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![白砂青松へいざなう鏡の廊下 鳥取県・東浜駅 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1e11952fd31a91ac48bc55a74ff99832d39689c7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.asahicom.jp%2Fand%2Fdata%2Fwp-content%2Fuploads%2F2021%2F11%2F1200-7.jpg)
November 22, 2021 | Architecture, Design | casabrutus.com | photo_Shin-ichi Yokoyama text_Naoko Aono editor_Keiko Kusano 哲学を学びにドイツに留学し、独学で建築家になり、日本建築らしからぬ石の塊のような建物を作る。白井晟一は近代日本建築の系譜の中でも異色の存在です。謎めいた彼の生涯を追う展覧会に出かけてみましょう。 〈懐霄館(親和銀行電算事務センター)〉(1973-75年)。第1期、第2期に続いて白井晟一が手がけた長崎県の〈親和銀行本店〉第3期計画として作られたもの。巨大なコンピュータを収めるための施設だが、水盤のある吹き抜けや噴水のある10階サロンなど、人間の思索の場をも内包するかのような建物となった。撮影:柿沼守利。
大倉集古館で開催中の 特別展「篁 牛人〜昭和水墨画団の鬼才〜」に行って来ました。 https://www.shukokan.org/ 海外ならまだしも日本の画家で『日本美術全集』に掲載されていながら、ほとんど存在すら知られていない篁牛人。 その篁牛人(たかむらぎゅうじん、1901〜1984)を紹介する初めての展覧会が大倉集古館で開催され静かな話題になっています。 自分も少し前に拝見してきたのですが、2週間が経過した今でも消化不良気味で篁牛人の凄さを、言語化できずにいます。 篁牛人「西王母と小鳥」昭和44年 富山県水墨美術館 非常にパワフルな作品が多くとてもこれが水墨画であるとは目の前に立っても理解するのに時間を要します。 人は観たことのない作風に出会うと時として思考を停止してしまうものです。「篁牛人展」でもしばしばそれが起こりました。 牛人は水墨画家ですが、一般的な水墨画とはかなり印象が違
東京美術より刊行となった『鈴木華邨 花に鳴く鳥、風わたる余白』を読んでみました。 『鈴木華邨 花に鳴く鳥、風わたる余白』 逸翁美術館 (編集) 明治から大正にかけ活躍した日本画家、鈴木華邨(すずきかそん、1860〜1919)の初めての作品集が東京美術より発売となりました。 日本画に興味がある方なら、鈴木華邨の「邨」の字にピンときたことでしょう。 ここ何年かで立て続けに展覧会が開催された小原古邨(おはらこそん、1877〜1945)の「邨」と同じ字です。 『小原古邨 花咲き鳥歌う紙上の楽園』 →『小さな命のきらめく瞬間 小原古邨の小宇宙』及び『小原古邨 花咲き鳥歌う紙上の楽園』レビュー 何を隠そう、鈴木華邨は、小原古邨の師匠にあたります。鈴木華邨の弟子には「邨」が与えられています(岡田梅邨、石川竹邨など)。 もう1点、見覚えのあるフレーズが華邨に冠せられています。「幻の日本画家」「忘れ去られた
20世紀近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)。日本に住む人にとっては、東京・上野の国立西洋美術館が最も身近な彼の仕事であろう。または今日、家具メーカーのカッシーナ社が生産するシェーズ・ロングを思いうかべる読者もいるかもしれない。しかし彼の人生を振り返るとき、もうひとつ忘れてはいけない領域がある。それは自動車だ。 イタリア北部トリノの絵画館「ピナコテカ・アニェッリ」では、ル・コルビュジエと旅をテーマにした企画展「旅・オブジェそしてコレクション」が2021年4月から9月まで開催された。 本人が旅先で手に入れ、創作のインスピレーションを得た物が数々展示された (photo : Pinacoteca Agnelli)旅にアイデアとインスピレーションを求め続けた彼の人生を、パリの自宅を修復した後に発見されたさまざまな物で回顧するものであった。ル・コルビュジエにとっては「objets
SNSを開けば「#クリームソーダ」だけで50万件以上の投稿が集まる。純喫茶や銭湯、フィルムカメラ、アナログゲーム、食やライフスタイルなどでは、昭和のレトロなモノがY世代、Z世代と呼ばれる若者を中心にロングヒットを続けており、もはや一過性の現象とはいえない感がある。 昭和育ちには古いと感じるモノが、彼らにとってはなぜ“エモい”と映るのか。昭和に流行したガラス食器の復刻版「アデリアレトロ」を製造する、石塚硝子の広報・川島健太郎さんは、次のように分析する。 「生まれたときからデジタル環境が整った中にいる世代は、デジタル機器に便利さの半面、無機質な冷たさや味気なさを感じており、だからこそ、レトロなデザインや不便なアナログ製品を新鮮に感じるのだそうです。 食器の世界でいえば、いまは100円ショップでもおしゃれなカップは買えますが、それを画一的で物足りないなと感じる人々が、心を揺さぶられる昭和レトロな
ブランド一覧はこちらこの記事を読んだ人が他に読んだ記事試乗記ニュース画像・写真モーターショー自動車ヒストリー特集エッセイクルマ生活Q&AFrom Our StaffデイリーコラムCarScope谷口信輝の新車試乗水野和敏的視点池沢早人師の恋するニューモデル思考するドライバー山野哲也の“目”あの多田哲哉の自動車放談webCGプレミアム記事一覧webCGプレミアムプランとは日刊!名車列伝動画ギャラリープレゼントアウトビルトジャパンニューモデルSHOWCASE失敗しない中古車選びカーマニア人間国宝への道エディターから一言カーテク未来招来マッキナ あらモーダ!読んでますカー、観てますカーおすすめの動画小沢コージの勢いまかせ!!リターンズ自動車保険 トヨタレクサススバルマツダスズキダイハツホンダ日産三菱ポルシェメルセデス・ベンツアウディBMWMINIフォルクスワーゲンボルボルノープジョージャガーアル
「ポルシェ911カレラRS」は、菅井汲が愛した特別な一台だった(後編) Cars ポルシェ スポーツカー 2021.08.09 写真:小野祐次 文:深萱真穂 協力:広島県立美術館 菅井汲(すがいくみ 1919~96年)はパリへ渡った日本人画家のなかで大きな成功を収めたひとりだ。図形的な抽象画で一世を風靡した画家は、高速道路を時速250kmで疾走するスピード狂でもあり、愛車はポルシェ。なかでもスポーツカー好きなら誰もが憧れる1973年式ポルシェ911カレラRSを新車で購入し、パリ市内はもちろんのことフランスのオートルートでも極限のドライブを楽しんだ。広島に眠るカレラRSを巡るストーリー、後編をお届けする。 菅井の911カレラRSを正面から。ポルシェのエンブレムを描いたボンネットのデカールは変色して図柄が判別しにくい。ヘッドライトとフォグランプはイエローバルブ。サイドミラーは左のみ。ナンバーは
「ポルシェ911カレラRS」は、菅井汲が愛した特別な一台だった(前編) Cars ポルシェ スーパーカー 2021.08.08 写真:小野祐次 文:深萱真穂 協力:広島県立美術館 菅井汲(すがいくみ、1919~96年)はパリへ渡った日本人画家のなかで大きな成功を収めたひとりだ。図形的な抽象画で一世を風靡した画家は、高速道路を時速250kmで疾走するスピード狂でもあり、愛車はポルシェ。なかでもスポーツカー好きなら誰もが憧れる1973年式ポルシェ911カレラRSを新車で購入し、パリ市内はもちろんのことフランスのオートルートでも極限のドライブを楽しんだ。 そのクルマは広島県立美術館(広島市中区)に収蔵されている。わたしは「SUGAÏのポルシェに会いに行く。」と題する記事を2011年に雑誌で紹介。そして今回 Pen Onlineの特別企画でふたたび、広島県美に保存されている菅井のカレラRSに会いに
サービス終了のお知らせ SankeiBizは、2022年12月26日をもちましてサービスを終了させていただきました。長らくのご愛読、誠にありがとうございました。 産経デジタルがお送りする経済ニュースは「iza! 経済ニュース」でお楽しみください。 このページは5秒後に「iza!経済ニュース」(https://www.iza.ne.jp/economy/)に転送されます。 ページが切り替わらない場合は以下のボタンから「iza! 経済ニュース」へ移動をお願いします。 iza! 経済ニュースへ
鉛筆画家の安住孝史さん(83)が、息をのむような作品とともにタクシー運転手時代を語る「バックミラーのいとしい大人たち」。2年にわたる連載の最終回は、安住さんが鉛筆画家になるまでの足跡や作画の方法、長期の執筆を終えた思いなどをお届けします。(作画中のコマ撮り動画は3ページ) 「ヤスさんと呼んでください。その方がいいんですよ」。初対面で「安住先生」と声をかければ、笑顔でポンポンと肩をたたかれる。雰囲気は大家や画伯というより「絵師」。画家に師事したことはなく、いわゆる画壇との縁は薄い。伴侶のある人生を遠ざけ、ひとり暮らしを続けてきた安住さん。「絵は自分を肯定する究極の手段。自分自身であるためのアリバイ証明みたいなもの」と語る。 自分にウソをついたピエロ戦前の東京下町に生まれた次男坊。みずから「仮死状態の未熟児で生まれて鈍かった」と振り返る幼少期、きょうだいに比べて「孝史は疎い」と母に嘆かれた言葉
「ワーム」として知られるアメリカ航空宇宙局(NASA)の赤い4文字のシンボルや、1976年の独立戦争200周年記念ロゴなど、近代的でミニマルなデザインに定評のあったグラフィックデザイナーのブルース・ブラックバーン氏が、アメリカ・コロラド州の介護施設で2021年2月1日に亡くなったことがわかりました。82歳でした。 Bruce Blackburn, Designer of Ubiquitous NASA Logo, Dies at 82 - The New York Times https://www.nytimes.com/2021/02/18/us/bruce-blackburn-dead.html ブラックバーン氏が考案したNASAのシンボルが以下。赤く太い文字で「NASA」と書いただけのシンプルなデザインで、特に2つの「A」はロケットを思わせるデザインになっているのが特徴。ブラックバ
February 2, 2021 | Architecture | casabrutus.com | text_Jiro Tsukamoto editor_Ai Sakamoto 戦後日本の建築界に大きな影響を与え、メタボリズム運動の第一人者として活躍した建築家・菊竹清訓の回顧展が、彼に縁の深い島根県で開催。没後10年の今年、改めて、その偉業を振り返ってみよう。 アクアポリス(1975年)。沖縄海洋博の政府館として実現した海上都市。「海上都市によって国境をなくすこと」をねがい、さまざまな海域や利用目的を想定したバリエーションを菊竹は提案し続けた。画像提供:沖縄国際海洋博覧会協会 夕陽の名所として知られる宍道湖畔に建つ〈島根県立美術館〉。手がけたのは、戦後日本の建築界を牽引した建築家のひとり、菊竹清訓(1928-2011)だ。この美術館で2021年3月22日まで、菊竹の没後10年を機に山
あたたかみのあるタッチのイラスト配布しているフリー素材サイト「いらすとや」が今年1月31日、10年目に突入する。 これまで9年間、イラストを描いては毎日公開し続けてきたみふねたかしさんは1月25日、体力的・精神的に限界を感じたため、2月1日からサイトを不定期更新にすると発表した。 サイト自体に変更はなく、既存の2万5000点以上のイラストは従来通り利用できるが、「急に更新が止まって誰かに心配をかけるのも悪い」と考え、事前に更新休止を公表したという。 いらすとやは2012年1月31日に初めてのイラスト「笑う赤鬼」を公開し、運営を始めたという。 それから9年間、みふねさんは毎日、サイトを更新してきたが、「ここ数年は他にもやることが増えてほとんど休みがなく、精神的にも体力的にも今のペースで全てをやり続けるのは難しい」と、みふねさんは感じてた。 そのため、10年目の区切りとなる1月31日でサイトの
鉄とコンクリに幻滅 隈研吾氏、栄光時代に2つの衝撃建築家・隈研吾氏(下)2021 / 1 / 11 世界的な建築家の隈研吾氏。カトリック系の名門男子校、栄光学園中学・高校(神奈川県鎌倉市)で多感な日々を過ごした。成長の象徴としての巨大な建造物ではなく、自然と調和した建築を数多く手掛けてきた。建築家としての原点は栄光にあるという。 <<(上)外国人神父から異文化吸収 隈研吾氏の栄光学園時代 栄光の高校1年生の時、人生を変えるような衝撃的な体験をした。 東京・上石神井のイエズス会修道院で開かれた「黙想の家」に参加したのです。「黙想はすごいらしい」という噂が栄光生の間にあったからです。2泊3日で、一言も口を利かず、「死」をテーマにした神父の講話を一日中聞きました。それまで死について考えたこともなかったし、同じ講話でも学校などが会場であれば、気楽に聞き流していたかもしれません。しかし、この修道院は
国内外で多数のプロジェクトに携わる、日本を代表する建築家の隈研吾氏。鉄やコンクリートで固められた巨大な建造物とはひと味違う、木や竹など自然素材を活用した建築は世界的な評価を得ている。隈氏はカトリック系の中高一貫の男子進学校、栄光学園中学・高校(神奈川県鎌倉市)の出身だ。「栄光に通っていなければ、今のような建築家になっていない」と語る母校で、どんな体験をし、何を学んだのか。 栄光中学に入学する前は「外国人の神父はおっかないのだろう」とビビっていた。 栄光はイエズス会が運営する男子校で、当時は教員としてスペインやメキシコ、ドイツ、米国など10人以上の外国人の神父がいました。神父と言えば、生涯独身を貫く厳格な聖職者というイメージ。しかし、いい意味で裏切られました。日本人の大人よりむしろ人間くさく、フレンドリーで、アメリカンフットボールなどでよく遊んでくれたりしていました。 スペイン北部のバスク地
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