八幡宮の祭りである放生会も、本来殺生禁断の思想に基づいて生類を放つ仏教儀礼に由来する[6]。 養老4年(720年)の大隅、薩摩両国の隼人の反乱を契機として、同年に誅滅された隼人の慰霊と滅罪を欲した宇佐八幡宮の祝大神諸男と禰宜尼大神杜女による八幡神の託宣により、宇佐八幡宮で放生会を執り行い[6] [7]、石清水八幡宮では貞観4年(863年)に始まり、その後天暦2年(948年)に勅祭となった。 天武天皇5年(677年)8月17日に諸国へ詔を下し、放生を行わしめたのが初見であるが[8]、殺生を戒める風はそれ以前にも見られたようで、敏達天皇の7年(578年)に六斎日に殺生禁断を畿内に令したり、推古天皇19年(611年)5月5日に聖徳太子が天皇の遊猟を諫したとの伝えもある[9]。持統3年(689年)には近畿地方を中心とする数か所に殺生禁断の地が設けられ、定期的に放生会が開かれるようになった[2]。聖