V』(サルトル全集第31巻)所収、人文書院、1965年*2)。 60年前に書かれたこの文章、正直、「え?これ、今のニッポ

    「ニッポンは素晴らしい」 - 猿虎日記
  • 「サルトル嫌悪」を超えて*1 - 猿虎日記

    J.-P.サルトル著『家の馬鹿息子3』書評 『週刊読書人』2007年3月2日号掲載http://www.dokushojin.co.jp/70302.html ■家(うち)の馬鹿息子がやっと出たよ。 ▲ほう、三留してたお前のアホ息子、やっと大学を卒業したんかいな? ■いや、サルトルのだよ。 ▲へえ、サルトルの息子も劣等生か。 ■サルトルに子供はいないよ。『家の馬鹿息子』というサルトルのがやっと出版されたんだ。 ▲え?サルトルってまだ生きてたんか。確かしばらく前に生誕百年とか言うてたけど、えらい長生きやな。 ■いや、サルトルは一九八〇年に死んでいる。『家の馬鹿息子』の原書は一九七一年から七二年にかけて出版されたのだけど、遅れに遅れていたその翻訳の第三巻が、世紀をまたいでやっと出たのさ。 ▲ふーん。それにしても、サルトルといえば『嘔吐』や『存在と無』は有名やけど、『家の馬鹿息子』て聞いたこと

    「サルトル嫌悪」を超えて*1 - 猿虎日記
  • 「偽装」と「ねらい」 - 猿虎日記

    「被害者」と「加害者」 「仮放免者の会」のブログで、「難民偽装問題」をめぐる読売新聞での報道の問題点についての記事が連載されています。 第1回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html 第2回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/05/blog-post_30.html 第2.5回 http://praj-praj.blogspot.jp/2015/09/830.html とてもわかりやすく、読売に対する反論というだけではなく、入管問題全体の理解に役立つような記事です。 このブログ連載で批判対象となっている読売新聞の一連の記事は、難民申請者の外国人たちを「偽装難民」と決め付けつて貶めるものです。ところで、これらの記事は、(彼らの言う所の)「偽装難民」が増えることが一体どのような問題を引き起こしてい

    「偽装」と「ねらい」 - 猿虎日記
  • 食育から食史へ - 猿虎日記

    育」がどうの、という人々は、かならず「規則正しい事」と「毎朝朝を」などと言うようだ。 参照>http://d.hatena.ne.jp/sava95/20061124/p2 「育」を主張する人たちは、たぶん、グローバリゼーションとファーストフードの蔓延などを憂い、伝統的な文化の喪失を嘆く、みたいなことを言っていそうだ。 だが、その「伝統」というのがいったいどのように成立したのか、ということをさかのぼると、おそらく、「育」主義者の郷愁とはかけ離れた風景が現れてくる。すなわち、「伝統的な文化」なるものは、そもそも、グローバルなシステムとしての資主義の発展の中で形作られたものなのである。川北稔は「イギリス風朝の成立」を題材に、「規則正しい事」とか「毎朝朝」といった「伝統」がどのように形作られたかを示している。以下は、かなり前に『知の教科書 ウォーラーステイン』(講談社選書

    食育から食史へ - 猿虎日記
  • ことばがり、いいがかり、いいかげんにしろー!(ことばがりがりせんげん) - 猿虎日記

    まずは、サルトル『ユダヤ人』(岩波新書)のいっせつを しょうかいします。 われわれは、大革命以来、一つの物事にむかう場合、分析的精神を働かせるように、すっかり馴らされてしまっている。ある人物、ある性格を見るのに、まるで、単純な要素に分析出来る化合物か寄石細工であるかのように考え、そのうちの一つの石が、残りの他の石と混り合っても、すこしもその質が損なわれないと思い込む。従って、反ユダヤ的意見にしても、われわれにとっては、他のどんな分子とでも、すこしも変質することなく化合出来る一分子にすぎないと思われてくるのである。一方では、善良な父親か夫であり、勤勉な市民、洗練された知識人、あるいは博愛主義者であって、しかも、同時に反ユダヤ主義者たり得ると考えるのである。釣道楽だったり、恋を楽しんだり、宗教問題にはごく寛大だったり、中央アフリカの原住民の状態については、すぐれた意見に富んでいたりしながら、

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  • 猿虎日記 - 抵抗としての怠惰1&2

    1961年に出版された『地に呪われたる者』(鈴木道彦・浦野衣子訳、みすず書房)において、フランツ・ファノンはこのように言っている。 パリあるいはエクスで、アルジェあるいは、バス=テールで、幾度われわれは見たことか、黒人の怠惰paresse と言われ、アルジェリア人の、ヴェトナム人の怠惰と言われるものに、植民地原住民 colonisé が激しく抗議する姿を。にもかかわらず、植民地体制のもとで仕事熱心な自営農民(フェラー)、休息を拒むニグロこそ、まさしく病理学的個性にすぎないということは、まるで真実に反しているのだろうか。植民地原住民の怠惰とは、植民地機構に対する意識的サボタージュだ。それは、生物学的にみればみごとな自己防衛の一方式であり、また所詮は、国全体に及ぶ占領者の支配に、一定の遅延をもたらすものなのだ。 (邦訳291-2頁) このように、ファノンは「抵抗」「自己防衛」としての「怠惰」に

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  • 偽善者について - 猿虎日記

    まずその前に自分が「偽善者」と言われないように注意したいと思います。(12日コメント欄) いえ、そんな必要はないんじゃないでしょうか。偽善者で何が悪い、と思います。いや、偽善者は、まさに善人なのです。シブさんも言っています*1 だいたいね 日人のなん人かが偽善者だったとしても べつに さしさわりはないじゃないか たとえばだね…ケンの母さんが偽善者だったとしても ものの善人とおなじことをするなら… 善人の条件をそなえてることになるだろ…… ちゃんと善いことをするなら 偽善者でも善人だし べつにふつごうはないじゃないか… なんて。 ちなみに、「善人」の質的「偽善者」性を指摘したのが、サルトルです(cf.『聖ジュネ』)。サルトルによると、「善人」(まっとうな人々)というのは、「悪人」(たとえばジュネ)を怪物として作り出し、いわばその反作用で、自らを「善人」として作る人々、つまり「善人」にな

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  • 通俗的な、サルトル(笑) - 猿虎日記

    徐京植『秤にかけてはならない──日朝問題を考える座標軸』(影書房、2003年)に、内田樹氏のサルトル批判に対する徐氏の反批判がある、ということをrom_emonさんに教えてもらった。というわけでamazonで購入し、とりあえず該当箇所だけ読んでみた(他のところはあまりまだ読んでいない)。 徐──だから、多くの日の人々はやはり必勝不敗です。その一番典型的なのは内田樹氏です。彼は、最初から自分は負けているのだと頭をかいているけれども絶対に負けないのです(笑)。これほど退嬰した言説がもてはやされる日社会とは何なのかと思います。(……) 徐──そうですね、内田氏のことであまり時間を取らないほうがいいと思うけれども、やはり典型的に表れているのが、『ためらいの倫理学』(冬弓舎)のなかでの彼のサルトル批判です。「サルトルは、周囲のフランス知識人に先立って第三世界の被抑圧民族に謝罪することによって

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  • 猿虎日記 - ウヨーサヨーする時代の中で

    小田嶋氏をめぐる話の続きです。時間がないので簡潔に……。と思ったら超長く……。 NakanishiBさんがおっしゃるように、前回私がとりあげた小田嶋氏の記事トラバ先、すなふきん氏の議論は大変興味深いです。 左翼から右翼へ〜反抗思想の変遷 すなふきん氏は、前回私がとりあげた、小田嶋氏の偉愚庵亭憮録「ウヨ曲折」と、それに反論しているBUNTEN氏のBUNTENのヘタレ日記「サヨ(左様)か?」を取り上げ、双方とも違った興味深い観点を提出しています。すなふきん氏は、小田嶋氏の意見と、BUNTEN氏の反論を次のようにまとめています。 保守的な大人たちへの「反抗の象徴」としての左翼運動がいつしか反転し、今では右翼がかっこいいものとなってしまった。そこには左翼思想を基盤にする戦後民主主義思想が空気のように当たり前(体制化)になってしまった(よって反抗的なのはむしろ右翼になった)という事情があるという小田

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  • アジールとしてのネット - 猿虎日記

    もう一つ。私は「メンヘル系」のサイトを見にいったことはまったくありませんが、たぶん、rir6氏が言うように、リアルな世界での「公共なるもの」に苦しめられている人々にとって、ネットはアジール*1のような役割を果たしているのだろうな、と思います。ネットでしか「安らかに語れない」と思うひとがいることは充分考えられます。直接メンヘル系というわけではないですが、IS(インターセクシャル)の問題を扱った六花チヨのマンガ『IS』(第一巻) IS(1) (KC KISS) 作者: 六花チヨ出版社/メーカー: 講談社発売日: 2003/11/12メディア: コミック購入: 1人 クリック: 28回この商品を含むブログ (24件) を見るにも、IS同士がネットで語りあうシーンが出てきます。 結局いつもここでしか話せない 同じIS同士……自分たちの悩み……知り得るかぎりの情報……キーワード*2で守られた この閉

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  • 公共性の名の下に行使されるムラ社会的暴力 - 猿虎日記

    id:raheim氏の「メンタルヘルス系サイトに「無断リンク禁止」が多い件について」という文章を批判する、id:rir6氏の「『リンクは絶対に自由だ』のもとで迫害される人々」を読んだ。これを読む限り、私はrir6氏の意見にほぼ全面的に同意できるように思った。 その後、よんひゃん氏の「視線を分類する方法」を読んだ。こちらは、一読したところ、raheim氏に対して「比較的好意的な意見*1」と見える(必ずしもそうではないと思うのだが)意見。rir6氏からよんひゃん氏へのレスポンスはまだないようだが、rir6氏とよんひゃん氏の二つの文章を読んで少し考えたことを書いてみたい(raheim氏の文章はまだほとんど読んでいないので申し訳ないがさしあたり二人の文章のみを対象としたい)。 視線を分類する方法がない以上、オープンな場所にファイルを置いて、自分の望む人に閲覧してもらいたい、自分の望まない人には閲覧

    公共性の名の下に行使されるムラ社会的暴力 - 猿虎日記
  • 語法を語る語法について - 猿虎日記

    http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060408/p1 「言い方」とか「語法」の問題が大事だ、という話はよく聞く。特に、左翼的な主張について、「内容はともかくああいう「言い方」(「審問の語法」とか)では多くの人々の賛同を得られない」とか、「共感を得られないのはああいう言い方をする人も悪い」というようなことがしばしば言われる。もちろん、そうした指摘は当たっている面はあると思う。そして、「言い方なんかどうでもいい」とは言えないことは確かである。しかしそれにしても、それはあくまで「言い方「も」大事」ということであって、言い方のことしか問題にしない、という(例えばいわゆる左翼に対する)批判には、やっぱり違和感がある。 たとえば、「あの商品はパッケージのデザインが悪い。あんなんじゃ売れない。」とどこかで言っている人がいたとする。で、そういうことを言っている人が、「

    語法を語る語法について - 猿虎日記
  • 呉の単純な悲単純性(小田実『日本の知識人』を読んで 1) - 猿虎日記

    呉氏は、小田氏が「単純な反戦派」ではない、つまり、「単純ではない」と指摘する。それを指摘する自分ももちろん「単純ではない」と言いたそうである。 では、呉氏が言う「単純ではない」とは、果たしてどういう意味なのだろうか? 実はそれは、非常に「単純」なのである。呉氏は、どういう意味で「小田は単純ではない」といっているのか? それはつまりこういうことだ。「小田は大東亜戦争の二面性を40年前に強調していた。だから、小田は二面性をもっていたのであり、単純ではなかったのだ」。呉氏は、小田氏の主張を引用しつつ、こう言う。 日露戦争でアジアの新興国日が大国ロシヤを破ったことはトルコなどを力づけた。太平洋戦争(大東亜戦争)も、結果的には敗北であったが、日の奮闘はアジア・アフリカ諸国の励みになった。 ここから見ると、呉氏が言う「大東亜戦争の二面性」とは、どうやら「大東亜戦争は良い面と悪い面の二面があった」と

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  • 「平和国家 日本」という妄想 - 猿虎日記

    「憲法9条にノーベル賞を」運動に賛同する議員に改憲主義者がいる、という話についての↓の記事 付け加えるならば、日人の「平和国家 日」という妄想が右も左も関係なく成立しうることの証左でもあるんではないでしょうか。 安倍さんたちがのどから手が出るほど欲しいのも「平和国家 日」ていうイメージですよね。だから「積極的平和主義」とかぬかしてるわけで。賞をもらえたとしたら安倍さんへのナイスアシストを護憲派が主導するという悪夢になることでしょう。 http://d.hatena.ne.jp/EoH-GS/20140531/1401535751 これを読んで、何年も前に下書きまで書いて放置してて、その下書きもどこかにいってしまったネタを思い出したので、書き直すことにしました(たいしたことではないけど)。 コンビニに、新刊のマンガや小説が数冊並んでいたりしますが、4・5年以上前、そこに『皇国の守護者』

    「平和国家 日本」という妄想 - 猿虎日記
  • これはひどい観念論者ですね - 猿虎日記

    たまたま見たNHK9時のニュース。「なぜ減らない 戸籍のない子ども」という特集を途中から見た。 民法772条の「離婚後300日以内に生まれた子は前の夫の子とする」といういわゆる「300日規定」のため、子供が無戸籍になってしまうケースがある。いわゆる無戸籍児の問題である。 戸籍制度というもの自体が差別だが、この300日規定なるものは、明治時代にできたもので実情に合わない、とかそういうこと以前に、そもそも「貞操義務に反した」*1女性に対して(しかもその子供をいじめることで卑劣にも)嫌がらせをする、という目的がみえみえな、まあ「差別が法律という服を着て歩いている」というようなものだろうか。そういう法律はめずらしくないが。 さて、ニュースでは、この無戸籍児が役所に受けた仕打ちについて証言する母親のインタビューがあった。戸籍がないことで、子供は、定期健診や予防接種などが受けられず、母子手帳は空白のま

    これはひどい観念論者ですね - 猿虎日記
  • 『嘔吐』新訳とSome of these days(追記あり) - 猿虎日記

    上は、サルトルの『むかつき』という小説の主人公、ニートのろかんタンです。 ……というわけで、このたび、サルトルの有名な小説『むかつき』=『嘔吐』の新訳が人文書院から出たのです。 嘔吐 新訳posted with amazlet at 10.07.26J‐P・サルトル 人文書院 売り上げランキング: 2557 Amazon.co.jp で詳細を見る『嘔吐』の原著が出版されたのは1938年です。1947年に白井浩司さんが最初の翻訳を出版し、その後その訳は1951年に人文書院の「サルトル全集」に入ったようです。1994年に、白井浩司さんによる改訳新装版が出ていますが、新たな訳者による新訳としては60年ぶり、というわけです。今回の新訳の訳者は鈴木道彦さんです(日サルトル学会の会長さんもあります)。人文書院の商品説明によると、新訳は「若い読者にも長く読みつがれるように読みやすく訳した軽装版(人文書

    『嘔吐』新訳とSome of these days(追記あり) - 猿虎日記
    fromAmbertoZen
    fromAmbertoZen 2014/05/20
    『むかつき』ってタイトルいいな。サルトル、ソフィー・タッカー、"some of these days"
  • となり町戦争 - 猿虎日記

    やっと三崎亜記氏の『となり町戦争』を読みました。買おうと思ったときに限って屋においてなかったりしたのですが、買った後はすぐ読んでしまいました。なるほど。なかなか面白かったです。id:t-b-s:20050212:p2 にもありますが、この物語は、となり町の戦争が描かれているから「シュール」な話、というわけではまったくない。むしろ、ここに描かれているのはまさに「私たちの生きている世界」なわけです。私たちは戦争の世界を生きている。戦争は今も私たちのまさに「となり」にある。ところが私たちはそのことを感じようとしない。著者はこのフィクションを書くことによって、「となり町戦争」を「ありえないこと」「フィクション」と思ってしまう私たちの感覚自体を、暗に批判しようとしている。虚構をリアルに描くのが優れたフィクションであるとすると、この物語は、戦争を虚構と思ってしまう私たちのリアルを、リアルに描いている