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ブックマーク / blog.tatsuru.com (38)

  • 追悼レヴィ=ストロース - 内田樹の研究室

    20世紀フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが10月30日、死去した。100歳。 第二次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。「未開社会」にも独自に発展した秩序や構造が見いだせることを主張し、西洋中心主義の抜的な見直しを図ったことが最大の功績とされる。 サルコジ大統領は3日の声明で「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者だった」と哀悼の意を表した。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41〜44年にナチスの迫害を逃れて米国に亡命、49年の論文「親族の基構造」で構造人類学を樹立した。 自伝

  • Googleとの和解 - 内田樹の研究室

    Googleアメリカ作家組合のフェアユースと著作権をめぐる裁判が和解した結果、ベルヌ条約に参加している日の著作権者たちも年5月5日までの期限付きで、コピーライトにかかわる選択をしなければならないことになった。 和解条件によると、2009年1月5日以前に出版された書籍については、 (1)著作権者はGoogleに対して、著作物の利用を許諾するかしないか、許諾する場合、どの程度かを決める権利をもつ (2)Googleの電子的書籍データベースの利用から生じる売り上げ、書籍へのオンラインアクセス、広告収入その他の商業的利用から生じる売り上げの63%を(経費控除後)著作権者は受け取る その代償としてGoogleは著作物の表示使用の権利を確保し、データベースへのアクセス権を(個人には有料で、公共図書館教育機関には無料で)頒布することができる。 ただし、プレビューとして書籍の最大20%は無償で閲

    rajendra
    rajendra 2009/03/23
    言いにくいことをズバリ言うw>「この人の書き物を書架に並べることは自分の知的・審美的威信を高めることになる」と思われることこそ(それが誤解であったにせよ)、もの書く人間の栄光である
  • 小学生にはむずかしい文章 - 内田樹の研究室

    ある教科書会社から小学校の教科書のために何か書いて欲しいと頼まれた。 めんどくさいから厭だと最初は断った。 「中学生にもわかるように書く」ということは『先生はえらい』でやってみたので、できそうな気もするが、「小学生にもわかるように書く」というのはちょっと私には無理そうに思えたからである。 私は一度書いた原稿に「ここがわかりにくいので書き換えてくれ」とか「この字は読みなれていないので、ひらがなにしてくれ」とか言われるのが嫌いである。 だから、「そのままの原稿では出せません」と言われると、「あ、そうですか」とそのままオサラバすることにしている。 私の文章を読んで「意味がわかりません」という人間と「私の文章」を介して話し合いをすることは、論理的に考えて、純粋な消耗だからである。 今回は、「私の書くものは小学生向きじゃないですよ」といったのに、でもぜひにと頼まれたので、なるべくむずかしい漢字や子ど

    rajendra
    rajendra 2009/02/24
    論理展開は平易で、しかし文章の抽象度はいささか高く、難しい言い回しも含まれている。教科書より副読本向きかな。全員がこの文章を理解できるわけではないだろうが、誰もついてこれないとするのは小学生舐めすぎ。
  • 痩我慢合戦 - 内田樹の研究室

    麻生内閣の支持率が11%まで落ちたと毎日新聞が報じている。 でも、首相は恋々として政権にしがみついている。 恋々というのも正確ではない。 おそらく、「やめどき」を逸したせいで、やめようがなくなって、困惑し果てているのだろう。 舞台に出たはいいが、退場のきっかけがわからず、観客から「ひっこめ」とトマトとかバナナの皮とか投げつけられてるのだけれど「ひっこむタイミングがわかんないんです」と半べそをかいているへぼ役者のようである。 気の毒である。 政治家の出処進退はまことにむずかしい。 「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張」 これは勝海舟の言葉である。 出処進退の決定については私には私なりの基準がある。それは公言して、他人の承認を求める筋のものでもない。毀誉褒貶は所詮他人ごとである。オレは知らんよ。 もちろん勝海舟だって、できることなら「勝先生は実に出処進退が鮮やかですなあ」とほめられたかった。 で

    rajendra
    rajendra 2009/02/24
    おお、この福沢の読みにはかなり同意できる。
  • 大学はどうなるのか - 内田樹の研究室

    バリ島から帰ってきてそのまま会議。 ほんとうは午前中にも会議があり、それにも出席しなければならなかったのであるが、その頃はまだ家にたどりついていなかったのでご無礼。 30分ほど前に教務部長のデスクにつくや、教務課長が「ちょっとご相談が・・・」とおいでになっていろいろ相談ごと。 むむむ、それは困ったことですな。 ま、ナントカしましょう。 その後学長を囲んでややコンフィデンシャルな会議。 むむむ、それは困ったことですな。 ま、ナントカなるでしょう。 その後合否判定教授会。 一般入試の志願者数は全学平均で前年比98%(総合文化学科は前年比103%)。 「100年に一度」の経済危機で、志願者が志望校の絞り込みに入っている今年は、私学はどこも軒並み志願者数を下げて、苦戦している。 新学部新学科は「ご祝儀」で、初年度には必ず志願者が殺到するのだが、それもうまくゆかない大学が多い。 受験生たちも「こうや

    rajendra
    rajendra 2009/02/08
    職務給に対する根本的な批判。>教職員の全員に「給料分の仕事をきちんとさせるシステム」を作ると、教育現場のパフォーマンスは低下する。
  • 足元を見よ - 内田樹の研究室

    ジブリが出している「熱風」という雑誌がある。 そこに宮崎駿が2008年11月20日に日外国特派員協会で質疑応答があったときのやりとりが採録されている。 宮崎駿が天才であることに異論のある人はいないだろう。 その天才はつよい思想に裏づけられている。 一読して驚いたのは、宮崎駿もまた「国内市場のサイズ」と「国内需要」を創作のキーワードに挙げていたことである。 宮崎はハンガリーの記者の「日の観客と世界の観客の違いを意識しているか」という質問にこう答えている。 「実は何もわからないんです。僕は自分の目の前にいる子供達に向かって映画をつくります。子供達が見えなくなるときもあります。それで中年に向かって映画をつくってしまったりもします。でも、自分達のアニメーションが成り立ったのは日の人口が一億を超えたからなんです。つまり日の国内でペイラインに達することができる可能性を持つようになったからですか

    rajendra
    rajendra 2009/01/13
    十分な市場を有していればドメスティックでも構わないとするロジックは、一部の産業・業態にしか当てはまらないとは思うが、ここから石火の機に繋げるくだりは素直に巧いと思った。
  • あれから40年 - 内田樹の研究室

    修士のクロダくんが論文について相談に来る。 修論のテーマは「学生運動」だそうである。 40年前の学生運動のことについて調べたいという。 私が彼女の年齢のとき(1973年)、その40年前というと、1933年である。 ヒトラーが政権を執り、松岡洋右が国際連盟の会議場から歩き去り、滝川事件が起きた年である。 どれも、私にとっては「ジュラ紀ほど大昔の話」である。 だから、ナチスが政権を執ったときのことをリアルタイムで知っている人なんかの話を聴くと、「生きる現代史」みたいな古老だと思っていた。 けれども、よくよく考えてみたら、私自身がもう彼女たちの世代から見たら「歴史事件を語り継ぐ」古老の立場にいたのである。 69年の全国学園闘争とは何であったのか、お嬢さん、それをこの老人に聴きたい、と。 ほうほう、それは奇特な心がけだのう。 だが、あの話を若い方にご理解いただくためには、明治維新から説き起こさね

    rajendra
    rajendra 2009/01/11
    そんな風に考えた人間すら一握りで、大多数は流れに乗っかっただけじゃないの、という疑問を禁じ得ない。
  • 小体な共同体へ - 内田樹の研究室

    お掃除部隊の大活躍で、家の煤払いが一日で終了。 ゑぴす屋タニグチ率いる「お掃除部隊」の諸君の獅子奮迅の人海戦術によって洗濯機の排水溝から野菜室で凍り付いていた賞味期限切れ品まできれいさっぱり片付いた。 うれしいことである。 もともと私はそれほど家を散らかす人間ではない。どちらかといえば、かなり片付け好きな人間である。 だが、家の整理整頓というのは寸暇を惜しんでやるというものではなくて、ゆったりとした気分の中で行い、興が乗って、「よっしゃ、こうなったら徹底的にやるか」というような気合いになっても、それが可能なだけの時間的余裕というものがないとかなわぬのである。現在のようなタイトなタイムテーブルで生きていては、ただ床に散らかっているものをしまいこむ程度のことしかできない。 夏物冬物整理とか、CDとDVDのアルファベット順配架とか、書棚の機能的再編というようなことはまだ遠い夢であるが、とにかく

    rajendra
    rajendra 2008/12/24
    社員旅行の肯定的評価は以前にも出ていたな。http://b.hatena.ne.jp/entry/5421793 /もし共同体への回帰の流れが出てくるなら、旧来の共同体の悪弊をどれだけ払拭できるか。
  • 「おせっかいな人」の孤独 - 内田樹の研究室

    鹿児島に行った話を書き忘れていた。 鹿児島大学におつとめの旧友ヤナガワ先生に呼ばれて、鹿児島大学が採択された教育GPの一環として、キャリア教育について一席おうかがいしたのである。 キャリア教育については、もし「労働のモチベーション」をほんとうに上げようと望むなら、「自己利益の追求」という動機を強化しても得るところはない、と私は考えている。 その話をする。 これについては、『潮』と『新潮45』の近刊にも書いているので、繰り返しになるが、私はこう考えている。 「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。 道ばたに空き缶が落ちている。 誰が捨てたかしらないけれど、これを拾って、自前のゴミ袋に入れて、「缶・びんのゴミの日」に出すの

    rajendra
    rajendra 2008/12/21
    契約書に書かれていない仕事は誰がするのか的な話。いわゆる職務給制度を採用すると、こういう仕事は一向に処理されなくなるよ。
  • 窮乏シフト - 内田樹の研究室

    ゼミの面接が始まる。 これまでに49人と面談。ひとり10分から長い人は20分くらいなので、すでに12時間くらい学生たちと話し続けている勘定になる。 ふう。 まだ20人くらい残っている。 たいへんな仕事ではあるけれど、総合文化学科の全2年生の3分の1くらいの学生たちと一対一で膝を突き合わせてその知的関心のありかを聞き取る得がたい機会である。 現代日の20歳の女性たちの喫緊の関心事は何か? 女性メディアの編集者であれば、垂涎のテーマであろう。 お教えしよう。 彼女たちが注目している問題は二点ある。 一つは「東アジア」であり、一つは「窮乏」である。 東アジアへの関心の主題として挙げられたものは「ストリートチルドレン」「麻薬」「売春」「人身売買」「児童虐待」「戦争被害」「テロリズム」「少数民族」などなど。 これらは、「法治、教育、医療、福祉、総じて人権擁護のインフラが整備されていない社会で人はど

    rajendra
    rajendra 2008/12/06
    クライシスを関心の射程に入れている若い世代というのは、いつの時代も一定割合でいるんじゃないかね。
  • 費用対効果教育 - 内田樹の研究室

    全国私立大学付属・併設中学校高等学校教育研究集会という長い名前の集まりに呼ばれて一席演じる。 教授会がある時間帯なので、ほんとうは断るべき学外バイトであるのだが、なにしろお相手が全国の中高名門校の先生方である。 大学案内をかかえて「あの〜、進路指導の先生にお会いしたいんですけど〜」と腰を低くして職員室にうかがっても、「あ、そのへんに資料だけ置いて帰っていいです」というような扱いを受けてきた身としては、「まとめて営業」できる機会というのはこちらからお鳥目を差し出しても伺いたいところである。 研究集会のテーマは「教育の不易と流行-多様化する社会における一貫教育の役割」というものである。 ちょうど『街場の教育論』が出たところなので、「学校教育は惰性の強い制度であり、社会の変化に即応すべきではない。変化しないことこそが教育の社会的機能なのである」という持論を述べる。 直前の教務委員会で来年度の学年

    rajendra
    rajendra 2008/11/16
    「より小さな労力で大きな果実を手にしたい」という欲求が人類の進歩を促してきたんだから、CPという考え方そのものは否定できない。ということは、リソースを振り分けるルールが問題?
  • 日教組の ”影響” と言論の自由について - 内田樹の研究室

    テレビ政治討論番組で「日の丸・君が代」の強制について批判的に言及した人に向かって、別のスピーカーが「あんた、日人止めなさい」と怒鳴りつけた。 不思議なロジックである。 「日の丸・君が代」が国旗国歌であるということはいわゆる「国旗国歌法」によって9年前に定められた。 国法に疑義を唱える人間に向かって「だったら日人を止めろ」ということが適法的であるとするなら、国憲に疑義を唱える人間についてはどうなるのであろう。 たしか私たちの国の政権与党はひさしく「改憲」を党是として掲げいる。 憲法は片々たる法律とは違う上位規定である。 憲法98条にはこう記してある。 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」 下位規定である法律に「疑義がある」という人に向かって「それなら日人を止めろ」と言うことができるなら、

    rajendra
    rajendra 2008/11/13
    "誤解している人が多いが、「言論の自由」に基づいて私たちが要求できるのは「真理を語る権利」ではなく、「間違ったことを言っても罰されない権利」である。"
  • 不思議なアンケート (内田樹の研究室)

    だいぶ前に某誌から「人生の中で一度は読みたい未読の」というアンケートが送られてきた。 なかなか面白い趣向のアンケートである。 「読まねばならぬ」と思いつつ、どうしても手に取ることや読み通すことのできなかったのリストを示していただけると、その人の隠された心的傾向がうかがえるやもしれぬ。 どのような回答が寄せられるのだろうかと楽しみにしていた。 私の回答は中里介山の『大菩薩峠』。 白井喬二の『富士に立つ影』と並ぶ「めちゃめちゃ長い時代小説」の双璧であり、途中から主人公の机竜之助がどこかに消えてしまって、別人が主人公になるという構成上の破綻もものかは先般亡くなられた今村仁司先生が強く推奨していたので、いつかは読まねばと思っていた。 一巻の途中で挫折したままである。 それについてこんな文章を寄せた。 一生に一度は読んでみたいと思いつつ読んでいない」という企画は、やってみたらあまり個性的なセレ

    rajendra
    rajendra 2008/11/12
    ブクマ分かれかと思ったら、アーカイブの方にはなかった。没エントリなのね。
  • 不思議なアンケート - 内田樹の研究室

    少し前に某誌からアンケートがあった。 「人生の中で一度は読みたい未読の」というものである。 なかなか興味深い趣向である。 「読みたい」と思っていながら、なぜか手に取ることや読み通すことに抵抗が働くような種類の書物が存在する。 そのリストを示すことは、その人の無意識の心的傾向を知る上の重要な手がかりになるであろう。 私は『大菩薩峠』を選んだ。 白井喬二の『富士に立つ影』と並ぶ「めちゃめちゃ長い時代小説」の双璧であり、主人公の机竜之助がとちゅうでいなくなって、別の人が主人公になる(らしい。読んだことがないからよく知らないのである)。 故・今村仁司先生が激賞されていたので、ぜひいつかは読みたいものだと思っていたので、回答にこんな文章を寄稿した。 「一生に一度は読んでみたいと思いつつ読んでいない」という企画は、やってみたらあまり個性的なセレクションにならなかったのではないかと思う(編集者はちょ

    rajendra
    rajendra 2008/11/12
    "日本のインテリゲンチャたちの圧倒的多数が「自分の知性の限界や不調を主題化する作業からはほとんど反射的に目をそらす」という事実を開示してくれている"
  • 人を見る目 - 内田樹の研究室

    山形浩生さんが少し前にノーベル賞について、「ノーベル賞受賞者数を政策目標に使うような発想は、ぼくはゆがんでいると思う」と書いている。 「それは自分では評価できませんという無能ぶりを告白しているに等しい。だからぼくは日に必要なのは、ノーベル賞受賞者そのものより、研究や業績を王立科学アカデミー並みの見識と主張をもって評価できる人や組織の育成じゃないかと思うのだ。日でも、何かノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?(…) もちろん・・・おそらく無理だろう。日ではそんな賞はすべて地位と経歴と学閥内の力関係で決まり、下馬評は事前にだだ漏れとなり、受賞目当てのロビイングが横行し、結果としてだれも見向きもしないつまらない賞になりはてるだろう。それが日の問題なのだ。」(「論点」、毎日新聞、10月31日) 山形さんの言うとおりだと私も思う。 私たちの社会のたいへん深刻な問題の

    rajendra
    rajendra 2008/11/03
    伯楽は容易には得られず、ゆえに人材に関してはバッファをしっかり持たせて運用することが必要、と俺は思っているが世間ではタイトな運用が好まれているなあ。
  • 会議と書類の大学 - 内田樹の研究室

    ノーベル賞の物理と化学あわせて受賞者が4人出たことは慶賀すべきことであるが、いずれも20年30年前の業績についてのものであることの重大性を指摘する人が多い。 中村桂子さん(JT生命誌研究館館長)もその一人である。 今の日の研究体制であれば、20年後30年後にノーベル賞を受賞するような研究は出てこないだろうと中村さんは言っている。 「現在、ちょっと変わった新しいことを考える雰囲気がない。大学が法人化され、競争的資金と言われ、すぐに成果の出ることばかりに追われ、自由度がなくなっている。会議と書類づくりの毎日はいつか軌道修正されると思っているが。」(毎日新聞10月26日) 役人が研究をコントロールしようとすれば、必ずそうなる。 役人が教育研究活動に容喙すれば、教育研究の質は不可避的に下がる。 私の大学では「シラバスに成績評価基準を明記していない教師がいる」という理由で先般助成金が削られた。 シ

    rajendra
    rajendra 2008/10/28
    事務的な仕事がヘタな人は大学教員たるを得ず、という時代になるのかな。
  • 若者は連帯できるのか? - 内田樹の研究室

    土曜は愉しい合気道と例会。 日曜は一日校正と原稿書き。 ゲラがどんどん送られてくるので、どんどん送り返す。 この二週間に3冊分再校した。 ということは近々に(たぶん来月)3冊が出るということである。 『橋治と内田樹』(筑摩書房) 『昭和のエートス』(バジリコ) 『街場の教育論』(ミシマ社) 一ヶ月に3冊というのはこれまでにたぶん例がない。「月刊ウチダ」どころか「週刊ウチダ」である。 律儀に買ってくださる方々にはご出費をおかけして、まことに申し訳ない(ほんとにすみません)。 でも、この集中豪雨的な出版が一段落すると、しばらく(たぶん来年の初夏くらいまで)は『知に働けば蔵が建つ』の文庫化以外には新刊は出ないはずである(希望的観測)。 このあとのラインナップは『街場の家族論』『日辺境論』『クリエイティブ・ライティング』二部作。ゲラの山にまみれる生活はまだなかなか終わりそうもない。 『昭和の

    rajendra
    rajendra 2008/10/22
    自分らしさとかアイデンティティとか、そういったものを手放さないと活路が開けない、という局面は確かにあるんだろう。おのれを成り立たせているアイデンティティは、傍から見れば解体すべき既得権かもしれない。
  • 知識についての知識について - 内田樹の研究室

    毎日新聞の次は『新潮45』。 総合雑誌の廃刊休刊相次ぐ中で苦戦中の『新潮45』も12月号からリニューアルするそうである。 野木正英さんが編集部に参加する。 野木さんは旧友故・竹信悦夫と高橋源一郎さんと灘の同期である。 このトライアングルがどんな過激で愉快な中学高校時代を過ごしていたのかについては源ちゃんと私の対談(『ワインコイン悦楽堂』)に詳しい。 そういうご縁があるので、竹信への供養もかねて、リニューアル『新潮45』に一臂の力を仮すことにしたのである。 野木さん、編集長の宮さん、三重さん、そしていつもの足立さんが御影においでになる。 インタビューのお題は「呪いのコミュニケーション」。 話頭は転々で何を話したのかよく覚えていないのだけれど、その中で「知識がある」ということが今ほど無意味になった時代はないということを話した。 20年ほど前の学会では、学会発表のあとの質疑応答で「重箱の隅をつ

    rajendra
    rajendra 2008/09/25
    そういえば自分のいる業界は、知識についての知識を日々editせねばならんようなところなのだった。
  • 私の好きな統治者 - 内田樹の研究室

    自民党総裁選で麻生太郎が選出されたという報を承けて、毎日新聞から「宰相論」というトピックでの取材が入る。 どういう政治家が指導者として望ましいのかについて考える。 「葛藤に引き裂かれている人」というのが私のとりあえずの希望である。 政治家といえども人間である。個人的信念があり、価値観があり、審美的好悪がある。これはその人の「私」の部分である。 それに対して、政治家には「民意を代表して、国益を最大化する」という義務がある。 「民意」のうちには政治家個人の信念や価値観や嗜好とあきらかに異質なものが含まれている。 自分自身の政治的信念と背馳するような政治的信念をもっている人間であれ、その人が法制上の「国民」である限り、政治家はそのような人の意向をも代表せねばならない。 この仕事は決して愉快なものではない。 だから、私は統治者というのは「苦虫を噛み潰したような顔」になり、言うことはもごもごと口ごも

    rajendra
    rajendra 2008/09/24
    利害調整を主たる職務とする為政者は、当然に漸進主義に徹せざるを得まい。社会を前に進ませる力は常に在野のものだ。
  • 大学が生き延びるために - 内田樹の研究室

    いつも大学情報を教えてくれるコバヤシさんから、「ちょっとショッキングな話」を教えていただいた。 大阪府吹田市のある大学(気の毒なので名を秘す)に、08年、現代社会学部が新設された。 しかし、来年(09年)、この学部は募集停止になる。 おそらく大幅な定員割れだったと想定される(受験者は20人余。入学者は非公開)。 もう一つ、これも関西のある大学の話。 この大学は08年度から人間教育学部を新設した。 1966年に開学したときの文学部を94年に募集停止して、国際文化学部を設置(文化学科、言語コミュニケーション学科)。02年に情報コミュニケーション学科を設置した。 文学部から国際文化学部への事実上の改組であるが、それも12年しか保たなかった。 06年に国際文化学部が募集停止。そして人間教育学部に衣替えしたのである。 冷たいことを言うようだけれど、この人間教育学部も長くは保たないように思う。 これら

    rajendra
    rajendra 2008/08/08
    他所の真似をしたら残酷なまでに比較される。生き残るならオリジナルな地平を目指す。ところで前例の無い企画をしようとすると大抵は交付金が(ry