削った岩盤と石垣でできた「石の壁」(右)などを反映した小牧山城の復元イラスト(富永商太・絵、千田嘉博・監修) 織田信長は城にどんな思いを込めたのか。信長が1563年に初めてゼロから造った小牧山城(愛知県小牧市)の発掘調査によって、それが徐々に浮かび上がっている。 前回紹介したように、戦国時代の有力な武士たちの多くは、土塁や堀などで四角く区切った居館を平地に築き、「城」とした。「四角」の規模に大小はあるものの、一族や家臣の有力者らもそれぞれの「城」を横に並べた。 60年の桶狭間の戦い前後、信長は尾張の中心の清須城(同県清須市)から、守護と守護代を排除して城主となったが、清須城こそが、守護と守護代の双方が居館を並び建てた城だった。いくら信長が戦に強く、カリスマ性があっても、たくさんの武士や寺社、商工人たちが長年にわたり、土地や権益を持っていた清須城を根本的に造り直すのは難しかったのだろう。 名
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