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2015年3月1日のブックマーク (7件)

  • ハッカソンの作り方

    フリーライター/エディター。主に技術系の書籍を中心に企画・編集に携わる。2013年よりフリーランスで活動をはじめる。IT関連の技術・トピックから、デバイス、ツールキット、デジタルファブリケーションまで幅広く執筆活動を行う。makezine.jpにてハードウェアスタートアップ関連のインタビューを、livedoorニュースにてニュースコラムを好評連載中。 What? Q1 Hackathon(ハッカソン)って何? Q2 いつから「ハッカソン」が一般化したのか? Q3 ものづくりのMakerムーブメントと結びついたワケは? Q4 どういうハッカソンが行われているのか? Q5 メソッドとして企業が注目するワケは? How? Q1 ハッカソンの流れはどうなっているのか? Q2 アイデア出しの具体的な方法は? Q3 チームビルディングが重要になる? Q4 知財はどういう扱いになるの? Q5 もしハッカ

    ハッカソンの作り方
    stkysm
    stkysm 2015/03/01
  • 図書館史のウワサ:春秋会事件、国会図書館初期幹部人事 - 書物蔵

    てっちゃんいふやう、 春秋会事件についてのウワサ 『支部図書館外史』をまとめた時、スガイさんなどからいろいろ書けないようなことを中森強さんが聞いたようだナ。 ほほぅ(゜〜゜ ) 実際、 酉水, 孜郎, 1904- || スガイ, シロウ - の回想には肝心なことはなんーんも書いてない。しかし中森, 強, 1931- || ナカモリ, ツヨシ - 氏も数年前鬼籍に入られた(´・ω・)ノ こんなことならインタビューするんだったよ。 http://researchmap.jp/read0039180/ みんな墓場までもってっちゃったんだのぅ…(*゜-゜) まあ事件の構造についちゃあ、ある程度理解できたんで、図書館業界史的な位置づけは、新たな事実が出てきてもあまり変わらんと思ふが、やはり同時代人にはいろんな情報がながれてをったのだねぇ(゜〜゜ ) https://twitter.com/shomo

    図書館史のウワサ:春秋会事件、国会図書館初期幹部人事 - 書物蔵
    stkysm
    stkysm 2015/03/01
  • 装潢史 | NDLサーチ | 国立国会図書館

    資料種別図書著者渡邊明義, 岡興造, 石川登志雄 著ほか出版者国宝修理装潢師連盟出版年2011.9資料形態

    装潢史 | NDLサーチ | 国立国会図書館
    stkysm
    stkysm 2015/03/01
  • 【県立浦和図書館物語】(3)改築で警察署に引っ越し

    「古くて不便なこともたくさんあったが、親しみやすい場所だった」 昭和26年から埼玉県立図書館(当時)で約10年働いた男性は、当時を懐かしむ。書架は放射状に設置され、全ての書架を見渡せる位置に職員が座っていた。その席の脇に置かれた火鉢を常連の利用者が囲み、職員と文学について話し込むこともしばしばあったという。 ホールではモーツァルトやベートベンなどの曲のレコードコンサートが行われ、上演の日にはたくさんの人が集まった。 ■老朽化 館内には英文図書室も設けられた。これは埼玉会館別館に置かれた連合軍埼玉軍政部の軍政官、ティモシー・ライアン中佐の手によるもので、同氏は21年6月から始まった夜間閲覧を助けたり、館長の韮塚一三郎らに「図書館をこのままにしておいて恥ずかしくないのか」と強く改築を勧めたりと、図書館行政に積極的に関わった。 25年ごろの同館の外観について、英文図書室に勤めていた小山政子は「埼

    【県立浦和図書館物語】(3)改築で警察署に引っ越し
  • 【県立浦和図書館物語】(4)「1館集約」 変わる役割

    昭和35年に改築された埼玉県立図書館(現県立浦和図書館)は、閲覧席がそれまでの110程度から300以上へと増え、子供連れで立ち寄れる「母親読書室」の新設、視覚障害者向け点字図書の充実など、機能が大幅に強化された。 53年刊の「思い出の図書館」には、母親読書室について「自分の書架がそこにあるようにゆたかであった。(中略)女の人に親しみ深い一室が特に用意されたようなことは、ここにも戦後の世の中の変化があったのかと私には感慨深かった」とする主婦の文章が載っている。 ◆狭さ 改築から55年がたった今年、浦和図書館は閉館する。この間に、何があったのか。 利用者数は36年度に23万人、ピークの平成7年度には31万人を数えた。昭和45年に熊谷、50年に川越、55年に久喜にそれぞれ県立図書館が新設され、平成11年度には4館合わせた利用者が104万人に達した。 しかし、県生涯学習文化財課によると、8年には浦

    【県立浦和図書館物語】(4)「1館集約」 変わる役割
  • 【県立浦和図書館物語】(2)県民の苦楽見守った鳳翔閣

    ややくすんだクリーム色の外壁と、白い屋根を支える柱の美しい装飾に「鳳(翔閣(ほうしょうかく)」と呼ばれた気品が伝わっている。さいたま市緑区の市立浦和博物館。休館日の23日、敷地には風にざわめく木々の葉の音だけが響き、鳳翔閣がかつて図書館として使われていた時代にタイムスリップしたかのようだ。 同博物館は県女子師範学校を一部復元して利用しており、鳳翔閣の名は明治11年、明治天皇北陸巡幸で同校がご宿所として利用された際、時の太政大臣・三条実美がつけた。鳳翔閣には大正14年、開館4年目の県立埼玉図書館(現県立浦和図書館)が移転され、師範学校の役割を終えた後も、県の文化の中心を担うこととなった。 ■歓迎 「木造ではあるが二階建のモダンなその建物はわたしの眼には立派に見えてうれしかった。児童閲覧室も広いし、の冊数も増えて楽しくてたまらない気持であった。(中略)書架に並ぶ児童図書をみてその全部を読んで

    【県立浦和図書館物語】(2)県民の苦楽見守った鳳翔閣
  • 東京国立博物館

    石川啄木歌碑拓(いしかわたくぼくかひたくほん) 金田一京助筆 昭和時代・20世紀 岩手・陸前高田市立博物館蔵 (右)NPO法人文化財保存支援機構とともに奥州市埋蔵文化財センターで行った拓の安定化処理作業の様子 岩手県出身の歌人、石川啄木の歌碑の拓です。石碑は、大津波により流失してしまったため、拓は碑文を伝える貴重な資料です。表具も含めた全体が塩と汚泥にまみれ、糊浮きが進んでいました。紙を安定化処理の後、現在は全ての拓格修理が進められています。 絹地染小紋型長着(高田歌舞伎)(きぬじそめこもんがたながぎ(たかたかぶき)) 昭和時代・20世紀 岩手・陸前高田市立博物館蔵 (右)修理途中の中綿 衣装のほか、かんざしやかつらなど、地芝居「高田歌舞伎」関連資料を展示します。衣装は海水損によって全体に染料が滲み、中綿には内部で偏りが生じ、元の形が分らないほどに皺だらけになっていました。

    東京国立博物館