タグ

ブックマーク / www.ashida.info (27)

  • BLOG「芦田の毎日」: 就職活動開始の学生諸君に贈る ― 就職活動への檄20箇条

    就職活動開始の学生諸君に贈る ― 就職活動への檄20箇条 2010年09月07日 就職活動も9月になって格化してきた。私が学生の就職について思うところを20箇条にしてまとめてみた。お役に立つかな。学生諸君、頑張れよ。 【就職活動への檄(1)】 就職は、「自分の夢」「将来の夢」「自己実現」「能力の開花」に関わっているだけではない。自分自身が新たに築く家庭の家計の支えになることにも繋がっている。 【就職活動への檄(2)】 「夢」を実現しても生活ができなければ意味がない。特に最近は、共稼ぎをしても世帯年間収入が600万円を超えない家庭が多い。子供を妊娠・出産しなければならない女性が働くことを前提にしてもその程度の年収ということを真剣に考えている学生が少なすぎる。 【就職活動への檄(3)】 そもそも就職は「私の夢」を実現することではない。まずは自分を会社に買ってもらうわけだから(学費を払って授業

    tshimuran
    tshimuran 2012/11/16
    九州国際大学の全学部の学生と法学部3年生に向けた芦田先生の就職キャリア講演『学歴社会と学生が就職することの意味について「就職活動開始の学生諸君に贈る就職活動への檄20箇条」補論』が本日。RT @jai_an 8月に行った
  • BLOG「芦田の毎日」: 学校教育と生涯学習と家族と ― 中曽根臨教審の呪縛(学ぶことの主体とは何か)

    学校教育と生涯学習と家族と ― 中曽根臨教審の呪縛(学ぶことの主体とは何か) 2011年06月28日 フィッシュキンは、「メリット」(メリトクラシーのmerit)と「生活機会の均等」と「家族の自律性」とは三つ同時には実現できないと言っている。 厳密に言うと、これらの内の二つを実現すると残りの一つは実現できない「トリレンマ」に陥る。 「実力」と言っても、最初から恵まれた立場に置かれてしまえば、その人の「実力」とは言い難い。実力主義は、家族主義的な階級制と反するように見えるが、結果的には家族主義的,地域主義的な“格差”を温存する場合も多い。純粋な「機会均等」は、存在しない。機会を与える前に決着が付いてることの方がはるかに多いのかも知れない。 「メリット」と「生活機会の均等」とは「子供は社会の子供」という立場にほぼ立っている。後者の「家族の自律性」は子育ての権利は(社会ではなくて)親に属してい

    tshimuran
    tshimuran 2012/07/06
    学校の校門の意味について調べ直そうとしたが、結局芦田先生のブログしか参考になる文献がなかった。ウキペディアなんか「学校の入口にある門」…。/ 学校教育と生涯学習と家族と-中曽根臨教審の呪縛(学ぶことの主体
  • BLOG「芦田の毎日」: 偏差値30、40台の学生を一流のITエンジニアにする教育法(講談社『現代ビジネス』における田村耕太郎さんの記事)

    偏差値30、40台の学生を一流のITエンジニアにする教育法(講談社『現代ビジネス』における田村耕太郎さんの記事) 2012年05月21日 「コカコーラソーシャルメディアサミット2010」(http://www.ashida.info/blog/2010/12/2010.html)以来、交流のある前参議院議員の田村耕太郎さんが、今の日における大学教育(あるいは専門学校教育)の問題のについて、私に取材してくれた。日、『現代ビジネス』(講談社)にUPされました。 ----------- 「問題は、いまの大学教育も専門学校教育も、積み上げ型のカリキュラムになっていないということです」(芦田氏) ―「積み上げ型」とはどういうことですか 「『積み上げ型』は、一つの科目を履修させたら、その履修成果に基づいて、次の科目を始めるということです。階段を一つ一つ上がっていくように科目が構成されている。 高校

    tshimuran
    tshimuran 2012/05/22
    青山テルマも小学校の漢字で苦労したという話。「最近は「リメディアル教育」も盛んになってきて、中学校・高校の復習授業を厚く用意する大学が出てきてます。中学校・高校で勉強が苦手だった大学生たちは、ふたたび
  • BLOG「芦田の毎日」: 電動自転車 RealStream、小金井公園を行く ― 神田川→井の頭公園→玉川上水→小金井公園→江戸東京たてもの園(82枚の写真付き)

    tshimuran
    tshimuran 2012/04/14
    桜の季節もあっという間におしまい。最後は雨。明日は晴れ。雨の日の桜咲く公園は静かでいい。RT
  • BLOG「芦田の毎日」: 増補版(Version 17.0) 追悼・吉本隆明

    増補版(Version 17.0) 追悼・吉隆明 2012年03月17日 ●追悼のための銘辞 ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる もたれあふことをきらつた反抗がたふれる ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を 湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつてゐる ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかへす だから ちひさなやさしい群よ みんなのひとつひとつの貌よ さやうなら ― 「ちひさな群れへの挨拶」(1952年)より ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によつて ぼくは廃人であるさうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでゐる 街は喧曝と無関心によつてぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちようどぼくがはいるにふさはしいビルデイングを建てよう 大工と大工の子の神

    tshimuran
    tshimuran 2012/04/01
    「彼の読むものはすべて読みたい、と思った私の同世代の読者は多かったはずです。片っ端からヘーゲルやマルクス、フロイトやソシュール、花田清輝や丸山真男たちを読んでいったわけです。  なにかが起こる度に、吉
  • BLOG「芦田の毎日」: 「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと

    「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと 2011年02月17日 【「学び合い」教育の諸問題(1)】この教育「実践」を行う教員たちは「子供の潜在的能力」や「子供の可能性」に期待する教員が多いが、学校教育「以前」、教員の教育「以前」、教室授業「以前」の子供の「潜在的能力」、「可能性」とは、結局のところ家族の環境や地域の環境に色濃く影響を受けたものでしかない。 【「学び合い」教育の諸問題(2)】その意味で、抽象的な「子供の潜在的能力」や「子供の可能性」一般などというものは存在しない。「純粋な子供」というのも低俗なロマン主義でしかない。「かわいい」少女もまたただ単に大人が喜びそうな表情、仕草、トークとは何かを心得ている「ませた」少女に過ぎない。まあ、その意味では〈少女〉は男の子よりはるかにませてはいるが。 【「学び合い」教育の諸問題(3)】学校「以前

    tshimuran
    tshimuran 2012/02/20
    そういうことであったか。"@jai_an: 同じ文字が出てないと理解できないという検索世代の思考の貧困。RT @nobuchuna 「教室(強制)とは」「フローとは」「放送大学が勉強ではないこと」は理解できませんでした。 #放送大学
  • BLOG「芦田の毎日」: ホイットニーヒューストンの下着が競売に付された ― 二作目の苦悶を誰がわかるというのか

    ホイットニーヒューストンの下着が競売に付された ― 二作目の苦悶を誰がわかるというのか 2007年01月18日 ホイットニーヒューストンが自己破産したらしい。下着までもが競売に付されているとのこと。悲しい話だ。 今日は学校の行き帰りにずーっとホイットニーヒューストンの作品を聞き続けていた。 私の自宅には今4枚のホイットニーヒューストンのアルバムがある 『そよ風の贈り物』 『ホイットニーⅡ』 『I’m Your Baby Tonight』 『THE BODYGUARD』 しかしホイットニーヒューストンと言えば、何と言ってもHOW WILL I KNOW(1985年)だ。 この曲をひっさげてグラミー賞(最優秀女性ポップヴォーカル賞)のステージに立った時は衝撃的で圧倒的だった。ボーカルはもちろんだが、何よりもグラミー賞のステージではそのスタイルにもみんなが圧倒されていた。今でもそのどよめきを覚え

    tshimuran
    tshimuran 2012/02/12
    えー。どこのホイットニーの話かと思ったら…。読みます。"@jai_an: 40台後半から50台の人は、ホイットニー万歳世代でしょ。これ、読んで一緒に追悼してよ。
  • BLOG「芦田の毎日」: 電気の時代としての近代主義、心理主義、Twitter ― 電気冷蔵庫からサーバーへ

    電気の時代としての近代主義、心理主義、Twitter ― 電気冷蔵庫からサーバーへ 2011年09月18日 この内容は新宿シズラーで、2011/8/11(18:00~22:00)に行ったミニレクチャー「近代主義と心理主義と」(http://togetter.com/li/173368)の資料を更新したものです。 1.近代とは、電気の時代 2.電気の時代とは、フローの時代 3.フローの時代とは夜(影)と昼(光)、始まりと終わりとの区別を越える“永遠性”の時代 4.たぶん、デカルトの「我思う故に、我有り」は電気の時代の哲学への予兆 5.つまり「主観Subject」=近代的な自我とは、夜(影)と昼(光)、始まりと終わりとの区別を越える“永遠性”の時代の〈人間〉のこと 6.その“永遠性”の実質的な始まりは電気冷蔵庫 7.昼夜を問わず電源が切られなかった初めての家電が電気冷蔵庫 8.昔(1950年代

    tshimuran
    tshimuran 2012/01/13
    「Twitterの〈現在〉というのは、心理の現在と身体の現在が交差している。中略。物理スイッチのon,offが身体表現だったが、心理on,offがTwitterにおいて可能になっており、あらゆるツイートは身体の〈現在〉を表現している」
  • BLOG「芦田の毎日」: 人間が死ぬということ ― 病人を差別してはいけない

    tshimuran
    tshimuran 2012/01/13
    それも差別。こんな文章もある。
  • BLOG「芦田の毎日」: 人間の病気は、機械の故障と同じではない

    人間の病気は、機械の故障と同じではない 2007年02月06日 人間の病気は、機械の故障と同じではない。 たとえば、車の故障。エンジンが故障して、動かなくなった。それを修理してまた車が動きはじめる。 こういった車の故障と修理と元の状態への復帰は、なぜ、そう言われるのか。 それは車という《機械》が〈機能〉や〈目的〉をもった存在だからだ。通常、車は「走るための道具」、「移動の手段」と言われている。 すると、車の「故障」とは、走ったり、移動できない状態を意味する。機能を果たさない、目的を満たさない状態を「故障」と言うわけだ。 「故障」とは、〈機能〉や〈目的〉に関わって、それを満たさない状態を言う。 さて、だとすれば、人間の病気は、故障ではない。 もし故障だとしたら、人間の目的や機能が何であるかがあらかじめわかっていなくてはならない。 人間の目的とは何か、人間の機能とは何か。それを無くせば、人間の

    tshimuran
    tshimuran 2011/08/14
    元気になる言葉。心理主義では人間は幸せにはなれませんよね。でも幸せも心理主義か。"@jai_an 機械のように新品の製品が時間をかけて中古になっていくように人間の生は摩滅するのではない。老衰も青春もいずれも未熟だ
  • BLOG「芦田の毎日」: 校長の仕事(16) ― 「美の根源は自然の中にある」

    校長の仕事(16) ― 「美の根源は自然の中にある」 2004年11月09日 金曜日の一時限目の授業で、「美の根源は、自然の中にある」なんてことがサブテキストに書いてある授業に出会った。WEBデザイン科の授業だった。 当かよ? と思いながら少し聞いていたが、もうその箇所は通り過ぎていて、「美は何も高級な芸術や美術館にあるだけではなく、普段の街中のあらゆるところに潜んでいる。ちょっと君たちが注意をすればいくらでも発見できる」としごくまっとうな話に進んでいた(これは先の「自然の中にある」というテーゼと実は矛盾しているが)。 しかし、「美の根源は、自然の中にある」は気にくわない。それは、私はそう思わない、という意味で気にくわないというのではない。美とは何か、というのは美術館の“高級な”美であれ、普段の美であれ(どちらも同じ「美である」ことに変わりはない)、長い間、問われ続けてきた問いだからだ。

    tshimuran
    tshimuran 2011/06/23
    「言葉や概念の歴史(世界史の思想的な格闘)の中から学ばせなければ、学生は「そういうものだ」と無条件に思いこんでしまう。無条件に思いこんでいいのは、それを教える人間(教員)が“有名人”である場合だけだ」
  • BLOG「芦田の毎日」: 機能主義とメディアの現在-情報社会とデータベースと人間の死と(講演) ※補論:土井隆義の『個性を煽られる若者たち』における個性論

    機能主義とメディアの現在-情報社会とデータベースと人間の死と(講演) ※補論:土井隆義の『個性を煽られる若者たち』における個性論 2011年04月18日 ※この講演は「知的生産の技術」研究会(http://tiken.org/modules/news/article.php?storyid=66)の定期セミナーに呼ばれてお話ししたものです(昨年の12月13日、虎ノ門商工会館)。知研の八木哲郎前理事長とは、現在の理事長・久恒啓一さんとも長い付き合いで、生涯学習組織の理想的なモデルとでも言うべき活動を行ってきている会です。八木先生が師と仰ぐ梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書)自体が「生涯学習」の宣言とでも言うべき名著でした。八木先生は梅棹の『知的生産の技術』をまさに“実践”されたわけです。そんな会のセミナーに呼ばれて(これで2回目の登壇ですが)、ちょっと張り切りすぎました(笑)。文字興しは

    tshimuran
    tshimuran 2011/05/21
    先生は生物。RT @jai_an 講演起こしを本にしづらいのは、文字校でかなり加筆修正したくなるから。結局最初から書き直し・書き下ろしになってしまう。
  • BLOG「芦田の毎日」: 都立校「君が代」(国歌斉唱)問題に思うこと

    tshimuran
    tshimuran 2011/05/19
    「国家(国歌や国旗)や歴史は、選択されるものではない。選択されるときには(略)、自分の親を選択しなければならない人が不幸な人であるのと同じことである。そういう自由は不幸な自由なのである。」
  • BLOG「芦田の毎日」: やっぱり小椋佳は「さらば青春」 ― さらば、青春(写真付き)

    やっぱり小椋佳は「さらば青春」 ― さらば、青春(写真付き) 2006年03月29日 さらば青春(1971年)(http://www.yamaha.co.jp/himekuri/20010118-01m.html) 作詞・作曲:小椋 佳 歌:小椋 佳 JASRAC作品コード000-7244-3 僕は 呼びかけはしない 遠く すぎ去るものに 僕は 呼びかけはしない かたわらを 行くものさえ 見るがいい 黒い水が 抱き込むように 流れてく 少女よ 泣くのはお止め 風も木も 川も土も みんな みんな たわむれの 口笛を吹く 僕は 呼びかけはしない 遠く すぎ去るものに 僕は 呼びかけはしない かたわらを 行くものさえ 見るがいい 黒い犬が えものさがして かけて行く 少女よ 泣くのはお止め 空も海も 月も星も みんな みんな うつろな 輝きだ ラララ…… なぜか、私のiPod(http://ww

    tshimuran
    tshimuran 2011/05/12
    今日は、この歌をよく聞く。あと中村雅俊とか。“@jai_an: 小椋佳「さらば青春」 http://t.co/wT1r7aX  ★私の解説はこちら→
  • BLOG「芦田の毎日」: 「『学び合い』教育の諸問題」を読んで ― 元中学校教員からのメールが届きました。

    「『学び合い』教育の諸問題」を読んで ― 元中学校教員からのメールが届きました。 2011年02月19日 「学び合い」教育の諸問題(1) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと(2011年02月17日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/post_403.html#more、「学び合い」教育の諸問題(2) ― 上越教育大学・西川純とのやりとりを通じて思ったこと(2011年02月18日)http://www.ashida.info/blog/2011/02/_2.html#moreの二つの記事に、今日感想を寄せてくれた元中学校教員がいます。関連固有名を伏せて、原文のまま、掲載します。 ------------------- 芦田様 私は、10年前まで(福島県の)中学校の教員をしておりました。 芦田さんの教育に関する話題、私にはかなり高度な内

    tshimuran
    tshimuran 2011/02/20
    「1)「個を生かす」というのは、教師の指導力がなければ、わがままを許すという危険性を伴うこと→学級崩壊がその見本」
  • BLOG「芦田の毎日」: コンピュータは死ねない ― 「フレーム問題と世界」(1996年)

    コンピュータは死ねない ― 「フレーム問題と世界」(1996年) 2008年01月30日 私が今から約10年前に書いた論文が、パソコンの「マイドキュメント」を整理していたら出てきました。人工知能はどこまで人間になれるか、人間はどこまで人工知能なのかを、ダニエルデネット(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88)、松原仁(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E4%BB%81_%28%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E8%80%85%29)、大澤真幸(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A

    tshimuran
    tshimuran 2010/12/13
    「何が「必要な情報」であるのかを決めること自身が困難であること 。たとえば驚くことにとって「必要な情報」が何かについて答えることなどできるはずがない。必要でない情報こそが驚く「ための」情報だからである
  • BLOG「芦田の毎日」: 日経BPnet大好評連載中「芦田宏直のストック情報武装化論」最終回特別セミナー

    日経BPnet大好評連載中「芦田宏直のストック情報武装化論」最終回特別セミナー 2010年12月09日 「知的生産の技術」研究会定例セミナーのご紹介 ●日経BPnet大好評連載中「芦田宏直のストック情報武装化論」最終回特別セミナー ●日時:2010-12-13 (月)  19時~20時50分 ●ところ:東京・虎ノ門・商工会館(電話:03-3581-1634)東京都千代田区霞が関3-4-2 東京メトロ銀座線・虎ノ門駅5番出口から徒歩5分 ●担当者 「知的生産の技術」研究会 事務局長 秋田英澪子(emirun@nifty.com) ●主催:NPO法人知的生産の技術研究会(http://www.tiken.org/) ●定員30名(早い者勝ち) ●お申し込みは、この記事の末尾をご覧下さい。 ●日経BPnet連載中「芦田宏直の『ストック情報武装化論』全10回 第一回「オンライン自己」という現象 h

    tshimuran
    tshimuran 2010/12/13
    .@daily_keiko お二人はいっしょに来るの?先生、今いっしょう懸命資料作っているって。お土産のハンドアウトに命掛けているから。ということは最終回もできたかな?本日19時~20時50分:芦田先生の日経BP連載最終回記念講
  • BLOG「芦田の毎日」: 岩波新書『新しい労働社会』の著者・濱口桂一郞さんが、彼への私の言及にコメントをくれました ― こんなことってあるんですよね(朋あり遠方より来る、また楽しからずや)。

    岩波新書『新しい労働社会』の著者・濱口桂一郞さんが、彼への私の言及にコメントをくれました ― こんなことってあるんですよね(朋あり遠方より来る、また楽しからずや)。 2009年10月27日 私が書いたキャリア教育についての論文の中で触れた濱口桂一郞さんの著書『新しい労働社会』(岩波社会)。この著作は書評誌でも話題を呼んでいる著作だが、その労働問題の専門家である濱口さんが自身のブログで、私の言及にコメントをしてくれている。私の孤独な作業にも、労働問題の専門家の読者がいたことに謝意を表して、こちらからも彼のブログを紹介したい。 ※これが濱口の『新しい労働社会』。文体も癖がなく読みやすい。オススメします。 以下が彼のブログの該当箇所全文。 ------------------------------- 2009年10月26日 (月) 芦田宏直さんのキャリア教育・職業教育論 芦田宏直さんの「芦田の

    tshimuran
    tshimuran 2010/12/11
    「一つは、一括採用、一括解雇(定年制)、職務ローテーション制、年功賃金=年功序列制、企業内組合を前提とした「メンバーシップ型採用」に呼応した、従来の大学の教養主義的な人材育成という意味での「入口」接続
  • BLOG「芦田の毎日」: 中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」における一条校化議論について ― 「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」を読む

    中教審「キャリア教育・職業教育特別部会」における一条校化議論について ― 「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」を読む 2010年02月22日 明日から東京・中野サンプラザで開催される専修学校フォーラム(http://www.invite.gr.jp/news/2009/forum2010_prog.htm)で、私の出番が3回も回ってくる(大変)。 今日はその内の一つ、24日の14:00~14:50の「中央教育審議会『キャリア教育・職業教育特別部会』における一条校化議論について ― 『今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について』(特別部会経過報告書)を読む」という講演のパワポ原稿をUPします。 内容は主には昨年の10月に纏めた記事(http://dl.dropbox.com/u/1047853/ver05%E3%80%8C%E9%AB%98%E7%AD%

    tshimuran
    tshimuran 2010/10/15
    ツイートで細切れに語られている話がまとまっている。でもまとまると歯応えありそうだ。“@jai_an: よく読んで→
  • BLOG「芦田の毎日」: 補論:女性とは何か ― 異性とは何か(私の女性学試論)

    補論:女性とは何か ― 異性とは何か(私の女性学試論) 2010年10月13日 私の女性学(http://www.ashida.info/blog/2010/10/post_397.html#more)に女性からメール反応がありました。少し長いメールですが、わかりやすく修正して公開します。不毛な反応が多い中、私も勉強になりました。 1) 芦田さんの指摘した、女性が主体的に選べないから、“応募者”という限られた枠の中の男性から選ぶしかないということを、認めたくない女性が多い。女性の反発が多いのはそこ。 2)恋愛至上主義、一億総恋愛病で、「好きな人と一緒になる」のが「最高の幸せで、そうでなければならない」と植えつけられているから、「自分の思うようにいかないことがある」こと自体が、この芦田さんの「偶然」恋愛論に対する女性たちのヒステリー反応の原因。 3)中学で家庭科を男女共修にした世代(今からほ

    tshimuran
    tshimuran 2010/10/15
    やはりタツノオトシゴような…。“@jai_an: 私もそう思う。RT @ngaio7d この女性、ここまで賢いと当人の幸せには繋がっていないのではないかと切なくなりました…。こういう女性をこそ幸せにできる男性が増えますよう願って