「私を殺す気ですか」 2009年に『運命の人』を発表し、これが最後の作品と覚悟した山崎豊子(1924~13年)は、新作の執筆依頼に訪れた編集者に思わず漏らした。この時、すでに80代半ば。原因不明の痛みに体は悲鳴を上げていた。それでも、山崎は書くことを選んだ。戦争に生き残ったものの使命として。 未完の遺作『約束の海』(14年)の担当編集者を務めた新潮社の矢代新一郎さん(60)は、この国の戦争の記憶が薄れゆく中、その不条理を「書いて知らせる」という山崎の揺るがぬ思いを感じていた。 「作家の想像力は高が知れている」 沖縄返還交渉の密約を追った『運命の人』の終盤、新聞記者だった主人公は決意する。 <沖縄を知れば知るほど、この国の歪(ひず)みが見えてくる。それにもっと多くの本土の国民が気付き、声をあげねばならないのだ、書いて知らせるという私なりの方法で、その役割の一端を担って行こうと思う> 没後、改
