太平洋戦争中、軍都・広島に電気を送るため、現在の広島県安芸太田町に水力発電所の建設が計画された。建設作業を担ったのは中国人。1944年に360人が日本へ強制連行され、過酷な労働のほか原爆にも遭い、合計29人が命を落とした。発電所は戦後の1946年に完成し、現在も「安野発電所」として現役で稼働している。 実際に働いた中国人の生存が確認され、悲惨な強制労働の実態が明らかになったのは1992年、今から30年前のことだ。広島の水力発電に限らず、日本の各地で強制連行と強制労働を強いられた中国の元労働者たちは、日本政府や企業に損害賠償を求めて訴訟を起こしたが、日本の裁判所でことごとく退けられた。 ただ、この水力発電所については、元労働者たちと、建設したゼネコン準大手の西松建設の間で和解が成立した。一体なぜ和解できたのか。関係者をたどり、一連の経緯を追った。(共同通信=佐々木夢野)