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Marxismとeconomicに関するmicrotestoのブックマーク (11)

  • 松尾匡のページ - 明日のマル経学会で日銀引受論バトル?

    松尾匡のページ11年9月16日 明日のマル経学会で日銀引受論バトル? ※ 追記:今朝の報道では「首相指示により消費税増税は除外」だそうで、すみません野田さん。だとしても下でお勧めした資産課税ではなくて所得税ですから、消費税増税ほどでないにしろ景気押し下げには変わりないですね。法人税は、減税幅圧縮するけど、やっぱり減税するには違いないそうで(失笑)。これで将来の景気に危機感持って、せめて金融政策の転換に進んでもらえればちょっとは光明があるけど。(11年9月17日) 14日は高校の模擬講義のために前日から出張でした。 この高校には、去年も模擬講義に行ったのですが、去年はインターネット上の資料を映して話しようと思っていたら、当日教室でインターネットがつながらないことが判明! 完全アドリブ講義になりました。仕方ないから時間をもたせようと、くだらない冗談を次々繰り出したっけ。 それが気に入られたのか

  • 402ヨハン・モスト原著カール・マルクス加筆・改訂(大谷禎之介訳)『マルクス自身の手による資本論入門』 - akamac's review

    書誌情報:大月書店,208頁,体価格2,200円,2009年10月20日発行 マルクス自身の手による資論入門 作者:ヨハン・モスト発売日: 2009/10/01メディア: 単行 - マルクスが生きていた時代のこと,ヨハン・モスト――当時のドイツ社会民主労働者党の活動家だったが,反戦デモを理由に囚われていた獄中で資論の入門書を書いた――は,『資論』第1巻からの抜粋に加筆してパンフレット『資と労働――カール・マルクス著『資論』のわかるダイジェスト――』を出版した。1874年のことだった。社会民主労働者党の指導者リープクネヒトの要請をうけて,マルクスはみずから改訂作業をして,「改訂第2版」を1876年に刊行する。ただ,マルクスが改訂作業をおこなったことについては記載されていなかった。その後多くの誤植以外には修正や加筆のないマルクス自用が発見されるにいたって,100年後の1984年

    402ヨハン・モスト原著カール・マルクス加筆・改訂(大谷禎之介訳)『マルクス自身の手による資本論入門』 - akamac's review
  • 『ハイエク後の社会主義』を読む(3) - 山中優の教育・研究随想録

  • 『ハイエク後の社会主義』を読む(2) - 山中優の教育・研究随想録

  • 『ハイエク後の社会主義』を読む - 山中優の教育・研究随想録

  • 働くことと生きること - Arisanのノート

    先日のエントリーで書いた『カネと暴力の系譜学』のはじめの部分に、次のような一節がある。 ずっと気になっていることなので、それについて少し整理して考えてみる。 では、カネを手に入れるためにはどのような方法があるだろうか。 原理的にいえば四つの方法がある。難しい話ではない。 一、 誰かからカネをもらう。 二、 みずから働いて稼ぐ。 三、 他人からカネを奪う。 四、 他人を働かせて、その上前をはねる。 最初の「カネをもらう」というのには、いろんなケースがある。たとえば、家族に扶養されていたり、生活保護をうけていたり、ヒモだったり、「パパ」がいたり、寄付や補助金をもらったり、といったケースだ。 問題はそのあとの三つである。じつはこれらは、よく見ると、社会の枠組みをくみたてている三つの柱にかかわっている。労働、国家、資だ。(p10) 生存・分配と所有・労働 こうして、以下このでは、現行の「社会の

    働くことと生きること - Arisanのノート
  • 010重田澄男著『資本主義を見つけたのは誰か』 - akamac's review

    書誌情報:桜井書店,308頁,体価格3,500円,2002年4月5日,asin:4921190151 初出:経済理論学会第50 回大会(岐阜経済大学)第9 分科会:書評分科会報告,2002年10月19日 - はじめに 「ヨーロッパ諸国における膨大な文献(著書,論文,新聞・雑誌記事,パンフレット等々)において,誰が『資主義』という言葉を初めて使ったかについて確定することはきわめて困難であるにしても,書物として公刊された叙述にかぎってみても,『資主義』という用語が初めて使用された文献と著者についての見解はいまだ確定していない,といえるようである」(「序章」21ページ。ボールド体:赤間) 「(前略)『資主義』を最初に見つけたのはマルクスである(後略)」・「(前略)用語としての『資主義』という言葉そのものの発見者は,マルクスではない。『資主義』という言葉そのものの最初の発見者は,現在ま

    010重田澄男著『資本主義を見つけたのは誰か』 - akamac's review
  • bewaad institute@kasumigaseki(2007-02-02) - [economy]マルクス主義2.0

    ■ [economy]マルクス主義2.0 だから、生産性の高い人間だけを集めて仕事をすれば、途方もない生産性で成果が生まれ、とても自分ではいきれない価値が発生するのは必然である。このことは、養老氏が「脳化社会」と言っている範囲、つまり、普通の人が「社会」とか「リアルな社会」と呼んでいる範囲では、同じように成立する。(略)そして、まずは直径30cmのケーキを差し出す。つまり、自分たちの高い生産性の成果を、惜しげもなく社会に還元する。だから、「アリさん」企業の生産物は、ほとんどがタダになる。電話や検索やメールやワープロがタダになっているのは、全然序の口で、もっといろいろな凄いものがタダになる。広告とかバージョンアップとか、何らかのヒモつきで後でお金を取られるようなニセモノのタダではなくて、物のタダになる。(略)タダにならない部分は、アリさん企業の法人税を財源として、失業手当として支給できる

  • さよならマルクス - 内田樹の研究室

    教育再生会議の第一次報告案がまとまった。 主な論点は (1)「ゆとり教育」を見直し、授業時間数を増加 (2)いじめる子どもには「出席停止」措置。体罰に関する基準の見直し。 (3)高校で奉仕活動を必修化。 (4)教員免許制度の厳密な運用で、不適格教員を排除。社会人教員を大量採用。企業から学校へ課外授業講師派遣。 (5)教育委員会、学校を外部評価。 (6)家族や古里の価値を考える機運を効用。 などである。 要するに、「学校の中」と「学校の外」を同じ基準で律するということである。 これまで学校には世間には通用しない「学校だけのルール」があった。 世間は弱肉強・競争原理のガチンコ・ルールで運営されている(はずである)のに、学校はそうなっていない。 そういうローカル・ルールはなくして、グローバル・スタンダードでいこうじゃないか、ということである。 どこかで聴いたような話である。 そう、これはあのな

    microtesto
    microtesto 2007/01/21
    Dr. Waterman 氏のコメントが秀逸。だが勘違いされる危険もあるかも。
  •  マルクスとリフレ - Economics Lovers Live 田中秀臣のブログ

    Elleの遺跡のパートナーのびたさんに教えてもらった苺掲示板での発言 <やっぱり松尾さんみたいに「マルクス主義」プラス「リフレ」って立場が成り立たないってことじゃろう> 松尾匡さんの立場はよく知りません(反経済学批判はなぜかよく知ってますが 謎 あと吉原ー松尾論争などは最近知りました)。ただ「マルクス主義」というか「マルクス経済学」と「リフレ」は両者の具体的な中味次第ではプラスできるものだと思います。俗称「熊留守」、正式名称『マルクスの使いみち』の前半部分の主役ともいえるのが高須賀義博先生の『マルクス経済学の解体と再生』ですが、このは僕も高須賀先生の『鉄と小麦の資主義』とともに思いで深いものです。 では、とりあえずバブルへGO! 時は91年春。まだ日経済にはバブルの余韻が油ギッシュしていた時代でございます。まだ現在論壇で活躍されているリフレ派諸氏も厚顔じゃない紅顔の美少年・美少女で

     マルクスとリフレ - Economics Lovers Live 田中秀臣のブログ
  • マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「貨幣は貨幣であることで貨幣である」 岩井克人の「貨幣論」(ASIN:4480084118)では、マルクスの「資論」(ASIN:4003412516)で展開された価値形態論が脱構築されている。マルクスの示した価値形態の図式を循環論Zへと展開することで、貨幣という形態には、マルクスがこだわった「価値に表されている労働」による根拠づけのような外部要因が入り込む必要がないことを示す。「貨幣は貨幣であることで貨幣である」とうことだ。 ではこれによって労働価値説はもはや葬り去られるのだろうか。ある意味で正しく、ある意味で正しくない。岩井はこのような循環論の他の例として「言語」を上げている。これは柄谷が、マルクスの価値形態論をソシュールの言語論で説明することと同じ意味であり、貨幣が構造主義的構造を持つことをしめす。 だから東は岩井の貨幣論をデリダの構造主義批判である「否定神学」と言った。すなわちマル

    マルクスの「労働価値」はなぜ消えたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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