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ブックマーク / kechack.hatenadiary.org (15)

  • 有権者は許容する - Munchener Brucke

    自分とすべて同じ意見の政治家などいないので、我々は比較的支持できる政策を多く掲げる政治家を選ぶしかない。ただ比較的支持できる政策を多く掲げる政治家の政策の中に、いくつか自分の意見に合わない政策があるのが常だが、多くの場合許容するしかない。 実際には、有権者はそれ程多くの政治課題に関心を持っている訳ではなく、関心のある分野がある程度絞られるのが普通だ。その分野で支持できる政治家であれば、他の分野は白紙委任してしまいがちである。 大衆的な支持を集める政治家は、ある特定の分野で大衆の支持を集めると、その他の分野に関しても国民的議論なしにあらゆる政策が許容される場合が多い。小泉純一郎は典型的であった。彼は、既得権と戦う姿勢を見せることにより大衆的支持を集め、「彼は一所懸命国民のためにやっているのであるから、彼のやりたいようにやらせてあげればいい。」という『許容する世論』が出来上がる。 私は小泉元総

    有権者は許容する - Munchener Brucke
  • 岡崎久彦の意見がまともに見えるのは世論が狂っているせいか? - Munchener Brucke

    安倍の外交ブレーンである岡崎久彦の狂信に近いアングロサクソン信仰はかなりの違和感を覚え、こんな三流外交官が政権に強い影響力を与えているのは亡国だと常日頃思っているのだが、多少違和感はあるものの、産経新聞でまとものことを書いていた。 「南京」など歴史問題含め成果あった ≪日米関係への悪影響回避≫ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/51721/ 日米の政策通が一致していたのは、なるべく問題を小さく扱うことであった。 →これは私も同意見。日側が肯定側であれ否定側であれ、過剰反応するのは× この状況は当初、日では理解できなかった。中国の強力な反日プロパガンダの手が回っているのではないか、という憶測も流れた。しかし、次第に事情が分かってきた。これは全米の有権者の3分の1に近いといわれるエバンジェリカル(福音伝道派)が絶対的に

    岡崎久彦の意見がまともに見えるのは世論が狂っているせいか? - Munchener Brucke
  • ネガティブキャンペーンの効果的な張り方 - Munchener Brucke

    スキャンダルを流すのが定石だが、常にネタがある訳ではない。平時にはイデオロギー的なレッテル貼り合戦がよく行われる。 民主党は安倍内閣を批判する際、安倍内閣のタカ派ぶり反動的性格を浮き彫りにする論をよく張る。参院補選直前には沖縄補選を意識して衆議院「教育再生に関する特別委員会」において菅直人代表代行が沖縄戦における集団自決における教科書検定の問題を取り上げ、安倍総理を糾した。 この質疑に対し、与党である公明党の赤松正雄衆議院議員は 「安倍びいきの方は、ますます好きになり、嫌いなひとはますます嫌いになったと思われる。あれでは、敵を味方にするのは難しい。自陣営の支持の輪を広げることはできないのではないか。」とブログに記している。 http://akamatsu.eblog.jp/amt/2007/04/post_191.html これは的を射た指摘だ。 こんなニュースもあった。 ネット中傷:民主

    ネガティブキャンペーンの効果的な張り方 - Munchener Brucke
    microtesto
    microtesto 2007/04/29
    うまい
  • 西部邁 保守の未熟が「差別」を招来する - Munchener Brucke

    私は西部ファンでもないし、どちらかというと批判的な立場を取ることが多かったのだが、この人の思想というのはある意味スジは通っているとは思っている。基的に左翼から転校して右翼になった人は、藤岡信勝や小林正など、左翼のいやらしさと右翼のやらしさを両方兼ね備えた最低人間が多いのだが、西部だけはまともだと思っている。 まず、この人の論説を読む前に、以下の点を留意されたい。 アメリカは左翼である。西部に言わせれば、アメリカは新興国で、アメリカ的な思想はすべて進歩思想=左翼である。日やヨーロッパなど伝統の存在する国でしか、保守主義は存在できない。 産経新聞は西部氏の論説を載せるのはいいが、アメリカ主義を賛美し、企業優先の経済政策を賛美し、弱者救済を社会主義だと批判し、そのような政策は左翼だと批判してきたのは、何よりも産経新聞ではなかったのか? 「平等」という価値観は、とかく右派からは徹底的に嫌われ、

    西部邁 保守の未熟が「差別」を招来する - Munchener Brucke
  • 刑法と国民感情 - Munchener Brucke

    人間は知識を身につけると左翼になると言われるが、ことに法学はその傾向が強い。日人は質的にリベラルで個人主義的な刑法の思想を受け入れていないのであるが、現行法を知識として享受するのが法律家としての前提であるため、法の知識を持つものは音はともかく表層的なリベラリストになる。 そもそも日人の多くは刑法の責任主義を受け入れていないのであるが、責任主義は近代法の大前提であり、法曹界で議論が為される余地がないものである。 結局、法律を知らない無知な人たちと法律家の間でまったく議論が噛み合わない状態が半永久的に続いており、結局「無知な人たち」はどんなにわめこうが騒ごうが専門知識を持った人には勝てないのである。 若干形勢が変わったと言えば、ニュースキャスター等の亜エリートが、これまでは知的ぶって近代法の精神を享受する態度を取ってきたのを、最近では無知を晒しても国民感情に近い立場を取ることを是とする

    刑法と国民感情 - Munchener Brucke
  • 地方政治における政党と無党派 - Munchener Brucke

    東京都知事選挙は共産党推薦の吉田万三氏を除いて無所属候補の対決となったが、これは極めて表面的な構図で、実質的には現職の石原慎太郎は実質自民党推薦候補、浅野史郎は民主・社民推薦候補と見ていい。表面的に無党派を装うという行動はどうも…。私は最近の無党派候補マンセーの世論はあまり信用していていないので、その傾向に阿ることに違和感がある。 地方自治における無党派首長をみると、結局田中康夫前長野県知事のような孤立型か、増田寛也岩手県知事のような県民党を名乗るオール与党首長である。前者では結局成果を出すようなリーダーシップを発揮できないし、後者の場合は政党推薦知事と実質的に何ら変わらない。 すっかり時代の寵児になった東国原宮崎県知事は、結果的には協調型の県民党という名のオール与党体制になるような気がする。そうなると候補者が官僚出身でないという以外に積極的価値は見出し難いのである。ちなみに県民等を名乗っ

    地方政治における政党と無党派 - Munchener Brucke
  • 近親憎悪してきた日本の右派と左派 - Munchener Brucke

    戦後の日の右派と左派は、実は近似的な共同体主義であり、新自由主義の隆盛で右翼も左翼も流動化したのち、現在昔の右派と左派は更に近似性を強めて、新しい共同体主義に収斂しようとしている。便宜上右派だの左派だの言うが、実は余り意味のない区分なのかも知れない。 ともに「共同体主義」であり「大きな政府」であった右派と左派 私は2/19のエントリーで戦後日の右派も左派も共同体主義であったと申し上げたが、同じ共同体主義でどこが違うかといえば、右派の共同体主義が地域や家族を基盤に置いているのに対し、労働組合や共産党などは地方から都会への人口移動が起こる中で伝統的な地域との繋がりを失った若者に擬似共同体を提供して組織化していった。創価学会も同様に組織を拡大した点では似ている。結局、伝統的な共同体か、人工的な共同体かの違いでないのである。 また右派と左派は高度成長で得た富を弱い部分に再分配するという考えは同

    近親憎悪してきた日本の右派と左派 - Munchener Brucke
  • 少子化問題解決には徹底的な社会政策しかない。 - Munchener Brucke

    国民啓蒙は当に効果があるのであれば、「国が個人の権利に口出すな!」と批判があろうと、推進しても構わないと思うが、私は効果が余りないと思っている。個人的な主義で子どもを作らない人がどれだけいるのか? 諸事情で子どもを作れない、或いは生まれないといったケースの方が圧倒的に多いのではないか?こういった少数派を思想改造する行為はえてしてそれで問題解決できるような錯覚に陥り、質的問題解決を遠ざける。教育問題でいじめる生徒の登校停止や、不適格教師のクビで問題解決できると思っている風潮が教育改革を遠ざけている姿に似ている。 少数派にちょっかい出している暇があったら、できれば子どもを欲しいと思っている多数派に対して施策を講じた方がよほど効果がある。産みたいけど産めない諸事情をできるだけ取り除くのが社会政策である。別にフランスの真似をすればいい訳ではないが、日とフランスの文化的差異を論じてああだとうだ

    少子化問題解決には徹底的な社会政策しかない。 - Munchener Brucke
  • 「保守主義 拡大より空洞化が問題」  - Munchener Brucke

    北海道大学 中島岳志助教授 1月8日朝日新聞より エドマンド・バークは人間の理性の限界を認識し、抽象的理念の普遍性を疑い、歴史の風雪に耐えた具体的な伝統や習慣を重んじる保守主義の立場でフランス革命の熱狂の中で理想社会の実現を解く人々を批判した。「人間は非合理で利己的な存在だ。エゴイズムや怠惰、おごり、ねたみ等を払拭することができない。保守主義者は人間の根源的な「悪」を自覚し、「どんなこともできる」という思い上がりを諫めることが共通する態度である。 保守主義者は人間の「悪」を抑制し、自らの能力への過信を諫める宗教を重視する。また小林秀雄、福田恒存、江藤淳、山崎正和、勝田吉太郎ら戦後の日の保守主義者は人間の「悪」を自覚し、「政治の限界」を認識した上で文学に関心を向けた。 戦後生まれの「大東亜戦争肯定論」を展開し、いじめ問題については武士道のような精神主義の復活を声高に叫ぶ人たちは真の保守主義

    「保守主義 拡大より空洞化が問題」  - Munchener Brucke
    microtesto
    microtesto 2007/02/02
    正解。バークが読まれてなさ過ぎるんよねぇ。
  • 失言に甘い人たち 〜本音アドレナリンに麻痺した愚か者たち〜 - Munchener Brucke

    柳沢厚労相の「女性は子どもを産む機械」発言。さすがに「よくぞ!言ってくれた!」などという愚言を述べたブログはないが、野党が批判のトーンを強めた辺りから擁護的な発言が増えている。「確かに問題発言だが、辞める程のことではない」と言った意見が多いののが、明らかに言語道断で当然大臣を続ける環境にないと判断するのが妥当であり、擁護論は甘すぎる。有権者の甘い態度は政治をダメにするだけで、何の利もない行為であり、擁護論を張る一般ブロガーたちを徹底糾弾したい。 擁護論を張る人のは、潜在的に自民党支持で野党に批判的だからというケースもあるが、全体的に「音を言う政治家が好き」という特徴がある。自身もブログやSNSで普段なかなか言えないような(敵を作ったり、批判される)内容を書いており、誰にも邪魔されずに音を吐くことで快感を得る習性がある。だから音をストレートに吐出する政治家にシンパシーを抱くのである。

    失言に甘い人たち 〜本音アドレナリンに麻痺した愚か者たち〜 - Munchener Brucke
  • 殺人事件の加害者のほとんどは身内 - Munchener Brucke

    「治安はほんとうに悪化しているのか」というを読んだ。 世の中には「治安は悪化している」というという言説が流れやすい。それはマスコミにとっても警察当局にとっても、政治家にとっても好都合だからである。我々は自分で信用できる客観統計を探すか、このような良心的な書籍を探してでしか真実をつかむことができない。情報化社会とは名ばかりの不条理な状況下に置かれてる。 この書籍を読んで思うところは多々あるのだが、今日はその中で「面識率」について考えたい。 「犯罪白書」では殺人事件の被害者と加害者との関係(面識率と呼ばれる)というものを発表している。平成7年度では約1400件の殺人・殺人未遂事件が発生しているが、そのうち85%が家族や顔見知りの犯行ということなのです。殺人の面識率は85%〜90%の間で推移しており、いわゆる無差別殺人や通り魔殺人は例外的犯行であることを示している。 ちょうど家族によるバラバラ

    殺人事件の加害者のほとんどは身内 - Munchener Brucke
  • 「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性 - Munchener Brucke

    「おててつないで仲良くゴール」の話をご存知であろうか、実にくだらない話ではあるのだが、実に象徴的な話である。小学校の運動会の徒競走で順位をつけるのを止め、最後は仲良く手をつないでゴールするという話だ。実は今になってどこの小学校で行われていたのか全く情報もなく、「自分の小学校はそうだった」という体験談も聞かない一種の都市伝説であったとも言われているのだが、90年代は保守派の日教組攻撃、サヨク批判のネタとして頻繁に聞かれたネタだ。未だにこのネタを使っているブロガーもいるぐらいだ。このネタを知りたい人は↓のエントリーを読んで欲しい。 http://d.hatena.ne.jp/debyu-bo/20060928/1159407413 http://d.hatena.ne.jp/opemu/20060929/1159524762 90年代前半はネオリベが新鮮な輝きを持っていた時代で、「悪平等」「自

    「おててつないで仲良くゴール」にみる90年代のネオリベと民族派の蜜月が終わり、無産右派が胎動する可能性 - Munchener Brucke
  • いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ - Munchener Brucke

    最近の経団連の御手洗会長の発言といい安倍内閣の経済財政諮問会議の八代尚宏氏の発言といい、かなりおかしな発言が目立つ。これらは既にネオリベラリズムとは言えない、単に「企業に甘い」だけのまともな発言ではない。 ネオリベラリズムの処方箋は確かに公的所得再分配機能を低下させるものだ。最高税率を下げ、法人税を下げるのがセオリーである。私は対処療法的特効薬としてのネオリベラリズムは否定しないが、持続的な国の繁栄はネオリベラリズムではできないことは多くの事例で証明されている。 今の日はネオリベラリズムを常備薬として金科玉条とするどころか、ネオリベラリズムを曲解し、企業に都合のいい国家運営に導く道具にしようとしている。ネオリベラリズムにおいて自由と責任は表裏一体もののであるが、個人に対しやたらと自己責任を唱えるネオリベラリストも、企業に対する社会的責任には至って無関心であるペテン師が多い。社会的責任感の

    いんちきネオリベラリスト注意報 企業に甘いだけ - Munchener Brucke
  • 「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke

    最近は学校教育ばかりに目が行くが、社会教育とりわけ職業教育の分野で今の日は目詰まり状態にある。製造現場や運輸事業などで相次ぐ事故。明らかに日の現場力が落ちているという現実をもはや否定できない。 日式経営というものは、中途半端に教育を受けている人材より純粋無垢な人材を企業カラーに染めることを重視したきた。大企業は製造業の現業員であれば工業高校で最低限の技術教育を受けていればいい、大卒社員でも大学で学んだ内容は余り重視せず、潜在的能力さえあればいいという考えが支配的であった。 しかし90年代以降、新入社員をじっくり育てる大企業が軒並み新卒採用を減らし、非正規雇用に切り替えたり、即戦力確保のための中途採用に踏み切るようになった。一方で新興企業は大企業のリストラにより即戦力の確保が比較的容易であり、企業内での基礎的職業教育のノウハウがなくてもそこそこうまく行っていたのである。 現在どういう問

    「人を育てる」という最低限の社会的責任を放棄した企業 - Munchener Brucke
    microtesto
    microtesto 2006/12/07
    微妙。企業にはもはやインセンティブが無いしねぇ。昔は優秀な社員が高給や環境に惹かれて移籍するという現象が(比較的に)少なかったわけだし。教育なんて博打だからねぇ。
  • 結局、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいということ - Munchener Brucke

    埼玉の園児死傷事故、運転者に危険運転致死罪適用されず 川口の園児ら死傷事故 「危険運転」での起訴断念 遺族ら「納得できぬ」 結論から言うと、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいのである。危険運転致死傷罪は1999年に東名高速道路で起きた、泥酔した大型トラックが子ども2人を焼死させるなど7人を死傷させた事故が契機に立法化されたものであるが、犠牲者が子どもでなければここまで世論は盛り上がらなかったであろう。 世論が求めていたのは、飲酒などの危険運転を減らしたいというのが主眼ではなく、子どもを殺したやつを重く罰して欲しいだけなのだ。今回の検察の判断に関して、報道ステーションの古舘伊知郎は「法律はつくづく不備だ」と言っていたが、ちょっと的外れなコメントである。世論を満足させたいだけならば、刑法に幼い子どもが犠牲になった場合の重罰規定を作ればいいのである。しかし被害者の属性によって罪の

    結局、世論は子供が犠牲になる事件はすべて重く罰して欲しいということ - Munchener Brucke
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