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科学と言語に関するishikawa-kzのブックマーク (2)

  • シュテンガー「時間の諸次元と力動性:システム論に対する現象学の批判」2009-07-09 - 呂律 / a mode distinction

    何もする気が出ないときの現象学。ロンバッハとルーマンの時間論の比較。 ゲオルク・シュテンガー(2008) 「時間の諸次元と力動性──システム論に対する現象学の批判」 [原文]/[山口一郎 抄訳] in 『フッサール研究』 第6号:特集「応用現象学の展開」 内的時間意識(フッサール) 現存在の時間性(ハイデガー) 時間の力動的生起──構造現象学(ロンバッハ)とシステム論(ルーマン) 第2回応用現象学会議*の記録。 http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/care/pdf/2nd_Conference_Applied_Phenomenology.pdf またつまらぬものを読んでしまった。 著者の指摘のうちのいくつかは、限定つきでなら「正しい」とは思う。 たとえば、ルーマンは 「志向性」の働きを──そしてそれだけを──重視しすぎており、それどころか、志向性こそ

    シュテンガー「時間の諸次元と力動性:システム論に対する現象学の批判」2009-07-09 - 呂律 / a mode distinction
    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/07/10
    「構成分析という課題)は、それ自体やはりすでに「社会分析」の重要な課題なのだから、その点からすれば、ルーマンの議論はやはり擁護しがたい。」
  • 「まぎわらしい」|梶井厚志 コトバの戦略的思考|ダイヤモンド・オンライン

    「まぎらわしい」ではない、「まぎわ・らしい」である。この「まぎわらしい」を「紛らわしい」と同じ意味に使う人がいるという指摘を見かけた(*1)。 たしかに音はまぎらわしいかもしれないが、背後の意味を考えれば、少なくとも書き言葉においてはまったくまぎれようがないように思う。半信半疑で、「まぎわらしい」をキーワードにインターネット検索を試みたところ、驚いたことに、これに該当するページが大量に見つかるのである。読者も試みられるがよい。 「まぎわらしい」を、まぎらわしく使うそれらの文章を読んでいると、キーボードの押しそこないによる文字の入力間違いではなく、書いている人が「まぎわらしい」を「まぎらわしい」と混同しているとすぐにわかる。なかには、「まぎわらしい」を変換しようとすると、変な漢字が出てくるのはなぜだろうと、ソフトウェアの性能を疑うかのような記述まであった。おそらくは日常生活において、「ま

    ishikawa-kz
    ishikawa-kz 2009/06/21
    なかなかおもしろい経済学的エッセィ。言い間違いからそこに日常の連想を起点とした推論法を発見する。その思考法は欠点のみでなく大まかに全体像を捉えるマクロ経済学に通じると説く
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