竹内研究室の日記 2019 | 01 |
中学でも、高校、大学でも最近の学校は 「創造性を持った課題解決能力の教育をします」 「プレゼン力、コミュニケーション能力を育成します」 とアピールするところが目に付きます。それに、「グローバル力」を付ければ役満でしょうか。 これは企業が欲しい学生像だったり、学生が就活でアピールする時の言葉でもあります。 しかし、私も教育に携わる一員として、このような風潮がいまひとつ理解できません。 基礎の学力ができていない学生に特殊な教育をすれば、課題を解決できるようになるのか? 話す内容を持たない人が卓越なコミュニケーション能力を発揮してプレゼンできるのか? 学生もかわいそうです。 基礎の教育がおろそかのままで、「創造性を発揮して」「課題を解決し」「プレゼンしろ」と言われたら、デタラメを堂々と話す若者が量産されるのは必然です。 問題なのは若い人ではなく、そうした人を育成しているシステムです。 現在の「課
青色LEDのノーベル賞を契機に、日本の技術力はこのままで大丈夫なのだろうか、なぜ日本企業・日本社会が変われないのか、そして社会や企業はどうするべきか、という議論が始まっています。 これは「古くて新しい問題」で10年以上前から言われていても、なかなか解決できない難しい問題です。 なぜ解決が難しいかというと、「過去の成功が大きいほど組織を変えることは難しい」ことがあります。 経営学では「イナーシャ」と呼ばれ、「慣性の法則:一度走り出すと止まることは難しい」。 企業や社会が成功体験を積むにつれ、成功モデルがより強固になるように組織は最適化されて行きます。 これは経営や政策としては「正しい」ことです。 日本の電機メーカーで言えば、80年代から2000年代初頭まで続く、「アメリカのコピーと言われようが、高品質な製品を安価に製造する」というモデルですね。 その場合には、人事制度も、「一人のスター技術者
中村修二さんがノーベル賞を受賞されたことから、お祝いとともに、日本の科学技術の今後について心配する声など、メディアの方の取材の依頼を受けるようになりました。 本当はフラッシュメモリがフラッシュメモリにノーベル賞が授与され、開発チームの一員、当事者としてメディアの取材を受けたかったのですが仕方ない。日本の技術者の処遇を考えるきっかけになれば良いと思います。 問い合わせて頂く内容は例えば、 「日本の技術者は虐げられているのではないか」 「ノーベル賞は日本の経済が良かった時代のもので、これからの日本の科学技術は競争力があるのか」 「日本の技術者・研究者は報われないのではないか」 「日本の大学の研究環境は悪化するばかりではないか」 「特許法の改正で特許の帰属が発明者から企業に変わることで、更に技術者のモチベーションが下がるのではないか」 個々の取材にお答えするのも面倒なので、このブログでお答えしよ
青色レーザーダイオードを実現した赤崎先生、天野先生、中村修二さんがノーベル賞を受賞されました。本当におめでとうございます。 特に中村修二さんは企業(日亜化学)での仕事で受賞したわけですから、私は中村さんよりも下の世代ですが、企業で技術者だった私は大変勇気づけられました。 大変失礼な言い方をすると、赤崎先生は偉すぎて雲の上の存在ですが、中村修二さんならひょっとしたら自分もなれるかもと、企業などで実用研究をしている技術者にも思われるところがあるのが、今回のノーベル賞は良いですね。 また実は私は学部、修士の時に青色レーザーに関連する研究をしていたので、昔(学生時代)を思い出して感慨もひとしおです。 当時は青色レーザーを目指して、今回受賞したGaNとZnSeが激しく競争。いずれの陣営も日本の企業・大学が中心で、「日本を制したものが世界を制する」という、日本の黄金期でした。 私は「負け組」であるZn
東芝をやめて大学に移ってから7年が経ちました。大学に移った当初は全く研究資金が無くて金策に走る毎日。そうしているうちに助けて下さる方いて、何とか研究室を立ち上げることができました。 当時はまだ日本の半導体はそれなり頑張っていたので、半導体産業への期待という意味で国家プロジェクトが立ち上がり、その恩恵も受けました。 おかげさまで研究室が立ち上がり、研究スタッフも集まり、多くの方のご支援のおかげで、自分では思ってみないほどの成果をあげられました。 まさか毎年ISSCCで発表できるなんて、思ってもみませんでした。 研究はとても好調ですが、実は今、予想外の逆風にさらされています。 自分の研究は順調だし、古巣の東芝のフラッシュメモリ事業も絶好調、ビッグデータを蓄えるストレージ産業も絶好調。自分の周辺だけは何の問題もありません。むしろ、状況は良くなる一方。 ところが、気付くと、周囲の他の日本の半導体や
サッカーのワールドカップで「日本らしいサッカー」という言葉を良く聞きます。 「日本らしいサッカーをできれば勝てる」とか「日本らしいサッカーができなかったから負けた」とか。 日本の試合の第一戦は私は飛行機の中、第二戦は講義だったので、見ることができたのは第三戦だけだったのですが。 実際に見もしないで言うのは何ですが、選手の言葉の、「日本らしさ」にどうも引っかかるものを感じました。 というのも、サッカー選手に限らず、「自分らしさ」とか「**らしさ」というのははやり言葉のようで、特に若い世代によく聞きます。 高度成長期の欧米に追い付け、追い越せといったやり方から、80年代から90年代に一度は世界の経済の頂点に立ち、自分で新しいものを創造しなければいけなくなった。 また、今では技術開発ではアジアの国々に追い付かれてしまい、単なるキャッチアップの戦略ではコストやスピードで負けてしまう。 そこで、個性
STAP細胞は研究成果の疑惑から博士論文のコピペにまでなってます。 あたかも成果さえ出れば博士論文なんてどうでも良いのでは、ということまで言う人が出る始末。 そこで、そもそも博士論文とは何か?、について書いてみようと思います。 まず私は大学院は修士で卒業して博士課程は行っていません。 博士論文は東芝での研究をまとめたもので、論文博士。博士とは何たるか、語る資格が自分にどれだけあるか、自信があるわけではありません。 むしろ、博士課程の学生を指導しながら、自らも博士とは何たるかを学んでいるところもあります。 ですから自分ができているかはさておき、「博士とはこうあるべき」という、いわば自分が理想にしていることについて書こうと思います。 技術や科学は日進月歩で進化するもの。逆に言えば、世界初の成果も、すぐに否定されるのです。 ISSCCのようなトップ学会では、「世界一であるか」が厳しく問われます。
今の電機メーカーの凋落、日本のトップスクールの秀才を集めて、どうしてこうなったのでしょうか。 私は東大で教えていますし、東大出身ですので、「お前なんかに言われたくない」って言われそうですが、時代が求められていることが大きく変わったと思います。 いわゆる、学歴秀才というのは、試験のように、環境が整った中で答を素早く、正確に求めることは得意。 例えば、LSIでは、製品の仕様が決められたら、最適な回路の設計をするのは上手です。 これを、解決力と呼びましょう。 でも、そういった技術の最適化では、差別化ができなくなってきた、というのが今の電機メーカーの凋落の原因の一つではないでしょうか。 世界中で、優秀なエンジニアは増えましたし、良い技術を作っても、メールやネットで世界中にすぐに知れ渡るようになりました。 むしろ、いま必要なのは、誰も答を知らないもの、一見不可能と思われるものの中にチャンスを見出すこ
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