渋谷にて。初日。 今はただ、信じられないことが起こった、としか言いようがありません。
渋谷にて。初日。 今はただ、信じられないことが起こった、としか言いようがありません。
まもなく公開される、綾瀬はるか主演の映画『おっぱいバレー』。試合に勝ったらおっぱいを見せてあげるという約束で、バレーボール部顧問の綾瀬はるかが中学生をがんばらせるという内容である。とはいえ、わたしたちもいい大人。現実をまっとうに認識する能力がいささかなりとも備わっていれば、もちろん、綾瀬はるかがこの映画で、ほんとうに観客におっぱいを見せるようなことは起こらないと理解できます。あたりまえである。見せるわけがない。 では、われわれをきちんと納得させるエンディングがあるとすればどのようなものなのかについて考えてみたい。わたしはこの映画の原作となる小説を読んでいないので、どのような結末が準備されているのかはわからないのですが、この映画の結末には、ふたつのエンディングが考えられます。すなわち── 試合に勝った生徒たちにおっぱいを見せる 試合に負けたのでおっぱいは見せない のいずれかであり、今回は1の
アメリカの作家、ポール・オースターは、自らの貧乏だった過去について書くことが得意で、それはほとんど芸の域にまで達している。彼の貧乏話にはふしぎなユーモアがあり、どこか心やすらぐ要素がある。かつてそこを通り、さんざん苦労をし、ようやく抜け出すことができた湿地帯のような場所。われわれは、まちがっても自分が貧しくはなりたくないと、転落の恐怖におののき、そうならないことを一心に祈りながら、同時に貧しさを愛でている。 最悪だったのは冬の暮れから初春にかけてである。小切手はなかなか来ないし、犬は一匹さらわれてしまうし、台所にしまった食物の蓄えもじわじわ減っていった。ついには玉ネギ一袋とクッキングオイル一瓶、そして前に誰かが買ったパイ皮一箱(私たちが越してきたときからあった、前年の夏の侘しい名残り)を残すばかりとなった。Lと私は午前中ずっと持ちこたえた。午後に入ってもなお頑張ったが、二時半に至ってついに
渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。 われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。 両手でしっかりと看板を支えなが
春日武彦新刊(光文社新書)。うつ病とくらべて、注目されることのほとんどない「躁(そう)病」。わたしも躁病のことはあまり知らなかった。おもしろ人間の観察がライフワークとなっている春日が、怖いもの見たさと好奇心まるだしで書いた一冊。春日の解説を通して、躁病の実際を知ることができた。医学的な解説というよりは(春日は精神科医である)、躁病を通して人生のもの悲しさをふと感じさせる、味わいぶかいエッセイのような趣もあり、春日ファンのわたしはたいへん満足でした*1。 春日によれば、うつ病が「心のかぜ」なら、躁病は「心の脱臼」だという。あり得ないぐあいに関節が曲がり、糸の切れた操り人形のような途方もない動きを示す脱臼のような症状。心の箍(たが)が外れ、秘められていたあらゆる欲望が全開となり、自己抑制がゼロになり、見る者に異様な印象を与える。うわっ、なんだこの人は。この本に書かれた躁病の症例をひとつひとつ読
かしゆかってどんな子なのだろう。わたしはかしゆかに興味があったが、問題はかしゆかのことをあまりよく理解していないという点である。どの子がかしゆかなのか。Perfumeには、「髪のみじかい子」「ストレートのロング」「いつもかっぽう着の子」の三人がいることをわたしは知っていたが、かしゆかがいったいどの子かはよくわからない。あの、つねにかっぽう着、もしくはマタニティードレスふうの服を着ている子なのだろうか。 かんたんな調査の後、かしゆかは「ストレートのロング」であることがわかった。決め打ちでかしゆかファンになったわたし。かしゆかがどの子かも知らないまま…。しかし、誰かを好きになるというのは、えてしてそういうものだ。われわれは、相手の人間性など知らないまま、誰かに恋愛感情を抱き、事後的に相手について学習してから、過去の行為や感情をあらためて意味づけし直すことができる。過去は可塑的であり、観察者によ
中島義道という人の本はふしぎである。読むとイヤな気持ちになる。でも、どこか説明のつかないおもしろさもあって、つい読んでしまう。それは「真実を抉るのはえてして不快である」ということの証左なのかも知れないけれど、やっぱり読後感はわるいのね。彼の「ひとを愛することができない」(角川文庫)という本は、今年読んだ中でいちばん後味のわるいものだったのだけれど、この本についてなにかを書こうとおもったら、それだけで鬱がやってきて止めた。ちょう鬱になったの。中島は偽善やタテマエを嫌うし、ある種の共感を強制されることをどこまでも拒否する。それが徹底しているので(葬式で泣く人を見ると不快だ、とまでいう)、こんなこと書いちゃっていいのかしら、すごいなあ、とおもいながらわたしは彼の本を読むことになる。「人間嫌いのルール」(PHP新書)も、かなり身も蓋もない内容でしたが、なるほどとおもいつつ読みました。 中島の人間嫌
伊集院光のエッセイ80本をまとめた新刊。いやー、これはおもしろい。声だして笑ったなー。本職のモノ書きでも、ここまで笑える文章を書ける人はなかなかいないのではないだろうか。太田光もラジオで絶賛していましたが、たしかにこれはいい。渋谷パルコではさっそく平積みで売っていて、わたしはパルコでこの本を買ったけど、あのおしゃれな空間は伊集院というキャラクターにまったくそぐわなくて実によかった。気がつくと、なんだかあっという間に読了してしまった。 このエッセイは、携帯電話会社がメールマガジンとして配信していた素材をまとめている。「週三回の配信、一度につき400字以上」というのが、連載の条件だったという。考えてみると、これはかなりしんどい。伊集院は、この連載を750回ほど続け、その中の80本をよりすぐって一冊の本にした。すごいよね、週三回のペースで750回続けるというのは(月に13回と仮定して、58ヶ月=
わたしにはわかる。男はみんな、ホストになりたいとおもっていることを。「俺はちがうぞ」とか言わせない。男であれば全員が、やり手のホストみたいに女をたらしこみたいと願っている。そうに決まっているのだ。みなまで言うな。わたしにはわかっているのだからね。いいねえ、女たらし。「女たらし」って、「女をたぶらかして」を短くしたものかしら。たぶらかし。たらし。いずれにせよ語感がいいね。もて遊んでる感じが。わたしもどうにかたらしたくて、この夏も必死にがんばってきたのだけれど、気がつけばもう終戦記念日。夏が半分終わってしまった。もう海にはくらげがでるし、そろそろとんぼが飛びはじめる。ちょっと、もう。夏をどうするの。ここはホストに学ぼうとわたしは考えた。どうすれば女の子をたぶらかせるのかを学ぼうとわたしはおもった。 ホストについて興味ぶかいのは、「素の自分は大したことがない」と冷静に理解していることだ。彼らは自
反省、という行為には、いまひとつよくわからないところがある。反省って基本的にいいこととされているじゃない。世の中的にさ。己を省みる。しかし、しなくていい反省、するだけムダな反省、むしろしてはいけない反省というものもあるようにおもう。反省もほどほどになさいという意味あいのことを、僭越ではありますが、わたしが今からお伝えしていこうとおもう。 わかりやすい例をあげると、たとえば恋愛において。意中の相手にメールを送ったとします。しかし返信がこない。あれっ、なんでだろう。自分はなにかまずいことを書いただろうか。そんなことないとおもうんだけどな。うーん。そういえばこの前会ったときに、遅刻しちゃった。あの日はどうもお互いに機嫌がよくなかったような気がする。なにかヘンなことでも言ったかな…。ことほどさように、人はなぜかひとりでに「反省マシーン」と化して、自分のおこないをひとつひとつ検証してしまう。しかし実
ずいぶん前になるが、「運転免許証をIDとして使用し、たばこを買う自動販売機」を試験的に導入した地域があるというニュースをきいたことがある。その自動販売機では、運転免許証を使わないと、たばこが買えないのだ。未成年の喫煙を防止するためだという。なんか、いやだなあとおもった。わたしは喫煙をしないため、基本的には関係のないことなのだが、それでも、これが全国的にひろがるのはいやだとおもった。 この問題がやっかいなのは、では、この自動販売機を導入することで、なにが失われるのか、とかんがえると、それはたとえば、「未成年が、こっそりたばこを買う権利」ではないかということになりかねない点だ。そんなばかな権利はない、といわれれば、反論のしようがない。今、改札を携帯で通過できるシステムもひろがっている。駅の利用が個人認証化されているわけだが、もしわたしが、そうした流れに対して、「こうなんでも機械で管理されると、
ふだんの会話、日常的な雑談において、場の空気が凍りつくようなことはあまりないが、ごくたまにですけど、隣国の人たちにたいして、ものすごい差別的な内容の話をはじめる人っていますよね。そういうのって、たいてい年配の人なんだけど。あれって、どきっとするよな。ぜんぜん平気な顔で、そういうこわい話をはじめるおっさんが、たまにいますね。各種メディア上では、そうした極端な意見を目にすることもおおいが、実際に、面とむかって、ふだんの会話の中で、そのような内容の話をはじめられると、びっくりするし、いったいどうリアクションしていいのか困る。今までに何度か、そんなことがあった。そして今日である。 まあ、仕事の合間の、ごくたわいもない話題だったわけです。「小泉、靖国いったねえ」という。「どうおもう? 公約だっていっているけど」と話題をふられるが、正直、あまりよくわからない。「どうなんですかねえ。小泉は、風俗とかいく
わたしが子どものころに見た映画には、とてもわかりやすく「悪い人」がでてきて、堂々たる悪人ぶりを発揮していたものであった。彼らは、人類を破滅させようとしたり、世界を支配しようとしたり、社会を不安に陥れようと画策したりしていた。ひどいものである。「なんて悪いやつらだ。どこからどうみても、悪いやつらにしかみえない」と、子どものわたしは感じていた。しかし、今、そのように単純な悪役がでてくる映画はない。映画から、あの「悪い人」がいなくなってしまったのである。あの人たちは、どこへいったのだろう。あやしいけむりがたちこめる、地下の秘密基地で、どす黒い計画を練っては、「がっはっは」と高笑いしていた、あの、わかりやすい悪人たちは。きっと、わたしたちは、どこかのタイミングで気がついたのだ。 「そんなにわかりやすい悪人はいない」 では、あの悪人たちはいつ、いなくなったのか。そのタイミングについてかんがえてみると
そうじをした。かなり、ハードコアなそうじをした。いままでの、目の前にあるものを暫定的に移動させる、といった、ポップ路線のそうじではなく、こう、ルー・リードのディスコグラフィーでいったら、「メタルマシン・ミュージック」に相当するような、ものすごいやつをやった。くたくたである。片づけの途中、テレビゲーム機がでてきて、ついうっかり「ゼビウス」をはじめてしまったことをのぞけば、ここ数年でいちばんのそうじができた。 当然、あらゆるものを処分したが、そこで気がついたのは、入門書やマニュアル本のたぐいが、ずいぶんたくさんでてきたことだ。わたしはハウツー本がすきなのだ。以前から、ずいぶんたくさんの指南書を買って読んでいる。「強くなる麻雀」「水泳クロール上達BOOK」「French for Dummies」「モテるための哲学」(これはいい本である)「エッセンシャル英熟語」「30日間完成ポルトガル語」(以前は
世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題がある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、憂鬱な気持ちになるのだった。いやだなあ、とおもう。問いそのものがむなしい。こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。なぜ、かかるつまらない問いを、まじめに引き受けるのだろう。「そんな、ばかな質問に、誰が答えてやるものか。このくされ鮹」と一喝した後、飄然とうどんを食えばいいのにとおもっていた。 春日武彦著、「17歳という病」(文春新書)には、実に納得させられた。上記の疑問が、一気に溶解したためである。なんか、すっきりしたよ。やはりこれは、質問そのものが、くだらないのである。そういった疑問を持つこと自体、不遜で、幼稚なのだ。春日がい
『ブリグズビー・ベア』 ストーリーは更新されなくてはならない 1981年3月30日、ワシントンDC。25歳の青年ジョン・ヒンクリーは、その年に大統領へ就任したばかりのロナルド・レーガン暗殺を試みた。ヒンクリーはかねてからジョディ・フォスターのストーカーであり、大統領の暗殺に成功すれば、彼女に認められると考えていたのだ。いったいどのような理由により、彼が「大統領を暗殺すれば、意中の女優が振り向く」と、何の脈絡もないふたつの事象を関連づけたのかはわからない。しかしヒンクリーはそのような奇矯なストーリーに沿って生きていたのであり、レーガン大統領暗殺未遂事件が私たちに独特の憐憫を呼び起こすのは、犯人がかかるみじめな物語のなかでしか生きられなかったことの空虚さゆえである。 私たちはみなストーリーに沿って生きている。人は何らかの物語のもとでしか生きていけないからこそ、誰もが内部にストーリーを持ち、日々
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く