束帯を着用した田中 田中 義一(たなか ぎいち、1864年7月25日〈元治元年6月22日〉 - 1929年〈昭和4年〉9月29日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。 陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)、拓務大臣(初代)を歴任した。 生涯[編集] 生い立ち[編集] 元治元年6月22日(1864年7月25日)、萩藩士・田中信祐、みよの三男として、長門国阿武郡萩(現:山口県萩市)にうまれた。父は藩主の御六尺(駕籠かき)をつとめる軽輩者の下級武士だったが、武術にすぐれた人物だったという[要出典]。 13歳で萩の乱に参加。若いころは村役場の職員や小学校の教員を務めた後、20歳で陸軍教導団に入る。 軍人として[編集] 軍装を着用した田中 陸軍士官学校(旧8期)、陸軍大学校(8期)を経る。日清戦争に