「固定された成功状態を実現できなければ、お前には価値がない」とすることが、本当の意味での保守だ。最初から到達地点を決めておいて、それに到達できなければ尊厳がない、と見下す。 宮台真司、斎藤環が保守なのは、制作と目的地の関係にある。彼らはすでに「目的地」を実現できたと言い張り、「到達できなければ認めない」という。だからこちらの制作行為が自滅する。 うまくいっていない現実がある、 いちど得た最愛の存在を失った なら、 その最底辺でそれを言葉にし、その内側からつながりを生み出していけばいいではないか。 完成形がどうなるかは知らない、それとの関係で自分の尊厳が決められるわけではない、 今の自分が決めるべきでもない。