テレビマンの独言:プロデューサーとの喧嘩というところの話。 僕が担当する、視聴者からの素朴な疑問を解決するコーナー。 「蚊の好きな血液型は何型か」というテーマについて、 専門家にお願いして番組で実験をし、よくさされるのはO型、 さされにくいのはA型と結論づけたのですが、放送直後にサブ(副調整室)で、 「根拠がはっきりしていない。シャレならシャレと言ってからVTRを流せ。 でなければ、こんな内容を放送してはいけない」 と言い出したのです。 ネタはデスクである僕がチョイスしました。 夏になれば必ずといっていいほど、多くの人が蚊に刺される。 さされやすい人とさされにくい人がいれば、 「血液型は影響するのか」という話にいくのは自然な流れです。 実際僕のまわりにも、毎年そんな話がわき起こるので、 当初があった瞬間に採用を決めました。 この後の記述で、喧嘩がよくある話であることは書かれているのですが、
カッシーニには抜群の政治的センスがあった。一年間、人を探して得られなかったのは事実だけれど、センス抜群の人間を二人だけ発見したのは本当で、その一人は来年の参院選挙に立候補する。反小泉ブロガー同盟はネット運動ではあったが、まぎれもなく本格的な政治運動であり、政治運動を試みるのは私は最初の体験だった。自信はなく、失敗のリスクのみが大きく、軽々に始められる事ではなかった。だが、誰かが始めなければならない。誰かが吉田松陰にならなければならない。決して大袈裟な表現ではなく、壮絶な覚悟で挑戦を始めた。チャレンジに踏み切る決心ができたのは、この二つのブログの存在に勇気づけられたからである。こういう素晴らしい人間が二人もいるのだから、勇気を出して運動を始めれば、もっと人材が集まるかも知れないと考えたのだ。結果的にその考えは甘かった。ブログが世の中のブームになって二年になるが、初期に立ち上げたブログほど内容
8月でありますし、今回は時事を離れて戦争の話を少し。 ●スポニチのたわいもない「由伸“百人斬り”」記事で思い出した毎日の「百人斬り競争」報道 昨日(8日)のスポニチ紙面記事から・・・ 由伸“百人斬り”も欲求不満 【巨人4―1横浜】巨人は6日、東京ドームで横浜と対戦し快勝。高橋由伸は初回にマークした9号3ランで、本塁打を放った投手が100人に到達した。 手放しでは喜べなかった。サインボールを投げ入れるヒーロー儀式を終えた高橋由は、右翼席に頭を下げた。チーム2カ月ぶりの2カード連続勝ち越しに導いても、心からは笑えなかった。「ジレンマは当然ある。自分自身もチームも結果が出てないし、責任は十分感じているつもり。僕らが結果を出さないといけないから」と高橋由。 “百人斬り弾”は初回だった。無死一、二塁から送りバントを試みた二岡が守備妨害、李スンヨプが空振り三振。嫌なムードを振り払う特大140メートル、
ご無沙汰しています。2日も新規エントリを怠りました。公私ともにとても忙しく、書き込む暇がありませんでした。すいません。6月、7月と一度も休まずに投稿していたのですが、力尽きました。 それはともかく、ここにきて靖国神社の非宗教化・特殊法人化による国家管理論が高まっていますね。麻生太郎外相はきょう、私見として靖国神社と護国神社の自発的な解散に期待を示す文書を発表しました。この件では、古賀誠元幹事長や中川秀直政調会長もほぼ同じ主張をしていますが、果たしてどんなものでしょうか。 靖国の国家護持論自体は、別に新しいテーマではありません。過去には日本遺族会が目指していたこともあるし、自民党は5回も靖国を非宗教化して国家が管轄するための「靖国神社法案」を提出(すべて廃案)した経緯もあります。 確かに、日本のために亡くなった戦没者の追悼を一宗教法人に任せたままでいいのか、という問題意識は分かります。
英語で船の代名詞はSheだ。彼女、つまり女性なのだ。 もう2年ほど前の話。横浜に写真を撮りに行った日の事。日本丸という帆船の写真をパシャパシャと撮っていて気が付いた。 ・・・尻が、セクシーだ。 日本丸の船尾、つまり尻の部分が何ともセクシーに見えたのだ。それ以来、船の尻を見るたびにセクシーだなぁと思っていた。今日は、そんなセクシーな船尻(ふなじり)の世界をご案内します。ついてきてね。 (text by 松本 圭司) ■まずは手近なセクシーを求めて セクシーだからと言っていきなり横浜の日本丸に走るというのはなんとも品がない。セクシーの言葉に叶姉妹を思い浮かべ、そのまま会いに行くような物だ。下品だ。まずは、足を使って手近なセクシーを探すというのが常道だろう。 最初は家の近所にある「堀江ドック」でセクシーな船尻を探す事にした。思惑通りに良い尻が見つかるだろうか。
わたしが子どものころに見た映画には、とてもわかりやすく「悪い人」がでてきて、堂々たる悪人ぶりを発揮していたものであった。彼らは、人類を破滅させようとしたり、世界を支配しようとしたり、社会を不安に陥れようと画策したりしていた。ひどいものである。「なんて悪いやつらだ。どこからどうみても、悪いやつらにしかみえない」と、子どものわたしは感じていた。しかし、今、そのように単純な悪役がでてくる映画はない。映画から、あの「悪い人」がいなくなってしまったのである。あの人たちは、どこへいったのだろう。あやしいけむりがたちこめる、地下の秘密基地で、どす黒い計画を練っては、「がっはっは」と高笑いしていた、あの、わかりやすい悪人たちは。きっと、わたしたちは、どこかのタイミングで気がついたのだ。 「そんなにわかりやすい悪人はいない」 では、あの悪人たちはいつ、いなくなったのか。そのタイミングについてかんがえてみると
2006年08月09日20:30 カテゴリValue 2.0 Los Ricos el Norte 「NHK特集:21世紀の潮流 ラテンアメリカの挑戦」、再放送は帰国後のようなので見逃さないようにしよう。 それはさておき、なぜラテンアメリカの富は、貧しいものの手に渡ることがなかったのだろう。 分裂勘違い君劇場 - NHK特集:「ラテンアメリカの挑戦」からの教訓 しかし、生み出された富が、貧しい者たちの手に渡ることはなかったのだ。結論を言うと、ラテンアメリカにおける富は、独占可能な富であったからだ。 メキシコやベネズエラの石油というのはその極北だ。南なのに極北というのも皮肉だが。 天然資源由来の富というのは、再生産が利かない。こういった富は、むしろ独占すればするほどうまみが出てくる。金持ちが「金なし」を援助する理由というのはあまりない。これを「富1.0」と呼ぼう。 これに対して、「北の富」と
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く