タグ

2006年4月25日のブックマーク (24件)

  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
  • 日本のデモ - 猿虎日記

    今日は、結局共謀罪反対のデモには行かなかった。山岡俊介氏が今日のデモについて書いている。 http://straydog.way-nifty.com/yamaokashunsuke/2006/04/post_8df9.html 紙・山岡も忙しいなか、しかし最優先で参加して来たのだが、正直、余りの参加者の少なさに愕然としてしまった。 既報のように、これだけの悪法、しかもこの最大の正念場で、その数はたったの100名いるかいないか。これに対し、公安警察は50名近く(下の写真。デモ参加者のいる公園を、道路の向こうから覗いたり、写真を撮る様子)。警備の警官と合わせたら、向こうの方が多かったかも知れない。 “第2の自民党”’とも揶揄される民主党さえ、党を上げて反対せざるを得ないほどの内容なのに、これだけとは……。真面目に、この国はいったい、どこに向かうのかと、暗い気持ちにならざるを得なかった。 10

    日本のデモ - 猿虎日記
  • 引き裂かれつつある実存 - 他人の脳内

    はてなで皆さんに見せているanotherという人格と、職場での人格とが、このところ深刻な矛盾を見せ始めているので、ちょっと悩んでいる。 はてなでの僕は、見ての通り、一応ITな職業に就いているくらいの情報はリークしながらも、それでも技術的なことにはそれほど興味を示さないようにしているし(anotherとしては)、しかもはてな政治(笑)の場にあっては、技術云々よりユーザーを大切にする方が先決、という側の意見に与しているし、場合によっては技術畑な人々の心証を害するような発言だって辞さない。 ところが、職場での僕は、まさにその技術畑であるばかりか、「Web2.0でアジャイルな開発を!」みたいなスローガンが気で飛び交う場所に居合わせてたりする。 そうなると、例えば、今anotherとしてオフ会に出ているくらいの積極さで、その種の技術系のカンファレンスとかに積極的に参加した方が、絶対にスキルアップ

    引き裂かれつつある実存 - 他人の脳内
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    web人格問題
  • DMM FX 口座開設キャンペーンPR

    DMM FX 口座開設キャンペーンPR
  • 憎しみを書くことについて - ぼくのWeblog 

    あるときから、へっちゃらで書けるようになったと、これは小説家の片岡義男だが「性描写」について告白している。デビューのころは書けなかった性的なことが、ある年齢に達すると、まるでふっきれたようにノルウェイの森。 彼らの中にはどのような変化があったのだろうか。 僕に関して言えば、それは「愛」だった。自分で書くことはおろか、文章の中に愛を見つけただけでも鼻白む思いだった。好きだったフィリップ・K・ディックも『流れよ我が涙、と警官は言った』あれだけは読めなかった。あの無防備な、愛・愛・愛のオンパレード。アンタにあるのは生存能だけ、でも生存能なんてね、結局のところ死にうち負かされて終わりよ、でも愛があれば、愛があれば死に勝つことができるるるるって!?それが今では、この有り様である。考えはあろうことか「グローバル・スタンダードの愛」についてまで及び、20年前の僕がこれを読んだら、肌が拒否反応でショッ

    憎しみを書くことについて - ぼくのWeblog 
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    愛憎
  • 選ばない人々

    以前に書いたラノベの売れ行きに関するエントリの最後に書いた、こんな一文があったのですが・・・ ・・・なんかもう、何が悪いかって世間的な人気作ばかり追いかけて、己のセンスのみでも選べねーような愚かな大衆がいけないんじゃないかって気が・・・あわわ、なんでもありません。 コレについて、愛・蔵太さんから反応を頂いておりました。 [時事]人は選ぶものが多くなると選ばなくなるというのが昔からの俺の自論だ (愛・蔵太の少し調べて書く日記) たかが「」や「映画」「音楽」といった暇つぶしの娯楽を選ぶのに、人は「自分の家の卓にどんな花を飾ろうか」「明日はどんな服を着ていくか」ほどにも考えません。そんなのは「おすすめの商品」を選ぶか、「みんなが話題にしているモノ」を選ぶかで十分、ということですね。 確かにそういうコトなんでしょうね。要するに、「選べない」のではなくて「選ばない」というコト。なんで選ばないか

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    選択肢が多すぎると選ばなくなる。再考。
  • 「件について」というタイトルが激しく萎える件について: あんたジャージでどこ行くの

    どこ発祥か知らないけど、ブログのタイトルで「○○が激しく△△な件について」っていうのがよくありますね。 あれ、一発で読む気がなくなるからやめた方が良い。 と思うのは私だけでしょうか? 参考:こんなブログは読みたくもない そういえば未だに「○○の中心で△△を叫ぶ」に類したタイトルがありますね。 あの、昔原宿とかで「サザエボン」とかコーヒーのBOSSをもじった「ボーズ」とかってジョークTシャツ売ってたじゃないですか。 大学の時、学内で、その「ボーズ」のTシャツ来てる人を見かけて、鳥肌が立ったんですよ。「うわーーー、この人、これが面白いと思ってるんだ、こわーーー」という。 なんか、それと似た感覚。

  • http://blog.livedoor.jp/insidears2/archives/50413956.html

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    示唆に富む
  • まあ言いづらいこともあるのだが - finalventの日記

    Dr.苫米地も沈黙しているが(知らんだけか)。 鮫島GJ⇒アノレファコメンテーター詰め所2.0:バージョンアップのお知らせ - livedoor Blog(ブログ) わざとらにはずすと、編集とはなにかなとは思う。 ナマに近いほうが意義あることもあるし、ブログではそうかとも思える。 ただ、ナマは読めたもんじゃないというのはあるというか、いちおう商用ジャーナリズムというのは結果的にそう。 で? みたいな話でもあるが。 で。 ⇒売文日誌 - 焼き栗拾い そういった関心の方向性と知的な能力との適正から考えて、むしろここで引っかかるところを感じたと言う事を念のため記録しておく。氏の関心分野から言えば「霊的指導者としての麻原被告」と「テロ指導者としての被告」との整合性を求める事などは必須当然の疑問であり、また、全く経験のない分野と言う事もないはずなのではないか。そういう意味で、11年をかけた成果がこの

    まあ言いづらいこともあるのだが - finalventの日記
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    後学
  • http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C478131471/E20060425102658/index.html

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    面白がって見物するが実は俺自身にとって重要な問題
  • 「空気が読める」を「暗黙の文脈を理解する」って意味だと考えると、ネットでそれを他人に求めるのは無茶だと思う - otsune風呂

    もっと詳しく定義すると「相手がそれをどういう意図・態度で発信しているのか、どういう返信を求めているのかを理解できる」だと思っている。 「空気が読めない」という事に関して。それが「外人」だったりすると腹が立たないよね。 さて。「過去ログも読まずに文脈を無視してコメントしないでください」というblog書きのぼやきはけっこう見かけるけど。その「過去ログ」を「日社会の常識・暗黙知」と置き換えた物が「空気を読む」における暗黙の文脈だと考えている。 だから昨今の「空気を読む事を期待しない」というのは「blogのPermalink時代だから、一見の閲覧者に文脈を読んでもらうことは期待するだけムダ」というのとなんか似ていると思う。 あとおれは、ネットで発言している大抵の他人を「外人」として扱っているのかもな。文脈を読まないことが当然だから、変に悪意や攻撃の意図を邪推しても意味が無い。 「(Dan Kog

    「空気が読める」を「暗黙の文脈を理解する」って意味だと考えると、ネットでそれを他人に求めるのは無茶だと思う - otsune風呂
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    web人格と言うときの前提。でも数が可視化されると空気は出来る。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • それでも黒木ルールは有効 - takoponsの意味

    黒木ルールが(恥知らずに対しては)無効である、という意見。 相手に罵声を浴びせる事を「批判」と考え、それに対する返事が書かれない事を「勝利」と考えている非「匿名者」に対しては、黒木ルールは全く無意味であるといって良いでしょう。 黒木ルールとは? 黒木ルールは、発言者がおかしなコメントをした際に恥を書く場所(=Webサイト等)を所有していて、その場所を担保として他所でコメントを残すことによって、自ずと文責が発生するし、閲覧者からの評価にも影響するから気をつけろ! 「誰かを批判するのなら、お前も覚悟しろよ?」というルールだと認識している。 で、ネット上の名声や評価など無意味だと思っている輩には、自分がどう思われようとも、あいつはデムパだとかピチガイだとか、うしろ指さされ組だろうが何だろうが、とにかく罵声を浴びせ続けて相手を圧倒し、論敵のあわてふためくサマを見て、さらに罵詈雑言を重ねて敵陣営のミ

    それでも黒木ルールは有効 - takoponsの意味
  • Yahoo!ブログ - とわ日記 - 「言葉」を読むということ、「言葉」を発するということ。

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    意志と表現
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0845.html

  • 失敗しない自宅サロンの開業方法

    ここでは自宅サロンを開業するまでの流れを3つのステップで解説していきます。この流れに沿って見て頂ければ、自宅サロンを開業するまでの最適な道のりがきっと見えてくると思います。まず3つのステップは以下のようになっています。自宅サロンの具体的イメージを固める自宅サロンのメニューを考える自宅サロンの開店準備...

    失敗しない自宅サロンの開業方法
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    恋愛におけるコミュニケーションについて
  • 政治的なことは個人的である - daydreambeliever

    男性で、何の留保も抵抗感もなしに「フェミニズムが好きです」と平気で言い切る人が、いきなり信用できないのはどうしてなんだろうか?「フェミニズムは害悪です」「ジェンダーフリーは有害です」と主張する人ならば、男女を問わず、腹は立つけれど、それとなく無視ができるのに。ほとんど日独自の誤用に近いレベルで「私はフェミニストです」と言う男性ならば生温かく笑い飛ばせるのに。そして、自分から「私はフェミニストです」と名乗ることを、今まであえて避けてきたし、今でもそうしようともそうしたいとも思わないのはどうしてなんだろうか?フェミニストであることは、自分にとって、確かに前提ではあるのかもしれないけれど、必然ではないような気がする。自称「フェミニスト」な女性たちには、たいていは違和感ばかりを感じてしまうし、同志として認めて受け入れてもらえないことも、経験的に知っている。だから、いつもひとりで勝手に考えてきたし

    政治的なことは個人的である - daydreambeliever
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    フェミニズムについて
  • http://d.hatena.ne.jp/utsutsu/20060424/p1

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    文化系女子について。
  • http://yuki19762.exblog.jp/4467119

  • 『下流社会』の愛読者、穢多非人(えた ひにん)ブロガーNEETへ | 映画監督 横山博人ブログ

    うっかり消してしまったが山形県庄内市の脱線事故についてつまらないコメントをしたJR東日のアホ社長を擁護する愚劣きわまりない記事をわたしのことをジジィとか呼ばわってこのブログにトラックバックしてきた馬鹿がいる。 実名でもう1回トラックバックしていただけないでしょうか。この卑怯者め、穢多が! 穢多とは? 新明解国語辞典(149ページ)によると 〔「餌取」エトリの変化という〕昔、社会の最下層に置かれた人。特に江戸時代、非人と共に四民の下の民とされ不当な差別を受けてきた階層(の人)。〔現代に至るまで侮蔑ブベツを含意して用いられた〕「―非人」

    『下流社会』の愛読者、穢多非人(えた ひにん)ブロガーNEETへ | 映画監督 横山博人ブログ
  • 『<野宿者襲撃>論』後編 - Arisanのノート

    「野宿者襲撃」論 作者: 生田武志出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2005/12/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 93回この商品を含むブログ (45件) を見る 書では、(おもに少年たちによる)野宿者に対する「襲撃」について、二つの側面から語られているといえる。 ひとつは、「襲撃」は、われわれの社会の野宿者に対する視線、もっとひろげて言えば野宿者を生み出していながらその事実から目をそむけ続けようとする社会のあり方全体の投影(具体化)にほかならない、ということである。 昨日のエントリーにも書いたように、書の前編では、おもにこちらの側面から少年たちによる「襲撃」という行動が分析され語られていたと思う。 もうひとつの側面は、「襲撃」をおこなっている少年や若者たちと、「襲撃」される野宿者の人たちとは、同じ社会構造が生みだした弱者どうしである、という観点だ。 この観点から見

    『<野宿者襲撃>論』後編 - Arisanのノート
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
  • 『<野宿者襲撃>論』前編 - Arisanのノート

    このについては、前編と後編にわけて書きます。 「野宿者襲撃」論 作者: 生田武志出版社/メーカー: 人文書院発売日: 2005/12/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 93回この商品を含むブログ (45件) を見る こののなかには、野宿者に対する「襲撃」の壮絶な実態や、それをおこなった少年や若者たちの、まったく意識を感じていないかのような発言が数多く紹介されている。 それらを読みながら、ぼくはそういう行為や心理が自分には想像もつかないものであり、なぜそんなことを自分と同じ人間ができるのだろうと思って、読み進めるのが難しいほどの怖さ、不気味さを感じた。 だが、それはぼくの認識の間違いで、これらの若者や少年たちの心理は、そのままぼく自身の心理でもあるということ、だからぼく自身が「襲撃」者になっていてもなんらおかしくないのだということに気づいたのは、前編のⅣ「少年たちが野宿者襲

    『<野宿者襲撃>論』前編 - Arisanのノート
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
  • 「コミュニケーション」への絶望 - Cube Lilac

    ひとまずお休みだお( ^ω^) :「コミュニケーション能力」って企業の捏造じゃね? ひとまずお休みだお( ^ω^) :非コミュや非モテを有難くも啓蒙して下さる人たちって 今日はこの辺りの話題.関係ないですが,この手の話題って盛り上がるんですね. 「コミュニケーション(意思疎通)」という言葉に「フツーに要領よく生きる」という意味だけを与えてるのっておかしくないですか? 「フツー力」が有用なのはともかく、それが少ない人はそんなに駄目人間ですか? じゃあ非コミュはどうやって生きていけとおっしゃるの? http://d.hatena.ne.jp/utsutsu/20060423 ``日人同士で意思疎通を図る(コミュニケーションをとる)''ということを考えた場合,日の伝統(そんな大げさな話でもないですが)などを考えると,それができる能力とは``相手の顔色を伺いながら角が立たないように会話を進める

    「コミュニケーション」への絶望 - Cube Lilac
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    必要な視点+kiyaさんの格差の話。
  • X51.ORG : 情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

    【SPE】1971年、米海軍は海兵隊刑務所で相次ぐ問題解決の為に、ある実験を準備し、資金を調達した。実験はスタンフォード大学の心理学者フィリップ・G・ジンバルド博士を中心に組織され、同大学の講堂を刑務所に仕立て、模擬的な刑務所シュミレーションを行うというものだった。新聞広告によって集められた心身共に健全な被験者らは、無作為に囚人と看守に分けられ、実際の刑務所とほぼ同じ環境の中で、二週間を過ごすことが予定された。しかしこのとき、まさかこの実験が後々まで問題となる大きな事件になろうとは、その時、被験者も研究者も、誰一人想像だにしなかったのである。(写真上はこの事件をモチーフにした映画「es[エス]DAS EXPERIMENT」より。以下は当時撮影された実際の写真) 実験に参加した被験者は皆楽観的な気分だった。単に囚人、看守の服に着替えて刑務所風の質素な生活をし、報酬までもらえるユニークな実験と