江戸時代の1854年(安政元年)に日本船の船印として幕府に採用された「日章(日の丸)」の幟は、1859年(安政6年)に「日章」の旗(「日章旗」)になり、また事実上の日本の国旗(御国総標)となった。 開国以降、この日章旗は国家体制が一新した維新政府でも変更されず、1870年2月27日(明治3年1月27日)の「明治3年太政官布告第57号」で「御国旗(御國旗)」(=商船旗・軍艦旗)とされ、改めて日本の国旗として扱われた。もともと「白地に赤丸(日章)」の意匠は平安時代末期から使用され、また縁起物や旗印・船印として江戸時代当時には広く普及していたものであり、日章旗の意匠自体はこれに由来する。 軍旗・軍艦旗としての旭日旗[編集] 1894年(明治27年)、日清戦争における平壌の戦いを描いた浮世絵、『平壌攻撃我軍敵塁ヲ抜ク』(水野年方画)に描かれた帝国陸軍の軍旗 1870年4月17日、明治天皇が東京駒場
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