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ブックマーク / sivad.hatenablog.com (22)

  • ハンプティ・ダンプティとしてのハルキ・ムラカミ - 赤の女王とお茶を

    遅ればせながら、新年おめでとうございます。今年もマイペースでございますが、よろしく。 年末年始はごく個人的プロジェクトとして、村上春樹の読み直しをしてみました。1Q84は未読なのですが、その前におさらいといったところでしょうか。 もう一つは、昨年注目されたはエルサレム賞のスピーチ。なんとなくひっかかる内容なんですよね。卵と壁の比ゆは確かに分かりやすかったのですが、ハルキ・ムラカミってそんなに分かりやすかったっけ?というもやもや感がありました。 で、読んでみたのが チョイスはたまたま手元にあっただけなんですが、デビュー作、初長編、初ヒット作、と意外とバランスのとれた三作になりました*1。 結論から言うと、人が冒頭で「小説家として」宣言したとおり、エルサレム賞のスピーチにはやはり「嘘」がある。 「クレタ人のアレ」をいいだすとややこしいので、より正確にいうと、そもそもハルキ・ムラカミの小説は「

  • 基礎科学が種まきだとするなら日本に必要なのは苗を育て収穫しおいしく料理して食卓に届ける仕組みだ - 赤の女王とお茶を

    まさにタイトル通り。 週末は出張と博士ミーティングが連続して仕分けについてはリアルタイムでは見ていないのですが、ついった等で概要は把握しました。 緊急メッセージ、未来の科学ために 職の研究者ではない榎木氏が真っ先に動いているということが象徴的。第一声としてはバランスの取れたよい文章ではないしょうか。 科学は重要だし、わたしもその末端でメシをわせていただいているのでもちろん守りたい。 社会的に発言すべきということはかねてより言い続けてきたことなので、それも大歓迎です。 ただせっかく科学者なのだから、科学者らしさをいかすのも悪くない。 科学研究でなにかを考える時には、「これまで何があって、今どうであり、これから何をすべきか」を押さえておくのがいろはです。 日の科学政策でなにが起こってきたのか、ざっと把握するには以下のエントリがよくまとまっています。 博士はなぜ余るか? 日の科学技術政策

    基礎科学が種まきだとするなら日本に必要なのは苗を育て収穫しおいしく料理して食卓に届ける仕組みだ - 赤の女王とお茶を
  • 科学批評にはなにが必要か?: 2009-03-25 - 赤の女王とお茶を

    5号館さんからTBをいただいた科学批評家の話題について少々。 もっともっとたくさんの科学批評家が必要だ 『批評とはなにか』ってことを考えていたら、なんだかちょうどいくつかの記事が目に留まったのでとりあえず紹介します。、 finalventさんが小林秀雄の批評論を紹介した 批評トハ 某イースト氏が自らの批評?について語った 批評について どちらも批評を「作品」として捉えていて、むろん表現には全て作品としての側面が(科学論文ですら!)あるわけですから、それ自体は結構なことだと思います。 ただイースト氏においては対象や正確さはどうでもいい、というところまでイってしまっているようで、まあエンタメ分野においてはありなのかもしれませんが、科学や社会をあつかう際にこれではもはや批評と呼ぶに値しないでしょう。 わたしなりに批評というものを定義するなら、「対象を文脈の中に位置づけること」だと考えます。 世の

    科学批評にはなにが必要か?: 2009-03-25 - 赤の女王とお茶を
    randompole
    randompole 2009/03/28
    リンクまでしといてわざわざ「某イースト氏」って書く意味があるんだろうか。言ってる事はすごくもっともだけど、こういうのはあまり気持ちの良いものではない。
  • 研究とは「パンク伝統芸能」である - 2009-02-23 - 赤の女王とお茶を

    そのこころは、「過去からの蓄積や文脈を踏まえつつ」、「誰もやっていない新しいことをしなくてはならない」。 どんなことにおいてもある程度はいえることではありますが、仕事としての研究にはこの2点が特に強力に求められます。 矛盾? まあ最初はそう感じます。どんなにたくさん勉強しても知識を得ても、その知識以外のことをやれ、でないと意味がない、と言われるのですから。 大量の教科書や論文を読み、「そこに書かれていなくて、かつ重要なコト」を自然や現象の中から見つけ出すのが研究です*1。 徒労を感じます。 処世の効率を考えれば、すでにある知識を編集してそれっぽくした方がよっぽど早いでしょう。 しかし、現実の出来事をそうした「使える知識」として産みなおすには、研究のこういう泥臭い格闘がどうしても必要なのです。その意味では、研究の仕事というのは「知識の一次産業」なのでしょうね。 どうすればこんなしんどい仕事

    研究とは「パンク伝統芸能」である - 2009-02-23 - 赤の女王とお茶を
    randompole
    randompole 2009/02/27
    ちょっと突っ込んだことをやろうとするとそこら中に「誰もやっていない新しいこと」が転がってて、「なんでこんな重要なこと誰も押さえてないんだよ」と逆ギレしそうになることもしばしば。
  • 経済学と科学リテラシー 2009-02-15 - 赤の女王とお茶を

    経済学とニセ科学問題 経済学にもコミュニケーターが必要なんですね このあたりプラス、先日のコメント欄の議論を踏まえて少々。 コメント欄のお話ですが、私とluke_randomwalkerさんたちの話の「噛み合わなさ」には一つの大きな要因があると感じています。 それはどちらが正しい、という問題以前に、話している階層が一致していないということです。 私は「個別の経済における適用の方法」について話をしているのですが、luke_randomwalkerさんたちは「経済学の中での知識」について話をしている。 この違いはたとえば医療などの実務に携わっている人にはわかりやすいのではないかと思います。 医学知識というのはたくさんの患者さんや症例を統計的に検討して、「共通性がある」と判断された知識です。当然、治療の際には踏まえておく必要があります。 しかし、個々の患者さんは多様で治療の際に教科書通りのデータ

    経済学と科学リテラシー 2009-02-15 - 赤の女王とお茶を
  • 2008-12-06 - 赤の女王とお茶を - 心理操作主義とドラッカー

    どうもここんとこ半径5mを見渡した感じ「マーケティング」や「マネジメント」というとなにか「心理操作」的なイメージが広がってるみたいですが、「マネジメントの父」であるドラッカー師匠はこの辺どう考えていたのか。 ちょいとドラッカー経営学の基である「マネジメント」を紐解いてみましょうか。 マネジメント[エッセンシャル版] - 基と原則 作者: ピーター・F・ドラッカー,上田惇生出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2001/12/14メディア: 単行購入: 210人 クリック: 8,094回この商品を含むブログ (433件) を見るまず前提知識。 労働者を働かせる際によく利用される、マクレガーのX理論Y理論、というものがあります。 一種の性善説性悪説のようなもので、 X理論は「人は怠惰で仕事を嫌い、強制を必要とする」 Y理論は「人は欲求を持ち、仕事を通じて自己実現と責任を欲する」 と

    2008-12-06 - 赤の女王とお茶を - 心理操作主義とドラッカー
    randompole
    randompole 2008/12/07
    最後の一文で読む気が萎えた。
  • 上げ潮とかバラマキとかリフレとかについてざっくりまとめてみるメモ - 赤の女王とお茶を 2008-09-06

    まあ分からんなりに整理してみましょうか。政治の季節だしね。 あくまで素人談義ですので、専門家の皆さんフォローよろしくお願いします。 例えばこちらによると 経済政策において大きく4つの流派?があることになってるそうです。 1.財政再建派(増税派) 2.積極財政派(バラマキ派) 3.上げ潮派(構造改革派) 4.リフレ派(金融政策派) 1.財政再建派(増税派) ってのはまず最初に国の借金を返そうぜ派ってことで、となると増税しなきゃ始まらんよな、ということでしょうか。特に消費税を使うのが好きみたいですね。 確かに国の借金は膨大ですけど、こういうとこ http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-515.html にあるように、日国の借金は日国民に対する借金なので、すぐに怖いお兄さんが取り立てにくるような状況とは違うようです。 将来的に減らしてい

    上げ潮とかバラマキとかリフレとかについてざっくりまとめてみるメモ - 赤の女王とお茶を 2008-09-06
  • ドラッカーはネオリベでもサヨクでもないですよ - 赤の女王とお茶を

    ドラッカーをあまりにあがめ奉るのもどうかと思うのですが、私も一ファンとしてそれなりに読んできたし、いくつかのエントリで言及もしてますんで書いときます。 まず、私なりのドラッカー理解をまとめておきます。 ・ドラッカーのいうところの「経営=マネジメント」とは、人を手段ではなく目的と置いた上で、社会や組織をどう組み立て、動かしていくか、という方法論である。 ・また氏の言うところの「自らの責任」とは、日流の自己責任論ではなく、人を目的とした時に社会や組織の中で自分がどういう役割を担うべきか自ら任じて動くべし、ということであって、むしろ「自己使命論」というべきものである。氏自身も強みを活かして稼いでいた証券の仕事をやめ、自らの使命と信じる文筆業に身を投じた。 ・いわゆるネオリベやリバタリと異なる点は、社会や組織、共同体の機能を重視することにある。ドラッカーは人の幸福にはそれらが不可欠だと考える。従

    ドラッカーはネオリベでもサヨクでもないですよ - 赤の女王とお茶を
  • 2007-07-28

    「入社時から給与に格差を」経団連会長、フォーラムで 御手洗冨士夫会長(キヤノン会長)は、学生を成績や論文で評価し、入社から給料に格差をつける仕組みの導入を提案した。 まあどういう評価基準を使うかは各自で考えればいいんじゃないでしょうか? キャノンさんがそうしたければ「自己責任で」そうすればよろしい。「みんな一緒に」導入する必要もない。 それはわりかしどうでもいいとして、こちらの見解はいただけない。 御手洗会長は、採用の改革について「平等に採用して会社では年功序列。競争の原理からほど遠く、イノベーション(革新)は生まれない。社会正義を平等から公平に変え、それに沿った学校教育、採用試験、給料体系にしないといけない」と呼びかけた。 単に競争すればイノベーションが生まれると思っているオジサンが多くて困りますね。ドラッカー、ちゃんと読んでる? そもそも、競争というのはなんらかのルールに従って勝敗を競

    2007-07-28
  • 赤の女王とお茶を - いいかげん、教育を「量」で考えるのをやめたらどうか

    第101回 東大の「産業総論」で露呈 日人の知力崩壊が始まった 当分の間日は、ゆとり教育で頭がこわれた連中がまき起こす総社会的知的レベルダウン現象に悩まされつづけることになる。その間に日という国がこわれてしまわねばいいがと最近当に心配している。 もちろん、最終的には知識量が問われる場面もあります。 が、ここでも書いたように、一番重要なのは頭の中に「回路」を作ることなのです。 論理的な回路。 数学的な回路。 科学的な回路。 芸術的な回路。 文化的な回路。 歴史的な回路。 「センス」あるいは「モード」と言い換えてもいいかもしれません。 教育の「量」も「質」も、最終的にこういった「学習オートマトン的回路」を形成するためにデザインされなくてはなりません。 「ゆとり」だ「詰め込み」だという二元論で語っている限り、教育は良くなりようがないんですよ、立花さん。理科の知識を詰め込むだけでは科学的思

    赤の女王とお茶を - いいかげん、教育を「量」で考えるのをやめたらどうか
    randompole
    randompole 2007/03/24
    「知識を詰め込むだけではダメだというのは、当の立花さんを見れば一番よく分かる」
  • 赤の女王とお茶を 理科教育より科学教育を

    トンデモの空白をどううめるか 基的には、トンデモさんに対して我々ができるサポートは、この試行錯誤を支援することのように思う。また、我々がトンデモにおちいらないためには、この試行錯誤に耐えるべきだと思う。試行錯誤のプロセスの中では、疑似科学にひっかかり、失敗する経験も必要となることもあろう。 実際はこの「試行錯誤のやり方」こそが科学のコアなんであって、それが掴めないといつまでたってもあっちからこっちへと右往左往することになりかねません。 結局のところ、「理科」教育というのは科学によって得られた知識を「権威」として教え込むことが中心になっていて、現在の日では「科学というプロセス」を学ぶ機会は大学院に入るまで(あるいは入ってからも!)ほとんど存在しません。 だから権威としての「科学(知識)」を盲信するか、あるいはアンチ権威としての「ニセ科学」に転向するか、いずれにしても極端に走りがちなのです

    赤の女王とお茶を 理科教育より科学教育を
    randompole
    randompole 2007/03/24
    ニセ科学に対抗するためにどこまで「あえて」権威的になるのかが難しいところ。
  • 赤の女王とお茶を - 意志とオプティミズムだけでは足りない

    悲観主義とオプティミズム 非常によく分かりますね。 研究という仕事にも常に一定の楽観主義・オプティミズムが必要だからです。 基礎研究というのは「これまで誰もやっていないこと」しか「成果」になりませんから、いつも試行錯誤、苦労してやってもまともな結果になるかどうか分かりませんし、ライバルに先を越されれば努力も水の泡です。 それでも、何か新しい発見があると信じてやるしかありません。こういう仕事は、少なくとも感情面ではオプティミストでなければやっていけません。 ただ、そういう姿勢はすごく正しいとは思うのですが、それに拠りかかり過ぎると一種の「精神論」に陥ってしまいます。 現在の日の研究業界はまさにソレで、若手の意志やオプティミズムに依存した結果、それらを補完するシステムの構築を怠ってしまい、ほとんど機能不全に陥りかけています。 オプティミズムというものは、それを支えるシステムがあって初めて有効

    赤の女王とお茶を - 意志とオプティミズムだけでは足りない
  • 赤の女王とお茶を - アメリカの科学教育は76ヶ年計画で着々と進行中。

    納豆だの波動水だの血液型だのに沸く日列島。 安部首相率いる現政府は「識者」達の「教育再生会議」を招集し、実にステキな対策や提言を通じて教育改革に取り組んでいます。 一方、アメリカにおいては既に1985年から大規模な教育改革プログラムが発動しており、現在も進行中です。 その名も"Project 2061"。 Project 2061は、先日も書いた最強の民間理系支持団体AAASを中心として、様々な分野の専門家を集め国ぐるみで作成された一大プロジェクトであり、全アメリカ国民の科学的思考力を増進するための76ヵ年計画を米国全土、あるいは州レベルにおいて遂行せんとする極めて戦略的で具体的なプランです。 Project 2061ではまず、Science for All Americansという報告をまとめ、「科学」とは何か、そして国民が身に付けるべき「科学力」とはどういうものであるか、について徹底

    赤の女王とお茶を - アメリカの科学教育は76ヶ年計画で着々と進行中。
    randompole
    randompole 2007/02/25
    某数学者さんや某化学者さんが政治家相手に非科学的な寝言を垂れ流してるようじゃあ……
  • 「科学モデルの説明」と、「科学モデルを用いた現実の説明」は違うんですよ - 赤の女王とお茶を

    一連の「経済・生産性論争」を観ての「感想」です。 一言でいうと、タイトルのような間違いというかあるいは意図的な混同が議論を迷走させている感じ。 経済学によらず、物理でも生物でもそうですが、ある「科学モデル」について説明するとき、そのモデルが最もうまく機能する「系(=条件の集まり)」を仮定します。 これを「理想系」といいます。 勘違い君が作ってくれたグラフだとか、こちらで「仮定」されている条件などがそれにあたりますね。 「理想系」内では、当然ながらモデルがうまく機能します。そりゃそうです。そのような系を作ったんだもの。 つまりこれは「現実の世界」を反映したものではなくて、「こういうリクツもありえますよ」、とプレゼンするための「お話」なのです。 これに対して現実世界に起こった出来事「現実系」を解析する場合には、モデル通りには行きません。なんせノイズ満載ですから。 かろうじて、実験できる系の場合

    「科学モデルの説明」と、「科学モデルを用いた現実の説明」は違うんですよ - 赤の女王とお茶を
  • 本当の問題は「食って寝て排泄する機械」としての老人である

    機械って言っちゃ申し訳ないけど。機械って言ってごめんなさいね。 生産人口は決まっている。 「って寝て排泄する機械」がそれに比して多すぎるから、後は一人頭削っていくしかない。 good2ndの日記 - 機械にたとえたのって、そんな沸騰するような話ですかね? 以前から書いていますけど、題、質というのならば真の問題は「少子化」ではなく、「高齢化」の方なのですよ。人口が減ること自体が問題なのではなく、社会の高齢化が速すぎることが問題なのです。 ですから、柳沢大臣は当は上記のように言わなければならなかったのです。 重要な問題の質を捉えられない大臣にはやっぱり辞めてもらったほうがいいかもしんないですね。 関連: 増える75歳以上支える覚悟と仕組みは*1 老いと死の時代がやってくる 真の問題は少子化ではなく、高齢化。 *1:sava95さんどうもです

    本当の問題は「食って寝て排泄する機械」としての老人である
  • 老いと死の時代がやってくる - 赤の女王とお茶を

    を償うにをもってせよ - 20年後 こーいうとこを読むと、これから20年、すごい時代になるだろうなぁと感じます。 平均寿命がこれから大幅に伸びることはちょっと考えにくいし、むしろ団塊世代は不摂生とストレスのため平均を下げそうでもあります。 となると、20年後あたりには団塊世代とその上の長寿世代がそれこそどっかんどっかん死に始めることになる。 カネ、権力、文化においてもっとも力を持つ巨大な集団が、真正面から老いと死に向き合わなくてはならなくなる。 これがどういう結果をもたらすのか、ちょっと想像もつきませんね。なにしろ人類初でしょうし。 ITやらWEBがどう関わってくるのか、というのもありますが、個人的に気になるのはバイオテクノロジー。やっぱり、老いや死に対する直接的な武器ですからね。 製薬会社の研究所閉鎖は手法の革命的変化のせい こういう記事がありますが、実際はちょっと違います。 巨大製

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  • 赤の女王とお茶を - マインド・ハックから脳を守る二冊 ~その1・実践編~

    お正月は主にを読んだり攻殻機動隊S.A.C.を観たりしておりました。 課題図書にしていたのは前から気になっていたコレ。 影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか 作者: ロバート・B・チャルディーニ,社会行動研究会出版社/メーカー: 誠信書房発売日: 1991/09/01メディア: 単行購入: 12人 クリック: 699回この商品を含むブログ (123件) を見るいや、噂にたがわず面白い。 これはもう現代人必読の書といっても構わないのではないでしょうか。 基は心理・認知・行動科学的な原理の紹介と解説なのですが、その中でも社会生活に特に密接に関与する法則に重点がおかれています。著者自身の体験やフィールドワーク、実験や実例も豊富で、なかなか説得力があります。 特筆すべきは、現代に蔓延する強力な心理・認知トリック(広告やマーケティング含む)をしっかり把握し、それらから自分の認識を防衛すべきだ

    赤の女王とお茶を - マインド・ハックから脳を守る二冊 ~その1・実践編~
  • 進化論が科学であり、ID論が科学でない理由 - 赤の女王とお茶を

    科学が『ニセ科学』を糾弾できない当の理由 進化生物学者と似非科学論者との決定的な違いに関して 師走でバタバタしておりますが、レスしとくべきでしょうから。。 まず科学全般について。 先日「地図」に例えたように、科学とは自然・社会現象を抽象化した「モデル」です。 従って、質的に検証されたり反証されたりするのは個々の事実ではなく飽くまで「モデル」の部分なのです。 そもそも、現実を「抽象化」するのですから、必ず「切り捨てる」部分が生じます。地図が現実の土地でないのと同様ですね。どんな科学実験でも、100%理論と実験結果が一致することはありえませんし、重要視される「再現性」も、100%の一致という意味ではありません。完璧に同じ実験条件というものはこの世に存在しないからです。 あたかも盲人が象を撫でるがごとく、いろいろな人がいろいろな角度から検証してみて、やがてぼんやりとではあるが妥当と思われる世

    進化論が科学であり、ID論が科学でない理由 - 赤の女王とお茶を
  • 科学は道徳やしつけのための「地図」である

    道徳やしつけの根拠を自然科学に求めるべきではない 道徳やしつけの根拠は自然科学にある ある意味、どちらも正しいけれど、どちらも正しくないといえます。 科学は、人間がある価値観に基づいて行動する際の「道しるべ」となり得ます。 すなわち、「どこに行くのか」「目的地」*1を決めるのは飽くまで人間だということです。科学は目的地の定められていない「世界地図」なのです。世界地図に「目的地」という地名はありません。どこに行くかは旅行者の決めることです。 そして、科学者とは「地図職人」を意味します。 倫理や道徳について語るということは、「目的地」をどこにするか、という話です。もちろん地図職人たる科学者もそれについて語ることはできます。道や地理には詳しいので、大変役に立つでしょう。ただし、「この道が早いよ」とか「この町はこんなとこだよ」ということに関しては優れていても*2、「ここを最終目的地にすべきだ」とい

    科学は道徳やしつけのための「地図」である
  • いじめと自殺について徒然

    いじめと復讐 いじめ自殺 死に急いだら負けになる いじめの定義,私説 連日の自殺報道。気が滅入りますね。まとまりはないけれど、書いておこうかと思います。 マスコミの報道がいじめによる自殺を加速させてる、という認識は正しいと思います。その一方で、自殺する方の「自殺くらいやらかさないと社会は動かない」という認識も残念ながら正しいんですよね。この点が全く気が滅入るところですが。 ・自殺連鎖に対して 自殺を試みる方はよほど衝動的でない限り、これからの苦痛と幸福を天秤にかけて、苦痛が大きいと見積もるからそういう選択をするわけです。 特に、今自殺すれば「学生の自殺連鎖という物語」にのって、世の中に少しでも爪あとを残せる。ある種の「殉死」です。ならば変わり映えのしない世の中でだらだらと苦しみ続けるよりはマシだと。これに対して、生き続けていればとにかく「可能性」はあるんだよ、と諭すのは論理的には正しいので

    いじめと自殺について徒然
    randompole
    randompole 2006/11/09
    「被害者が事態を隠してしまうことの方が問題」