痛がっている人がいたらまずは善処せよ、とは真っ当な意見だと思う。 ・個人的痛みとしての「セクハラ被害」と社会的問題としての「セクハラ論」 - 玄倉川の岸辺 騒動の発端となったBritty氏のブログでこの問題は収束宣言がなされている。ぼくがこれから書こうとしているのは「外野の一般論」である。一般論に意味はない、或いは、興味がないという向きにはまったくツマラナイ話であることを予め断わっておく。むしろ、セクハラ被害者には不快な話題かもしれない。というのも、「性的いやがらせ」や「セクハラ」という言葉には、「痛いから足を踏まないで!」という叫び以上の社会的効果、はっきりいえば「社会的制裁」の意味があると、ぼくは考えるからだ。ただし、自覚的にその効果を利用することの是非はここでは問わない。 たとえば、宴席で卑猥な冗談をいわれ不快に感じた人がいる。これが上下関係や社会関係の縛りによって「そういう冗談は不