田中正造の評伝。 田中正造は、幕末に栃木県の小中村(現 栃木県佐野市)の百姓の家に生まれる。百姓といっても名主を務めるような家で、父の跡を継いで名主になり、正造はこの小さな村の名主を12年務めた。 彼は小中村の「政治」に責任を負って、藩レベルの政治とは異質のまとめ役をこなした。それは、自治的な慣行や寄合における合意を尊重する、ボトムアップ式のものだった。彼は名主ではあったが身分意識は薄く、村人の代表として領主との対立を辞さず、領内7ヶ村の農民の抵抗運動を組織して、暗君(失政の領主)を退陣させる実績を残した。そのために正造は投獄されたが、これが、権力に決して屈しない、正造の戦いの始まりだった。 正造は、明治11年に政治に一身を捧げようと決心する。きっかけは、土地の投機に成功して3千円という大金を手に入れたことだった。この金は正造に「公共のために尽くす自由」を与えた。正造は、なんと35年間の予