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  • 称賛の時定数について - レジデント初期研修用資料

    小学生だった大昔、通っていた日能研の学習塾では、理科の授業ではいつも、「君は天才だね」という評価をもらった。 「天才だね」は理科の先生が口癖にしていた言葉で、理科の授業中は、クラスの誰もが「天才」で、問題に正解しようが間違えようが、あるいは口ごもった時にだって「君は天才なんだから」とおだてられ、とにかく自分の考えかたを口にできれば、先生からは「君は天才だね」のお墨付をもらえるのが常だった。 反応時間は短くなっていく いつからの機能なのか、Twitter で何かを書くと、専用ブラウザだと書き込みの横に、RTされた数が記載されるようになった。ブラウザでTwitter を眺めても、自分の書き込みがどれだけのお気に入りに登録され、どれだけのRTを獲得できたのか、書いた言葉の「価値」みたいなものを数字で把握できるようになった。 Twitter の最初の頃、いろいろ書いてはフォロワーの数字を眺め、数日

    heppokoneko
    heppokoneko 2013/06/05
    "あの頃1ヶ月持った反応は、今だったら日単位、下手すると分単位、秒単位で消費されてしまう。""食卓の上に1週間分の食料品が置かれていれば、まとめて食べれば体を壊すことは自明なのに、肯定的な評判になると、同じ
  • 言葉の伝わりやすさについて - レジデント初期研修用資料

    とくに仕事で使うことを前提にするのなら、丁寧な言葉よりも、伝わりやすい言葉を心がけるべきなのだと思う。 伝わりやすさには深度があって、言葉の最前に動詞を持ってくるのが最初の段階、もう少し慣れたら、動詞の代わりに要約を置くことができると、言葉はさらに分かりやすくなる。自分がどうしてほしいのかではなく、自分が情報を出すにあたって相手は何が知りたいのか、聞き手にとっての「要するに」を想像して、それを言葉の最前に配置することができるようになると、言葉はさらに伝わりやすくなる。 丁寧な言葉は伝わりにくい 漠然と丁寧な言葉というものは、会話の内容が伝わりにくい。 ぶっきらぼうな言い回しよりも丁寧な言い回しは好まれて、だれでもたぶん、仕事をする人は「丁寧な会話を心がけましょう」なんて教わっているものだから、電話の冒頭はたいてい、話者の挨拶が最前に来て、「今お時間は大丈夫でしょうか」みたいな時候の挨拶が後

  • 必要なものとほしかったもの - レジデント初期研修用資料

    「必要なもの」の反対語は「ほしかったもの」なのだと思う。 必要なものは目的が作り出す。たいていはいつでも買えるし、買った結果は見通せる。ほしかったものは出会いが作り出す。出会ったその瞬間まで、お客さんは「それがほしかった自分」がいたことなんて想像だにしない。 必要なものはあらかじめ想定された選択肢であって、買い叩かれる対象でもある。それが必要なものになったその途端、その商品は価値を失うと言い換えてもいい。欲しかったものは、出会う時まではお客の頭に存在しない。選択とは無縁の何かで、価値は下がらない。 田舎のホームセンターは十分に大きくて、必要な物はなんだって揃っているのに、欲しいものが何もない。何かの機会に東京に出かけると、地下街を歩くのが常なのだけれど、欲しかったものばかりがそこにあってびっくりする。実際にそれが必要かといえばそうでもないし、ホームセンターを探せば、欲しかったその商品と同じ

    heppokoneko
    heppokoneko 2012/07/30
    特に私は洋服とかでそうなんだけど「必要な要素(長袖だとかワンボタンだとか)をすべて満たすモノ」が必ずしも欲しい物ではない
  • 歩きかたと登りかた - レジデント初期研修用資料

    研修医だった大昔、患者さんが病棟に上がってきても、オーダーを出すのが大変だった。 ある病名を背負った人に何を行うべきなのか、知識としては一応持っていたのだけれど、それをどうすれば「オーダー」という記法に落とし込めるのか、思うところを書いても、病棟からは「これでは指示を受けられません」なんて突き返されたり、「ふつうに点滴をつないでおいてくれればいいから」と言われた患者さんがいて、じゃあ「ふつう」とは何なのか、ラクテックなのか、ソリタT3なのか、まずはそこから分からなかった。生まれて初めて処方した「ふつうの」輸液製剤は10% EL 3号で、それを書いたら「どうしてEL なの?」なんて、先輩の研修医から怒られた。 駆け出しの当に最初のこの頃、けっこう長い期間途方に暮れて、たまたま集中治療室の患者さんを受け持つ機会があって、婦長からはじめて、「オーダーの書きかた」を教えてもらった。オーダー用紙に

    heppokoneko
    heppokoneko 2012/07/13
    "知っていることと、オーダーできることとの差異は本当にわずかなのだけれど、一度知った人間にとっては意識するまでもないことが、研修医には絶望的な壁に思える。一度聞いたら自分も壁の向こう側にいけるのに、ど"
  • 美談の受益者について - レジデント初期研修用資料

    認知症の老人が紙幣の代わりにティッシュペーパーを出したときに、素晴らしい対応をしたレジ打ちの人がいたという記事 を読んだ。 ヘルパーの方と街を歩いていたおじいさんがハンバーガーショップに入り、会計の時に「紙幣」として取り出したものがティッシュペーパーだったのだと。 「それは紙幣ではありません」と応対すれば済むことだけれど、それをやると、認知症の人を傷つけてしまう。レジ打ちの人は気を効かせてくれて、「申し訳ありません。当店においては現在、こちらのお札はご利用できなくなっております」と応対してくれ、おじいさんは自身が傷つけられることもなく、間違いに気がつくことができたのだという。 これは間違いなく美談であって、レジ打ちの人は素晴らしい応対を行ったことにはなんの異論もないのだけれど、こんな話が「美談」として広まることには、個人的にはあまり同意できないな、とも思う。 美談は現場を苦しめる レジ打ち

    heppokoneko
    heppokoneko 2012/03/19
    元記事のレジ打ちの人の対応がよかったのはよかったので、それを当たり前の水準としていいのは付いてた介護士の人の側であってレジ打ちのスタンダードにしちゃいけない
  • 「普通」の標準偏差 - レジデント初期研修用資料

    「守り」のことを考えた際には、デモ行進や不買運動といった集団活動と、サービス業における接遇対応とは、注意すべきポイントが似かよってくる。 印象は裾野が決める デモ行進のようなアピール活動を、「普通に」行うことはとても難しい。訴えたい何かがそこまで極端なものでなくても、集まった人の大半が、無難なやりかたをしていても、報道されたり、写真に撮られたりするのは一番過激な誰かであって、集団の訴えとして取り上げられる声もまた、一番極端な誰かが全体の印象を決定してしまう。 正規分布の中央部分に相当する人たちがどれだけの高みを目指しても、印象は裾野を受け持つ誰かが決める。デモの意志に反対したい人も、それを面白おかしく取り上げたい人も、注目は裾野に集中する。大多数が受け持つ「平均」を見てもらおうと、裾野にいる誰かを、「裾野である」ことを理由に切断すれば、今度は集まりの大義が失われてしまう。 正義の旗印で人を

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/09/24
    "集団行動と対峙する側は、最も極端な反応をした誰かを捕まえて、「あの集団はこんな人ばっかり」と嘆いてみせる。それが極端であるほどに、「こんな人」扱いされたくない多数が抜けて、集団は瓦解する"
  • 「できない」がチームを作る - レジデント初期研修用資料

    チームを作って何かするときに大切なのは、「できない」ことの把握なのだと思う。誰もがたぶん、何らかの「できる」を持ち寄ってチームを作る。「できる」はもちろん大切だけれど、お互いの「できない」を共有することで、個人の集まりははじめて、チームとしての機能を獲得できる。 神経内科は怖かった 今いる施設にはいろんな患者さんが紹介されて、自分の手に負える患者さんもいるけれど、もちろんそうでない患者さんも多い。特に神経内科方面の症状を訴える患者さんが紹介されて、頭部の画像診断で、少なくとも素人目には明らかな問題がない場合には、うちの施設ではほとんど「お手上げ」になってしまう。 県内には神経内科を標榜する施設がいくつかあって、大学にはもちろん医局があるし、外来を持っている施設も、神経の専門を掲げている施設もあるのだけれど、「こんな患者さんがいるのですが、診療していただけないでしょうか?」なんてお願いすると

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/08/28
    "「できない」で連携する""「できない」の実装はその代わり、今度は機能を削ることになるから、今までできたことがどうしてできなくなるのか、それを使いにくいと感覚する人が出るかもしれない。"
  • 価値の判断は面倒くさい - レジデント初期研修用資料

    「それが自分にとって面白いのかどうか」を判断するのは面倒な仕事で、人間は、その気になればどこまでも怠惰になれる。 流行しているサービスや、景気の悪いときでもお金を生んでいる産業というものは、そうした面倒くささを回避する仕組みを持っている。顧客から判断の機会を奪うことが、結果としてお金を生むことにつながるのだと思う。 楽は楽しい たとえば早朝の時間帯、当直の起き抜けは、自分の頭が一番働いていない瞬間の一つであって、を開いたって何一つ頭には入ってこない。 ネットを見たところで、状況はそんなに変わらないのだけれど、たとえばTumblr みたいなサービスは、頭がどれだけ回っていなくても、それなりに文章を追っかけられて、何かを楽しんだ気分になれる。 Tumblr のダッシュボードには、自分以外の誰かが「これは面白い」と判断した文章の断片が、自動的に更新されていく。文章は抜き書きみたいなものだからた

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    heppokoneko 2011/08/25
    "面倒で面白いものは大事""面倒なメディアは、本屋さんや映画館の中には存在しているけれど、ネットにはなかなか出てこない。このあたりがまだ、インターネットには欠けている部分でもあるし、斜陽化しているなんて言
  • 状態を動作で記述すること - レジデント初期研修用資料

    「アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 」 というの感想。続き。 チェックリストを作ることの効果というものは、「正常」を言語化できることにあるのだと思う チェックリストを作るときには、たとえば「○○が正常に接続されていることを確認する」だとか、正常という言葉をリストから追放することが求められる。それを許してしまうと、「正常とは何か?」という疑問に対して、「正常であることだ」という間抜けな答えしか返せなくなってしまう 正常であることを、「異常でないこと」でしか記述できない人は多い。ある定状状態にあって、それなりにきちんと動いている何かを見て、どうしてそれがきちんと動いているのか、突き詰めて考えている人は少ないしだろうから 医療において健康という状態は、「病気でない」ことでしか記述できない。医学的に正しい健康品というものは存在しないし、西洋医学の薬というものは、基的に病気でない状態

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/08/11
    "医療において健康という状態は、「病気でない」ことでしか記述できない。医学的に正しい健康食品というものは存在しないし、西洋医学の薬というものは、基本的に病気でない状態にするためのものであって、十分健康
  • 砂場としての2ちゃんねる - レジデント初期研修用資料

    ネットは年々厳しくなっていくように思える。 ルールは昔を引き継ぐものだから、昔からいる人たちはすでにルールを知っていて、ルールはますます複雑に、あとから入ってきた人には分かりにくいものになった。ネットワークでできることはずいぶん増えて、ネットのうわさ話がニュースに取り上げられる機会も増したけれど、結果としてこれは、「やってはいけないこと」をやってしまった人が負うべきペナルティを、ずいぶん重たいものにしてしまった。 取り返しのつかない状況に陥るまでの時間も短くなった。HTML の昔なら、記事を書いて検索エンジンに取り上げられるのに1週間ぐらいかかったけれど、blog の記事をネットに上げると、5分もすれば Google の検索に引っかかる。Twitter はもっと速くて、書いて1分もすると、もう検索サイトにログが残って、そうなるともう、自分では記事をコントロールすることができなくなってしまう

    heppokoneko
    heppokoneko 2011/07/24
    "あの場所は、素人が安全に痛い思いをするための仕組みが備わっていて、警戒心と無難な振る舞いが、遊んでいるうちに身についた。そういう意味で、初心者に一番優しい2ちゃんねるが怖いところだと喧伝されて、本来は
  • 理念とは卑怯の提案 - レジデント初期研修用資料

    30年以上も昔、担任の先生が産休に入って、代打要員として、音楽の先生が県から派遣されてきた。ちょうどその頃、県の音楽コンクールが重なっていて、「どうせでるなら勝ちましょう」なんて、いろんなことを教わった。 柔らかい音を出す 「トライアングルを柔らかく鳴らしましょう」というのが、演奏の課題として取りあげられていた。 どれだけの感情を込めたところで、あれだけシンプルな楽器を「柔らかく」鳴らす術は分からなかったのだけれど、その先生は、「柔らかいとは、紐の根を固く持つことだ」なんて教えてくれた。「柔らかい」というのは、要するに響きの減衰が早いことと同義であって、トライアングルを吊っている持ち紐の、トライアングルに一番近い場所を固く握ることで、音は「柔らかく」鳴るのだと。 縦笛を鳴らす人は、パートが終わった瞬間に両手を膝の上に置くときれいに見えること。シンバルを叩く人は、叩いたあとでシンバルごと「

  • フィクション欠乏症について - レジデント初期研修用資料

    「大人になること」というのは、「何かに飽きる」ことと同義であって、ある分野に対して飽きることに失敗したまま、 資金力や実行力ばかりが身についた「大きな子供」は、しばしば暴走して、とんでもないことをしでかしてしまう。 オカルトの摂取は大切 たとえばオカルトを恒常的に摂取している人たち、今でもムーを欠かさない自分みたいな人間は、オカルトというものを楽しみこそすれ、 それを心から信じ込んだり、何かのオカルトグッズに全財産をつぎ込んだりといった行動は、逆に出来ない。 オカルトがどれだけ魅力的でも、20年もつきあっていれば飽きが来るし、人間の想像力には限界がある以上、 オカルトマニアがどれだけ想像力を駆使したところで、新しい神秘はなかなか出てこないものだし。 「飽き」という現象は、恐らくはオカルト以外のどんな分野にもあって、力を持てない子供のうちに、そうした極端なフィクションをたくさん摂取して、 そ

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