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ブックマーク / oda-makoto.hatenadiary.org (4)

  • 気になる言葉シリーズ――フリーライダー - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    3月になればひまになるはずだったんだけど、もうすぐ任期が終わるはずの学会の庶務担当理事の仕事やらがあって、時間はあるはずなのですが、気分的にひまになったというどうも気がしません。まあ、ひまになってもブログを書いていないことの言い訳でもありますが。 さて、「気になる言葉」または「気に入らない言葉」シリーズです(そんなシリーズあったの?って突っ込んでください)。これまでも、たとえば、1月21日のエントリーで、「受益者負担」という言葉を気になるというか気に入らない言葉として取り上げましたが、それをシリーズ化してみようというわけです。きょうは、その「気になる言葉シリーズ」の栄えある第1弾として、「フリーライダー問題」という言葉を取り上げたいと思います*1。 「フリーライダー問題(free-rider problem)」という言葉がいつごろから使われ始めたのかは知りませんが、最初のうちは労働組合等で

    気になる言葉シリーズ――フリーライダー - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    maangie
    maangie 2015/03/09
    「「フリーライダー問題」で考えるべきことは、フリーライダーをどのように無くすかという問いではなく、フリーライダーが目障りではなくすにはどうしたらよいかという問い」
  • 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」-大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を読む

    戦時中に「慰安婦」にさせられた国外の被害者に対して、国民と政府によって償いを行なうために作られた「アジア女性基金」については、1995年の設立当時からほとんど批判しか聞かなかったような気がします。設立当時は、メディアにおいてのフェミニストや「慰安婦」たちの支援活動をしていたNGOや左派からの「国家としての責任と国家賠償を回避するための隠れ蓑」という批判が目立っていました。そして、今年の3月にアジア女性基金は解散しましたが、そのときは、そもそも「慰安婦」などなく「公娼」にすぎないのだから償いなど必要ないという、歴史修正主義者や右派ナショナリストからの非難のほうが圧倒的に多かった印象があります(もっとも絶対数はそれほどなく、目立ってはいませんでしたが)。書は、このように左右からともに批判・非難されたアジア女性基金の推進者であり前理事であった大沼さんが「失敗」と「達成」を総括した興味深いです

    小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」-大沼保昭『「慰安婦」問題とは何だったのか』を読む
    maangie
    maangie 2009/02/24
    「1990年に当時の労働省職業安定局の清水局長が日本政府の見解として、「『慰安婦』なるものに軍も国家も関与しなかった、民間の業者が勝手に連れ歩いていたものだ」という「見解」を出していました」
  • 子どもに左翼になってほしいと願うこと - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    2009年最初のエントリーは、心に残っている言葉を紹介したいと思います。発言者は、アメリカの哲学者リチャード・ローティです。どんどんナショナリストになりつつあるローティの書いていることには批判的になることが多いのですが、つぎの言葉は腑に落ちます。 デスクの前に座ってキーボードをたたいているわれわれが、手をよごしてトイレを掃除してくれる人びとの十倍、われわれが使っているキーボードを組み立てている第三世界の人びとの百倍の報酬をもらっているというのは耐えきれないと思うように、わたしたちの子供を育てるべきである。最初に産業化した国々が、まだしていない国々の百倍の富を有しているという事実について、子供たちが確実に憂慮するようにすべきである。子供たちは、自分たちの運命と他の子供たちの運命との不平等を、神の意志だとか、経済効率のために必要な代価とかでなく、避けることのできる悲劇だと見ることを早くから学ぶ

    子どもに左翼になってほしいと願うこと - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    maangie
    maangie 2009/01/17
    リチャード・ローティ。スティーブン・ランズバーグ。佐伯敬思。バーバラ・エーレンライク。
  • 言論の自由について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    論文執筆で忙しいさなかですが(いつのまにか次の締切が近づいてきました)、田母神前空幕長の更迭問題に絡んで、「言論の自由」についての言説が飛び交っているようです。この言葉の使い方が前から気になっていたので、ちょっと言論の自由について書いてみたいと思います。 まず、マスコミや歴史学者が田母神前空幕長の「論文」と称するものの「内容」を、「事実に反する」とか「中学生以下」と批判しているのに対して、ものを自由にいう言論の自由はないのかと怒っている人がいます。今回の問題に限らず、ブログで書いたことを批判されると「言論の自由はないのか」と言ってしまう使い方は前から気になっていました。言論の自由は、その内容にかかわらず、意見を公表することを妨げることに対する「自由」の主張です。公表した後で批判されるのは当然引き受けなければなりません。ある言論の「内容」に対してはあくまでも言論で対するというのが「言論の自由

    言論の自由について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」
    maangie
    maangie 2008/11/14
    政府もどこが文民統制に反したのか明確には説明責任を果たしていませんし、政府見解と異なる内容の論文を応募しただけで軍を代表して政治的意見を表明したといえるかどうか
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