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ほぼ日刊イトイ新聞に関するholyppのブックマーク (19)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 森川君の断食中継。

    を終えた数日後、 「ほぼ日」を訪ねてこられた森川さん。 とってもすっきりしたご様子で、 「断の現場」をお話してくださいました。 くるしいはずの「断」がテーマなのに、 糸井重里との対談は終始ゆるやかな笑いに包まれて進みます。 ぜひ、テキスト中継を振り返りつつお読みいただければ。 体験にもとづくリアルでたのしい断報告を、どうぞ!

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 東日本大震災のこと。

    「人」と「もの」と「金」が必要になると思います。 人とものは、必要な場所に運ぶことにコントロールが要ります。 近所のバザーのようになってしまっては困ると思うのです。 いまは「道」も足りないのです。金の用意をしましょう。 金でさまざまなものをまとめて買えます。 3月13日 反発されるかもしれませんが、言います。 「金」は、その心が尊いというのもほんとうですが、 アルバイトの時給が1000円の時代の「貧者の一灯」は、 「小銭」ではないと思います。 寄付の相場を、いま上げるべきじゃないでしょうか。 かなり大事なことだと思うのです。 3月13日

    holypp
    holypp 2011/03/18
    お金、中でも難しい寄付について、おいくらが良いでしょうか?に糸井さんなりの答えを。一人ひとりが参考にして答えを出せればいいですね
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 野球のカミサマ、初球だけ狙わせてください。

    監督にとってすごく使いやすい田口選手は、 「4番目の外野手」として、当に、 チームになくてはならない存在に なっているとは思うんですけど、 たとえばこれがレギュラーをとっていたとすると、 つぎのチームでの年俸も 大きく違ってくるわけですよね。

  • 社長が訊く「スーパーマリオ25周年」 ファミコンとマリオ篇

    今日は2人の大先輩からお話を訊かせていただきます。 今年の9月13日で『スーパーマリオブラザーズ』の発売から ちょうど25年になりますが、 多くのみなさんにご愛顧いただきつづけることができたおかげで、 登場から四半世紀が経ったいまも、『スーパーマリオ』は元気です。 今回、ご支持いただいたみなさんへの感謝を込めて 25周年を記念したキャンペーンを展開させていただくことになりました。 それと同時に、 任天堂がトランプ・花札の会社から、 ふとしたきっかけでおもちゃをつくるようになり、 電子機器技術に出会い、 そしてビデオゲームの会社として変貌していくときに、 会社の中心におられたお2人にとって、 『スーパーマリオ』が生まれていく過程がどう見えていたのか、 そういったお話をいまお訊きして 何らかのかたちで残しておくことは、 歴史上、とても意義があるのではないかと思いまして、 今回、「社長が訊く」へ

  • ほぼ日刊イトイ新聞-脳の気持ちになって考えてみてください。 〜「やる気」と「脳」の話を、池谷裕二さんと。〜

    たとえば、朝、 眠いのに起きなきゃいけないとかね、 そういう葛藤もなくなるんです。 横になってたらいつまで経っても眠いんです。 体のスイッチが入ったら、脳は追随する。 つまり起きる。 そうすると目が覚めるじゃないですか。 そういうことで、面倒なことが だいぶ楽になるんですよね。 やる気にならなくても、 やりはじめればそのうち気分乗ってやるでしょ、 みたいな感じを持ってると、 たぶんすごく楽になるんです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞_樹の上の秘密基地。

    みなさん、こんにちは。 いま、任天堂のホームページで、 宮茂さんと糸井重里の 読み応えある対談記事が 掲載されているってご存じですか? まだ読まれていないなら、 ぜひとも、一読をおすすめします。 この対談は、 『スーパーマリオブラザーズ』発売25周年を記念した キャンペーンの一環として企画されたもので、 企画者は、「ほぼ日」にも何度かご登場いただいている 任天堂社長の岩田聡さんご人。 岩田さんは、これまでにも任天堂のホームページで、 「社長が訊く」という、 社長が開発者にインタビューする ユニークなコンテンツを企画されています。 今回の宮茂さんとの対談も、 当初は岩田さんご自身が インタビューすることを考えたそうですが、 過去の「社長が訊く」シリーズにおいて、 岩田さんはすでに何度も宮さんに お話をうかがっている‥‥。 というわけで、今回、 マリオの産みの親である宮茂さんのお相手

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 中島みゆきさんとの、遊び時間。

    言うならば、声ですらないっていうかね。 声ですらないエネルギーっていうか、 発しているなにかみたいな。 『真夜中の動物園』のなかにも 「♪Dadada‥‥」とか 歌詞のない部分がたくさんあるんですけど、 その、歌詞のない部分ができる時の物語を、 もし訊けるものなら訊いてみたかったんです。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 愛と言うにはちょっと足りない。

    holypp
    holypp 2010/08/03
    モテキほぼ日。二枚目も大変だな
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -帰ってきた松本人志まじ頭。

    競馬場で自分が 人ごみに紛れているのはOKなのに、 その人たちの前で演説するのは、 「ちょっと、いいです」 と言うような、そういうことをくりかえして だいたいの人は一生が終わってしまうんです。 そこを、欽ちゃんは、 演説することができたかもしれないと思う。 特に、前川清を使っていた時期なんて、 完全に「イっていた」ですよね。 そこを、たけしさんも、よけましたよね? 映画というものを作る方向に行きましたし。 よけていなかった人って、いないです。 テレビ局でテレビを作っている人は、 それを気で考えたら、番組を作る時に、 もっと答えを出しやすいでしょうね。 大勢で作ることができるわけだから。 それを俺たちみたいな 職人で生きてきたようなタイプが 話題にしているのは、はじめから 無理なようなことだと思うんですけど、 欽ちゃんをなめちゃいけないっていうか。

    holypp
    holypp 2010/06/11
    糸井 手塚治虫さんという人は、 かなり誤解されているけど、 ほんとうはキチガイですから。 松本 善人のように映ってますけど、 違うんですよね。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -帰ってきた松本人志まじ頭。

    だから、俺、設計図を渡されるのが、 好きじゃないんです。設計図を渡されて、 「お前このビル建てろ」と言われたら、 それは違う奴がやればいいんだよって思う。 だからそういうのがつまんなく感じます。 でも、ホームレスが、 「ダンボールしかないんだけど、 これでひとつ、立派なやつを」 とか言われたら、できるかもしれない、って。 そうすると、それは普通の世の中では、 負け戦の話だと思われるかもしれないけど、 でも、これからの話って、 そのダンボールで、素晴らしい家が できるようなことだとぼくは思います。 そうしたら、写真に撮られたり、 放送されたり、インタビューされたり、 全体の価値が大きくなる可能性があるので、 そこが、今までの時代との 一番の違いだと思うんですよね。 材料費の差はものすごいあっても、 人々に与えた影響を考えてみたら、 もし、世界中の人がそのダンボールハウスを 知っていると言われ

    holypp
    holypp 2010/06/11
    で、1週間泊り込んで、これならできた、 というときには、もう、ダンボールの家では 済まないものになっちゃうんですよ。 その考えを、国会議事堂に応用できないかな、 というようなものが、生まれるのよ。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -帰ってきた松本人志まじ頭。

    つまり、 「私はしたいことがあるので、 そうじゃないところだったら、 大きな会社でも嫌だ」って言っていて、 ぼくはそれを聞いた時には、 「そりゃあ甘えだ」と思うよりも、 すげえなあ、って感じたんですよ。 それって、昔だったら、 とりあえずは、就職しといて、とか、 給料が先に立つじゃない? でも、給料も別に、 30万でも10万でも、生活のレベルって 大きくは変わらないので、それだったら フリーターでいいやって考えている・・・。 「一生は短いんだから、一番やりたいことをやる」 と思っている人が、こんなにたくさんいる時代って、 俺の年だと、かっこいいと思っちゃうよね?

    holypp
    holypp 2010/06/11
    松本 こないだ、俺は今田に言ったんだけど、 たぶん、最終的に芸能界で稼ぐ金額は、 俺は、今田に負けると思う。  糸井 なるほどね。総合的にね。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 -帰ってきた松本人志まじ頭。

    第20回 痛みを忘れないけど、攻めるというような。 (※今回で、「帰ってきたまじ頭」は最終回です。 前回の話のつづきで、「100円を捨てる」という お金についての話を笑いの比喩にもしながら、 最後の一言まで進みます。では、どうぞ) 100円玉を投げる授業をしたのは、 ぼくの体験がもとになっています。 小さい頃、 氷の張りかけたお堀に石を投げて チュンチューン、と飛んでいくのを観て、 かなり楽しんでいた時があったんですけど、 とうとう近くに石がなくなった時に、 自分のなけなしの50円玉を投げてみたんです。 その時に「あれ?」とぼくが感じた 不思議なものを、みんなにも 感じさせてあげたい、と思って ぼくはその授業をやってみたんです。 「これは100円では覚えられない感覚だよ」 という、ほんとは、とても 親切なはずだったんだけど・・・。 でも結局、それを 「もったいない」 と言う人が、いっぱいい

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 「眠り」という悩みから、あなたを解放するおはなし。

    睡眠時間を管理しようという発想は、 企業の商品管理のロジックを そのまんま人間に当てはめてると言えますね。 商品管理ですね。 ロボット扱いしてくれてるんです。 規格外のものはもう病人だという、認識。 それか、規格外だと自分が思ってしまって 不幸になってるということですね。 規格外こそ価値があると、 オレは物と違うんだという、 そういう自信が持てないわけですね。

    holypp
    holypp 2010/04/06
    眠りは奥が深い。という話。これはおかしいということ。>糸井 睡眠時間を管理しようという発想は、 企業の商品管理のロジックを そのまんま人間に当てはめてると言えますね。 商品管理ですね。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 「ほぼ日」の睡眠論。

    寝る、眠る、寝たい、眠たい。 こんなにたくさんの時間を、 寝たり眠ったりしているのに、 ぼくらは、寝たり眠ったりについて、 ほとんど何も知りません。 何も知らない理由のひとつは、 寝たり眠ったりしているときには、 自分が何をしているのか、 観察する自分も 寝ちゃっているからなんでしょうね。 何も知らなくても、 寝たり眠ったりできますが、 何も知らないままだと、 人は不安になります。 何も知らないままだと、 人は、うそやうわさに惑わされたりします。 だから、不安にならないためには、 ちょっとくらい何かを 知っていたらいいのではないかと、 ぼくは思いました。 ちょっとくらいの大事な何かを、 知っている人にお話が聞けました。 でも、その人たちも、 まだわからないことのほうが多いです、 と言っています。 眠りについて起きて考えるのは、 なかなかむつかしいことなんですねぇ。 それから、ちょっと変わっ

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - シルク・ドゥ・ソレイユからの招待状 怖くなければ、できる。

    あなたは、話のなかで、 「たまたま竹馬だけができた」 というふうにおっしゃってましたが、 じつは、パフォーマーとしての基礎的な腕前が そうとう高いんでしょう?

    holypp
    holypp 2010/01/27
    覚悟とは大それたものではなくて、単純にこういうことなのかもしれない >そうです。簡単なことです。 もしも怖くなければ / そうです、怖くなければ。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ZEDがはじまる。

    ええと、2006年に「ブラスト!」 (ブラスバンド、マーチングバンドの エンターテイメント性を高め、 ショーアップしたアメリカのショー) というショーに出てました。

    holypp
    holypp 2010/01/22
    「あいつらはあいつらなりに  無理なことをやってるぞ」といわれるようにならなければ。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - シルク・ドゥ・ソレイユからの招待状。

    2008年、ほぼ日刊イトイ新聞は、 シルク・ドゥ・ソレイユに注目します。 この世界的なエンターテイメント集団は いったいどのようにしてつくられ、 そのクオリティーを維持しているのか。 10月には、シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京もオープン。 大きな話題になるそのまえに、さまざまな取材を通して 「シルク・ドゥ・ソレイユという組織」を 浮き彫りにしていきます。 つまり、シルク・ドゥ・ソレイユのことなら ほぼ日刊イトイ新聞にまかせたまえ。 (C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN (C) Cirque du Soleil Inc Cirque du Soleil , the Sun logo are trademarks owned by Cirque du Soleil and user licence

    holypp
    holypp 2010/01/22
    全部読む。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ギー・ラリベルテ

    アメリカ進出を果たした シルク・ドゥ・ソレイユは、 ショーの場であるラスベガスで、 さらなる成功をおさめます。 ぼくらはショービジネスに関して素人ですが、 それでも、ラスベガスというのは エンターテインメントの面においても ビジネスの面においても、 一筋縄ではいかないプロ中のプロがそろっていて、 そうとうタフな状況だったんだろうと想像できます。 一方、シルク・ドゥ・ソレイユは、 たしかな実力と個性を持った有能な集団だとはいえ、 いわば、カナダから出てきた大道芸人の集まり、 だったわけですよね。

  • ほぼ日刊イトイ新聞

    ・また付け焼き刃での「論語」の話になるんだけど、 孔子の弟子の子貢が、同じく弟子の顔回のことを 「彼は、一を聞いて十を知る男ですから、 わたしなんかじゃ、とても比べものにならないですよ。 わたしは、せいぜい一を聞いて二を知る程度ですから」 と言う場面があるんですね。 そうすると孔子が言うんです。 「そうだね、わたしもおまえと同じくらいだから、 とても顔回には及ばないよな」と慰めるんです。 ま、とにかく顔回というお弟子はすごいらしいんですが、 「一を聞いて十を知る」ってことわざが、 なんとなく気になって考えていたんです。 孔子みたいなすごい人が、じぶんのことを 「一を聞いて二を知る」くらいだと言う。 特に、そこんとこがおもしろいなぁと思ったのです。 で、そこから、コミュニケーションのことを考えていた。 例はなんでもいいや、「トマトを切ってください」と頼む。 そのとき、頼まれた人は「トマトを切

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