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ブックマーク / number.bunshun.jp (9)

  • 中学2年、川崎がイチローを知った日。「大体おかしいじゃん、カタカナだし」(川崎宗則)

    川崎宗則が昨年の7月11日にヒーローインタビューで発した「See you tomorrow」という言葉は、あまりにキュートだと世界中にファンを生んだ。 「メジャーで最も愛される日人選手」こと、川崎宗則選手。 苦労は表に出さず、苦しい時こそ前にでる。 そんな、野球小僧の人生論がになりました。 3月26日発売の『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』より、 Number Webでは特別に、イチロー選手との出会いの項を公開します。 小学生から中学2年まで、おれは右バッターだった。 右利きだったし、右で打つのが当たり前だと思ってたからね。小学生のときは、ランニングホームランも打ったし、ヒットもけっこう打ててたと思う。 それが中学に入ったら、先輩たちより打球が遠くへ飛ばないことに気づいた。みんな体が大きいのに、おれは細くて、背もそんなに高くなかったから。中学1年のときは、バットが重くて、振れ

    中学2年、川崎がイチローを知った日。「大体おかしいじゃん、カタカナだし」(川崎宗則)
    holypp
    holypp 2014/03/26
    いい話だなー>イチロー選手のことが気になって、気になって、初めて自分のお小遣いで本を買った。それが『イチローのすべて』という本だった。夢中になって読んだ。
  • 「シンジ、マドリーに来ないか?」モウリーニョが香川を誘った日。(豊福晋)

    インタビューをしていると、時として思いがけない発言に出くわすことがある。 こちらがまったく予期していなかったことを話し始めたり、想定外の意見がでてきたり……。インタビューというものは話の流れをある程度計算して進めるものだけれど、そういった部分に関しては計算ができない。そして当に面白い話というものは、大体がそんな予期できないところから生まれるものだ。 今回、10月下旬にロンドンでセッティングしたジョゼ・モウリーニョとのインタビューでもそんなことが起きた。 取材も終盤に差し掛かった頃のことだ。モウリーニョはふとある話を始めた。 それは香川真司についてだった。 「実はまだレアル・マドリーの監督だった頃、私はカガワの獲得に動いていた。実際に我々は彼と話をした。ぜひレアル・マドリーに来てほしい。このチームで一緒にプレーしないかと」 モウリーニョが実際に香川と接触していた――。 香川のドルトムントで

    「シンジ、マドリーに来ないか?」モウリーニョが香川を誘った日。(豊福晋)
    holypp
    holypp 2013/11/14
  • 実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!(村瀬秀信)

    退任の記者会見にて「中日以外のチームから監督のオファーがあればどうしますか」との質問に対し、「話があれば聞く」と答えた落合博満氏。「初老の男性に戻った。映画館の右の後ろで女房と映画を観たり、温泉にでも行きたいと思います」というコメントも残している 非常に楽になりました。監督という肩書は結構重たい。それを外して、普通の57歳か58歳の初老の男性に戻ったということじゃないでしょうか――。 11月22日。中日ドラゴンズ・落合博満監督の退任会見が名古屋市内で行われた。キャンディーズの解散会見、いや、10月31日にあった橋下大阪府知事の「普通の42歳に戻りたい」発言に続く、異能者たちだけに許された「普通の○○に戻る」発言は、落合博満がドラゴンズ監督としての重責を全うしたことを告げる最後の言葉となった。 思えば監督就任となった'03年10月8日の会見での、「どういうタイプの監督になるかは誰にもあてはま

    実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!(村瀬秀信)
    holypp
    holypp 2011/12/04
    落合は天才だよ。同じ秋田の私が言うんだから贔屓だけど、天才だよ。何言ってるか分からないのがむしろ普通だと思う
  • <村上春樹ランを語る ライナーノーツ> 「限りなく蛇足に近いインタビュー後記」- Number Web

    Numberのランニング特集第2弾、Number Do「100人が語るRUN!」特集 では、フルマラソン完走30回以上を数える村上春樹さんへのロング インタビュー「僕は走り続けてきた、ばかみたいに延々と」を掲載しました。 Number Webでは、雑誌で紹介しきれなかったエピソードや取材時の模様を 「インタビュー後記」として特別公開。「村上春樹のランを読む」ための ブックガイドも収録しました。 村上春樹さんへのQ&A 「そうだ、ランナー村上さんに聞いてみよう」と あわせてお楽しみください。 2011年2月9日水曜日。穏やかに晴れた冬の日の午後、東京の駒場東大前にある瀟洒なハウススタジオで村上春樹さんへのインタビューは行なわれた。 インタビュー開始の1時間前、今回の企画の責任者、Number編集部の涌井くんがタクシーで村上春樹さんを事務所へ迎えに行く。緊張のせいか、もともと強ばっている顔がさ

    <村上春樹ランを語る ライナーノーツ> 「限りなく蛇足に近いインタビュー後記」- Number Web
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    holypp 2011/06/03
    『走ることについて語るときに僕の語ること』 (文藝春秋、2007年)買ってきた。
  • <有名人から読者まで> 教えてカズ先生 ~44歳のキングに44の質問~ <4限目>(三浦知良)

    ときに称賛され、ときに批判され、44年の人生で酸いも甘いも 噛み分けてきた男、キング・カズ。そんな人生の先輩に、 どうしても聞きたいことを著名人と読者の方々から大募集しました。 サッカーを始め、事、ファッション、女性観から私生活のことまで ――多岐にわたる44の質問に“カズ先生”が真摯に答えてくれました。 Number778号に掲載されたQ&Aは44。カズの背番号と同じ11個ずつ 公開してきたウェブ連載は今回が最終回です。 Q.34 蒸留酒系しか飲まないなど節制されているカズさんですが、そのストイックさが私にはありません。どうやったらそのストイックさを私なんかが身に付けられますかね?(堀江貴文・ライブドア元社長) 僕は人生はプラスマイナスだと思ってるんですよね。喜びを得るためには、どこかで我慢しなければいけないというのが基の考え方なんです。堀江さんの場合は頭がいいから、何かを我慢しなく

    <有名人から読者まで> 教えてカズ先生 ~44歳のキングに44の質問~ <4限目>(三浦知良)
    holypp
    holypp 2011/06/03
    最終回、おもしろい>どうやったらそのストイックさを私なんかが身に付けられますかね?(堀江貴文・ライブドア元社長)/夜もキングですか?(30代・女性)
  • <蘇る死闘2010> 本田圭佑 「あのゴールは想定内だった」(木崎伸也)

    劣勢を覆すカメルーン戦の先制点と、予測不能の軌道で ネットを揺らしたデンマーク戦でのフリーキックは、試合前、 すでにイメージができていたという。 日本代表をW杯ベスト16に導いた想定内の2ゴールは いかにして生まれたのか。 2010年のナンバーMVPに輝いた田圭佑の激動の1年と、 大舞台で力を発揮するための独自のメンタルに迫った。 マイナス20度。 ここまで気温が下がると、目の中に入れたコンタクトが凍りつき、失明する恐れがあるそうだ。だが、それほどの極寒にもかかわらず、モスクワのヒムキ・スタジアムには約4000人の観客が駆けつけ、ゴール裏の一部のサポーターは上半身裸になって気焔をあげていた。 12月2日、ヨーロッパリーグF組、CSKA対ローザンヌ――。白い息を吐きながら、ピッチの中央に田圭佑が立っていた。 与えられたポジションはボランチで、希望するトップ下ではない。7月にはスルツキ監督

    <蘇る死闘2010> 本田圭佑 「あのゴールは想定内だった」(木崎伸也)
  • <独占インタビュー> 朝青龍 「日本人の宝物になりたかった」(城島充)

    突然の引退劇から約半年。沈黙を守り続けた平成の大横綱が、 ついに重い口を開いた。相撲人生、今後の進路そして暴行騒動。 今まで誰にも話せなかった胸の内とは――。 「鼻の奥で、懐かしさを感じてきたよ」 インタビュー場所に指定した錦糸町のホテルに現れた朝青龍は、そう言いながら太い首に巻き付けたネクタイを少しゆるめた。10月3日に引退相撲を控えた第68代横綱はほんの数十分前、両国国技館にある日相撲協会に足を運んできたばかりだった。 「相撲協会には鬢付け油と汗と……なんていうのかな、いろんなものがまざった独特の匂いがするんですよ。国技館と地方場所は、私にとって自宅だからね。私がドンだからね、久しぶりに家に帰ってきた気がしたよ」 地上23階のスイートルーム。大きな窓に縁どられた風景のなかに東京の街並みが広がり、建設中のスカイツリーも低い雲をついてそびえている。 「変わったね。このあたりは昔から知って

    <独占インタビュー> 朝青龍 「日本人の宝物になりたかった」(城島充)
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    holypp 2010/10/10
    私は朝青龍好きだけど、こういうとこも含めて>大鵬さんとか、初代の若乃花さんとか、相撲の伝統を作ってきた人たちに言われたら真摯に受け止めるけど、たった69人しかいない横綱に対してね、素人の人間が
  • 岡田武史がW杯直前の暗闘を激白!あの「突然の戦術変更」までの苦悩。(二宮寿朗)

    「運というものは誰にでもどこにでも流れている。その運を掴み損ねないか、掴み損ねるか。僕は運を掴み損ねたくないから、監督としてできる限りのことをやろうと思っているんです。もちろん、運を掴めるかどうかなんて分かりませんよ。でも、やらない限りは運なんて掴めない。最高の準備をしなかったら掴めない。運というものは、何もしないで勝手に来るものではないと僕は思っていますから」 南アフリカW杯でベスト16に躍進した岡田ジャパンの戦いが終わってから、初めて岡田武史“前監督”にインタビューする機会があった。南アフリカの地では感情をあまり表に出さなかったものの、日本代表監督の重圧から解かれた今は普段の「岡田武史」に戻っていた。 聞きたかった話をストレートにぶつけると、岡田からはストレートな答えが返ってきた。 話は、従来のパスサッカーに修正を加えて守備に力点を置くサッカーに切り替えた決断の理由から始まった。 韓国

    岡田武史がW杯直前の暗闘を激白!あの「突然の戦術変更」までの苦悩。(二宮寿朗)
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    holypp 2010/09/19
    一つの考えとして。最高の案かどうかはわからなくても「決めたことは貫く」というのは大事。監督だから「貫く」より「貫かせる」のだが、それをやったからこそ名監督。おかげさまでワールドカップは楽しめました
  • 平山相太が見せた守備力&走力。長身FW加入で日本代表が変わる!(1/3) [日本代表、2010年への旅] - サッカー日本代表コラム - Number Web - ナンバー

    平山相太が見せた守備力&走力。 長身FW加入で日本代表が変わる! 二宮寿朗 = 文 text by Toshio Ninomiya photograph by Kiminori Sawada イエメン戦で見せた平山相太のパフォーマンスは、岡田武史監督にとって“うれしい誤算”だったはずである。 国際Aマッチのデビュー戦でハットトリックを達成したのは、日本代表では実に80年ぶりという快挙。指揮官も試合後に「3点はものすごく評価すべきだ」と語り、代表キャンプ(1月下旬~、鹿児島・指宿)への招集をにおわせている。 だが“うれしい誤算”と書いたのは、このハットトリックを指しているのではない。サヌアの地で披露した彼の高レベルな守備、運動量こそが、指揮官を何より驚かせた要素だったように思う。岡田監督が平山より渡邉をスタメンに起用した理由とは? 「しつこく守れない、高い質で走れない」という平山

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