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歴史と戦争に関するkj-54のブックマーク (44)

  • フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS

    大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム

    フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS
  • (インタビュー)戦争の記憶と和解 ルーバンカトリック大学主任研究員、バレリー・ロズさん:朝日新聞デジタル

    戦後70年を過ぎてなお、日中国の関係は時にぎくしゃくする。和解の日は来るのか。「必ずしも和解を急ぐ必要はない」。仏独や旧ユーゴなどを例に戦争後の関係修復を研究する、ベルギーの国際関係学者バレリー・ロズさんは、そう提言する。重要なのはむしろ、両国の歴史解釈の矛盾を長期間かけて減らす営みだという… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。

    (インタビュー)戦争の記憶と和解 ルーバンカトリック大学主任研究員、バレリー・ロズさん:朝日新聞デジタル
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    kj-54 2016/02/11
    北海道大学教授・遠藤乾 『戦後ドイツの一部を過度に理想化しても、日中や日韓の和解の参考にはなりません。ドイツの等身大の姿を見つつ、その和解の努力から学ぶ姿勢が重要です』
  • 書評:「あたしの民主主義」

    年春、大月隆寛氏の新刊『あたしの民主主義』(毎日新聞社)が刊行されました。 十年来の愛読者としても、なかり出来のよいだと思います。 こういうと実に偉そうですが、わたしは「ゴーマニズム宣言」のブレイク以前から(小林よしのり氏に関しても「ゴー宣」以前の「おこっちゃまくん」いや80年代初頭の「マル誅天罰研究会」以来の愛読者だけどね)浅羽通明・大月隆寛両氏の愛読者を続けてます 。 で、今回は、そんなオヤジ世代として一つ、私なりの大月隆寛読解入門を展開させていただきます。非常に長文になりますが、ひとつお付き合い下さい。 『あたしの民主主義』はこう読め 書の内容は、直接間接にほぼ、歴史認識、戦争、民主主義ってことの「語り方」「語られ方」についてだといえるでしょう。つまり論壇論、ジャーナリズム論というメタな視点ですね。なるほど、それら「語り方」「語られ方」の点検、という意味は大きいし、それがすっぽ

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    kj-54 2015/07/19
    『…日本では「近代人」というのは明治以降に帝国大学の教室で作られたことになってます、しかしそれ以外の場からも明らかに「近代人」は醸成され、生まれたはずだ、ということを掘り起こそうとしているわけです』
  • この道はいつか来た道 〜クリミア併合とエチオピア併合 - リアリズムと防衛を学ぶ

    2015年3月、日の元首相の鳩山由紀夫氏がクリミア半島を訪問しました。NHKはこう伝えています。 ロシア国営テレビは鳩山氏の一連の訪問を連日詳しく伝え、この会見についても、現地時間の午後(日時間11日夜)の全国ニュースで取り上げました。 このなかで、「鳩山氏が、『クリミアの住民投票が民主的な手続きで行われ、住民の意思を反映していることを確信した』と述べた」と伝えました。(ロシアTV「鳩山氏がロシアに理解」と報道 NHKニュース15.3.11) クリミアに関するニュースを思うとき、私はエチオピアを思い出します。この2つの地域と国には共通点があります。国際社会の現状を変革しようとする国が武力を背景に国境線を変更し、そしてその一撃が、世界の秩序を揺るがせた、という共通点です。 この記事では、そもそも国家がある土地を領有できる仕組み、国境をめぐる戦争を人類がどう克服しようとし、そして失敗してき

    この道はいつか来た道 〜クリミア併合とエチオピア併合 - リアリズムと防衛を学ぶ
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    kj-54 2015/03/14
    『戦争を嫌い、相手の言い分にも理解を示し、和解すれば常に平和が訪れるほど、世の中は都合よくできていないのです』
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

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    kj-54 2015/02/15
    「よりにもよって京都大学が」というのは、部外者の印象論でしかないのでしょうか。
  • それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由

    慰安婦問題が表面化して以降、20年以上が経つのに慰安婦問題は解決されていません。そして、断言できますが、慰安婦問題への理解と解決のための方法が変わらなければ、慰安婦問題は永遠に解決しないでしょう。そして日韓関係は、今以上に打撃を受けることになるでしょう。 今、韓国の支援団体と政府はこの問題について、「法的責任」を認め、そのための措置を取るよう日に要求していますが、50数人が存命の元慰安婦の中には、実は異なる意見を持った方々がいます。しかしその方々の声はこれまで聞こえてきませんでした。違う声があったとすれば、これまで私たちはなぜその声を聞くことができなかったのでしょうか。 これまで聞こえてこなかった声を、違う声を聞いてみようという問いかけは、実は、元慰安婦の方々だけでなく、支援団体、さらには学者にも当てはまる問いだと分かりました。韓国はもちろん、日の支援団体や学者など関係者にとっても、慰

    それでも慰安婦問題を解決しなければいけない理由
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    kj-54 2014/09/10
    『日本軍が直接、強制連行や人身売買を指示したことはないという事実、にもかかわらず、彼女をそこに連れてきた主体は他ならぬ「日本帝国主義」だったという事実です』
  • 藤田信雄 - Wikipedia

    藤田 信雄(ふじた のぶお、1912年[1] - 1997年9月30日)は、大分県豊後高田市出身の帝国海軍の軍人。最終階級は特務士官たる少尉(終戦による特進後の最終階級は特務士官たる中尉)。 帝国海軍の伊号第二五潜水艦(伊25)から零式小型水上機を飛ばし、史上唯一アメリカ合衆国土に対して航空機による爆撃を実施するという、後にルックアウト空襲とよばれる爆撃を敢行した軍人である。彼の任務は、太平洋戦争における太平洋戦域のアメリカ海軍の資源を奪い去るため、焼夷弾を使用してオレゴン州ブルッキングズ市に近い太平洋岸北西部に大規模な山火事を発生させるというものだった。この戦略は日の風船爆弾作戦にも採用された。 軍歴[編集] 藤田は1932年(昭和7年)に日帝国海軍に入隊し、1933年(昭和8年)にパイロットとなった。 真珠湾攻撃[編集] 帝国海軍潜水艦伊25の同型艦伊26[2]。 藤田は真珠湾攻

    藤田信雄 - Wikipedia
    kj-54
    kj-54 2014/08/31
    自決用に…自宅に代々伝わる日本刀をしのばせ渡米したが、ブルッキングズ市…藤田をフェスティバルの主賓として招待したのであり…藤田は自らの不明を恥じ、持っていた刀を友情の印としてブルッキングズ市に贈った』
  • 戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1) 230万人はどのように戦死したのか?- 毎日新聞

    長期割引価格 8,400 円 (税込 9,240円) 月あたり 700 円 (税込 770円) ※12カ月分一括のお支払いとなります。 ※プランは12カ月ごとに9,240円(税込)で自動更新です。

    戦後70年:数字は証言する データで見る太平洋戦争(1) 230万人はどのように戦死したのか?- 毎日新聞
  • 私の母の歴史認識

    1940年長野県生まれ。東京大学文学部、北海道大学法学部卒業。 83年、衆議院議員初当選。93年6月、新党さきがけ結成、代表代行。 細川政権発足時、首相特別補佐。第一次橋内閣、経済企画庁長官。 現在、福山大学客員教授、「民権塾」塾長。 田中秀征 政権ウォッチ かつて首相特別補佐として細川政権を支えた田中秀征が、期待と不安に溢れた現政権の動向を鋭く斬り込む週刊コラム。刻一刻と動く政局をウォッチしていく。 バックナンバー一覧 橋下徹大阪市長の発言騒動もあって、このところ歴史認識論争が沸騰している。 “歴史認識”と言うと、いつも私は40年前に亡くなった母のことを思い出す。 私の母は、私が衆議院選挙に初出馬して落選した1年半後に他界した。 母は私に政治向きの感想や意見を述べたことは一度もなかったが、歴史認識についてはその行動によって、今に至るまで大きな影響を与え続けている。言わば私の歴史認識の原

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    kj-54 2014/08/14
    「…悪いことをしたと認めて反省したから国は再出発できた。…この人たちには表立ってお参りできない。…自分たちも信じて協力した。…こうして陰でもみんながお参りしてやらなければいけない」
  • 「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル

    〈疑問〉日の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言

    「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断:朝日新聞デジタル
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「基準引き下げで生存権侵害」生活保護の減額処分取り消し、賠償請求は棄却 鹿児島地裁「厚労相の判断 裁量逸脱や濫用」

    47NEWS(よんななニュース)
    kj-54
    kj-54 2014/05/12
    「英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)で、日本軍による「『南京大虐殺』はなかった」と主張した部分は、著者に無断で翻訳者が書き加えていたことが8日明らかになった
  • 日本人慰安婦の話(美輪明宏)と元日本軍慰安婦に関する正確な知識

    ~二次加害者とならないために~ 日人慰安婦の話と、元日軍慰安婦に関する正確な知識 2015.1.14 【日人慰安婦の話~橋下“維新の会”は聞け 美輪明宏】(2013年6月のライブドアニュースより) 今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。 あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。 従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。 これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。 でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。 そして聞けるのは大体、韓国中国の従軍慰安

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    kj-54 2014/05/05
    三輪明宏が少年時代丸山遊郭で経験した話。「祖国の女たち」歌詞あり。
  • とある国の、とあるお話(朝日新聞) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    とある国の、現在の状況。 ・少し前、経済危機で当時の与党が批判を受け、選挙で改憲を掲げた右派政権が成立。議会の三分の二を超える圧勝。 ・「強さ」を全面に出した政策に、後ろ盾の大国との関係がぎくしゃくしてきた。 ・それでも高い支持率を維持している。 ・与党より、さらに右の主張をする政党が第三党に躍進、外から過激な主張をする。 ・それらの勢力がほのめかすのは、過去の歴史に際し「わが国も悪かったが、わが国以上の悪者がいる。我々はしてやられた被害者」という史観 ・「若者は、自国を悪者に描く歴史はもう聞きたくないと思っている…そとから干渉を受けているという思いが、こうした史観を広げている」 という、ハンガリーのお話でした。 もとはこの記事です。まさに必読記事といえましょう。(要登録) (世界発2014)「ハンガリーは被害者」に反発 「ナチスに占領された」記念碑計画 - 朝日新聞デジタル (http:

    とある国の、とあるお話(朝日新聞) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    kj-54
    kj-54 2014/03/26
    「記念碑がたつたび誰かが喜び、誰かが怒る」。
  • 全人代を前に 国防費増正当化 NHKニュース

    中国の全人代=全国人民代表大会が5日から始まるのを前に、大会の報道官が4日、記者会見し「われわれは自身の歴史から、平和は実力で守る必要があると考えている」と述べ、国防費が毎年2桁の伸び率で増え続けていることの正当性を主張しました。 記者会見で傅瑩報道官はまず、今月1日に雲南省で起きた無差別殺傷事件について、「テロに国境はない。今後、中国がテロの取締りをより強化するにあたって、さらなる国際社会の理解と協力を期待する」と述べ、新疆ウイグル自治区の分離独立を図る勢力による「テロ」と強調することで事件の背景にウイグル族への抑圧的な政策があるとの見方を退けました。 また、傅報道官は中国の国防費の増大が周辺国の懸念を招いているのではないかという質問に、「われわれは自身の歴史と経験から、平和は実力で守る必要があると考えている。強力な国防力がなければ、国民が安心して暮らすのは難しい」と述べて、国防費が毎年

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    kj-54 2014/03/04
    「…歴史と経験から、平和は実力で守る必要があると考えている。強力な国防力がなければ、国民が安心して暮らすのは難しい」「ある国が挑発し、地域の安全と秩序を破壊しようとするなら、中国は必ず有効な対応を取る
  • 「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS

    社会運動、政党政治、普通選挙――民主主義的な言論や運動が活発に行われた「大正デモクラシー」。しかし、その後日戦争の時代へと突入してしまう。なぜ大正デモクラシーは戦争を止められなかったのか。歴史学者の成田龍一氏に話を伺った。電子マガジンα-Synodos vol.142より、一部を転載。(聞き手・構成/山菜々子) 「大正デモクラシー」とはなにか ―― 今回は、「大正デモクラシーはどうして戦争を止められなかったのか」というテーマでお話を伺えればとおもいます。まずは、「大正デモクラシー」はどのようなものだったのでしょうか。 まず、「大正デモクラシー」という言葉についてですが、これは同時代に使用された言葉でもなければ、歴史用語として定着しているわけではありません。論者によって「大正デモクラシー」といったときの時期や内容や評価が様々です。「大正」という元号と、「デモクラシー」というカタカナとが

    「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか/成田龍一氏インタビュー - SYNODOS
  • 「ごちそうさん」で悠太郎の逮捕はなぜ?「爆弾は当たらない」などの宣伝で犠牲者を増やした歴史を直視(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

    今週のNHK連続テレビ小説「ごちそうさん」。 戦時体制での政府や軍の愚かさや非情さを克明に描いている。今週始めのドラマでは、戦時中に流れていたラジオ放送が登場したが、当時は実際にこんな放送が行われていた。 「空襲はさほど恐ろしいものではないと?」 「そうです。爆弾というものはそれほど当たるものではありません。むしろ防空活動をおろそかにして街を焼けるにまかせる方が恐ろしい。敵の思うツボですから」 東京を始めとする大空襲で大勢の市民が犠牲になった背景に、当時の政府による「無謀な」指示や指導があったことをうかがわせる。 今週の「ごちそうさん」は、実はテレビドラマの歴史上で画期的なものだといえる。 戦時中の政府や軍による「愚かな政策」によって、空襲における市民の犠牲者が膨大になってしまったという過去の歴史を直視し、空襲における国などの無策をこれほど明確に示したことはテレビドラマではかつてない。 「

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    kj-54
    kj-54 2014/02/28
    読む限り恐ろしい人命軽視といわざるをえない。「行きすぎた人権尊重」の方がよっぽどいいな。ブラック国家
  • 小野田寛郎 - Wikipedia

    小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年〈大正11年〉3月19日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。和歌山県出身。 情報将校とし第二次世界大戦に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、第二次世界大戦終結から29年を経て、フィリピン・ルバング島から日へ帰還した。その後は、メディアにつきまとわれた事もあり、戦後の日への適応は困難であった。 経歴[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "小野田寛郎" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年7

    小野田寛郎 - Wikipedia
  • 幻想の英雄・全文公開

    津田信は、1974年5月から7月の3ヶ月間、28年ぶりに帰還した元日兵小野田寛郎と共同生活をし、その手記「戦った、生きた」を『週刊現代』に連載しました。これは、のちに『わがルパング島の三十年戦争』と改題されて、講談社から出版されました。 しかし、この手記は、真実を歪めて書いたもので、その罪の意識から、津田信は、3年後の1977年6月に、手記代筆の真相を暴露した書下ろしノンフィクション『幻想の英雄-小野田少尉との三ヵ月』を図書出版社から刊行しました。 *全文公開は、2014年8月いっぱいで停止しました。 *なお、書は電子書籍化(有料)しましたので、そちらで 読んでいただけるとありがたいです。 小野田少佐との三ヵ月「幻想の英雄」 津田信 (2014/8/4) - Kindle

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    kj-54 2014/01/19
    津田信は、1974年5月から7月の3ヶ月間、28年ぶりに帰還した元日本兵小野田寛郎と共同生活をし、のちに『わがルパング島の三十年戦争』講談社から出版されました。
  • 米軍が見た日本軍『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏インタビュー(一ノ瀬 俊也)

    「集団的自衛権」の見直し、首相の靖国参拝など、周辺諸国から「軍国主義化」の懸念も表明され始めた、このところの日。では、「あの戦争」を、70年前の日人はどのように戦ったのだろうか? 『日人と日兵』(講談社現代新書)著者の一ノ瀬俊也氏に、敵であるアメリカ軍の目に映った日兵の赤裸々な姿について話を聞いた。 実は弱かった「日軍」? ――単刀直入に言って、米軍の日軍に対する評価はどうだったのでしょう? 高かったのか、低かったのか? 一ノ瀬 同時代の他国陸軍との比較ということであれば、決して高くありません、というより低いです。当時のヨーロッパにおける陸戦はまず航空部隊が敵の正面から後方まで爆撃し、続いて戦車部隊が前面に出て敵陣を突破、これを後続の歩兵部隊が占領するという機甲戦になっていますが、これに関する日軍の装備・戦術は最後まで日中戦争レベルに過ぎない、という低い評価です。各戦場で相

    米軍が見た日本軍『日本軍と日本兵』著者・一ノ瀬俊也氏インタビュー(一ノ瀬 俊也)
  • 【テレビのミカタ】「日本人よ、これでいいのだろうか?」と日テレが放送した大島渚ドキュメンタリーの衝撃(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース

    1月12日の深夜、「NNNドキュメント’14」で放送した番組は視聴者に衝撃を与えた。 モノクロながら、画面に大映しにされたのは、 手や足がなく、金属状の義手や義足をつけた人、両目がない人の目のアップ、ただれた口元などなどだ。 50年あまり前の1963年8月16日に放送された日テレビの「ノンフィクション劇場」というドキュメンタリー番組枠で放送された作品の再放送。制作したのは昨年1月に死去した映画監督・大島渚だった。 その作品そのものをくるんだ形で、 「NNNドキュメント’14 反骨のドキュメンタリスト 〜大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃」として番組で放送したのだ。 『忘れられた皇軍』は、フィルム時代の伝説的なドキュメンタリーとして知られ、私も名前を聞いたことはあっても実際に見るのはこれが初めてだった。 大島渚といえば、テレビのスタジオで怒っている姿が印象的な人物だったが、このドキュメン

    【テレビのミカタ】「日本人よ、これでいいのだろうか?」と日テレが放送した大島渚ドキュメンタリーの衝撃(水島宏明) - 個人 - Yahoo!ニュース