私が気になる絵は、たとえば中西夏之(参照)、高木紗恵子(参照)、岡崎乾二郎(参照)などで、何か神経症的な順応主義と反対の、そこでもう一度「やり直させてくれる」ような、かといってぞんざいではなく、必然性を探す緊張感があって、そのための応援をしてくれるような――そういう作品を欲しているのだと思います。 完成形でフェティッシュになることを求めているような自意識が一番イヤで、それが私の社会的逸脱と関わっていそうですが、逆に言うと、私はそのような《もういちど取り組み直してみる=素材化》の作業でこそ、自分の社会参加を作り直そうとしています*1。 永瀬さんの作品(参照)には同じ趣旨の雰囲気を感じていて*2、機会があればぜひ接してみたいです。 今回は栃木県とのことで、神戸に住む私には遠すぎますが、フェティシズムとは別の需要や活動があり得るという、大きな励みになっています。 永瀬氏のブログより: 批判的に読