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千葉雅也に関するtxmx5のブックマーク (8)

  • 「プロレスとは、それぞれの自己表現の対決」――■対談 飯伏幸太×千葉雅也【プロレス×哲学】 | ダ・ヴィンチWeb

    磨き抜かれた美しい肉体と高い身体能力を生かした激しい技で業界内外から熱い視線を送られる、新日プロレスの飯伏幸太選手。哲学者の千葉雅也さんにとっては、プロレスに興味を持つきっかけとなる人物であり、プロレス論〈力の放課後〉執筆にも影響を与えた人物だという。千葉さんからの哲学的な投げかけを飯伏選手が“受け”、独特の表現で“返す”、哲学対談。 (左)いぶし・こうた●1982年、鹿児島県生まれ。2004年、DDTプロレスリングでデビュー。13年~16年、新日プロレスとDDTプロレスの2団体所属選手に。約3年のフリー(飯伏プロレス研究所)生活を経て、19年より新日プロレス所属に。得意技はカミゴェ、フェニックス・スプラッシュなど。181cm 93kg @ibushi_kota (右)ちば・まさや●1978年、栃木県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。東京大学大学院博士課程では表象文化

    「プロレスとは、それぞれの自己表現の対決」――■対談 飯伏幸太×千葉雅也【プロレス×哲学】 | ダ・ヴィンチWeb
  • ニュータウンとプロレスからひもとく、町と身体と物語 | M.E.A.R.L.

    町には様々な語り口がある。歴史的な文脈から、地政学的な見地から、あるいは当事者への聞き取りから。近年では観光立国としての日のあり方をベースに、インバウンド対策や、それに応じたまちづくりのあり方なども積極的に議論されている。ここで時間を90年代に巻き戻そう。当時多くの社会学者や評論家によって、さかんに語られていた町としていわゆるニュータウンがあった。 それまでの土地の持つ歴史性から離れ、造成された土地の上に利便性や快適性をベースとしてつくられたニュータウン。1960年代から日各地でつくられたそんな「町」は、高度経済成長期の終わりとともに影を帯び始め、90年代には歴史の終焉というアングルでもって現代日を論じる上でのモチーフとしても盛んに活用されていた。 それから20年。居住者の高齢化、設備の老朽化など、ニュータウンが新たな問題を抱える中、ニュータウン出身の現代美術家・中島晴矢の個展「バー

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  • 千葉雅也×山口真由「なんで勉強するの?」――勉強を極めたふたりの白熱対談 | 文春オンライン

    千葉雅也×山口真由「なんで勉強するの?」――勉強を極めたふたりの白熱対談 「勉強の哲学」vs.「7回読み勉強法」 勉強する「心」を持ち続けるには、どうすればいいのか? 『勉強の哲学』(文藝春秋)で「変身」するための勉強法を伝授する千葉雅也さんと「7回読み勉強法」(PHP)で東京大学法学部、司法試験、国家公務員I種を突破してきた山口真由さんが、その秘訣を語る。 ◆ ◆ ◆ 勉強は手段か、目的か 山口 千葉さんの『勉強の哲学』では、すること自体に目的があるような勉強、それを通じて、自分が「変身」するような勉強が勧められていて、非常に新鮮に感じました。試験のための勉強というのは、「合格」という明確な目的に特化したものだったからです。司法試験なんて、受かればいいんです。逆に、受からなければ、どれだけ苦しい勉強も報われない。最短距離を、最速で行ける勉強が最も合理的ではないかと。 千葉 だからこそ、必

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  • 気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #2「勉強は変身である」 | 文春オンライン

    『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の発売から3か月あまり。現在5刷4万5000部と版を重ね、「東大・京大で一番読まれている」にもなった。5月25日には、東大の駒場キャンパスにて、著者の千葉雅也さんによる「勉強の哲学」講演会が開催。かつての学びの地である駒場にて、『勉強の哲学』のポイントを紹介しつつ、教養教育の意義が語られた。その一部を掲載する。 ※気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #1「勉強とは何か」より続く ◆ 勉強のテーマを見つける――「欲望年表」の作り方 前回までが、深く勉強するとはどういうことなのかを語った、勉強の哲学・原理篇についての簡単な紹介でした。では、自分に特異な勉強のテーマは、どのように見つけたらいいのでしょうか。キモくなる恐れを乗り越えたとして、その先に、勉強の可能性はきりがなく広がっていくでしょう。そこで、このでは、勉強の範囲を有限化し、足がかりを得るための

    気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #2「勉強は変身である」 | 文春オンライン
  • 気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #1「勉強とは何か」 | 文春オンライン

    『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の発売から3か月あまり。現在5刷4万5000部と版を重ね、「東大・京大で一番読まれている」にもなった。5月25日には、東大の駒場キャンパスにて、著者の千葉雅也さんによる「勉強の哲学」講演会が開催。かつての学びの地である駒場にて、『勉強の哲学』のポイントを紹介しつつ、教養教育の意義が語られた。その一部を掲載する。 ◆ なぜ勉強を語るのか 『勉強の哲学』では、勉強に対する心構えや僕なりの勉強の原理論、読書によって考えを広げるための実践的な方法まで、大学に入ってからの勉強、そして研究につながる話を展開しました。駒場生の皆さんや、大学1、2年生の皆さんにぜひ読んでほしいです。このが生まれる背景には、僕自身の駒場での学びの体験があります。そこには、自己変革をともなう、深くてヤバい学びがあった。今日は、大学生活を振り返りながら、今の時代に勉強することの意義に

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  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い

    稿は、ストリート・カルチャーの諸々の要素が、原因や責任を問われうる証拠=エビデンスを十分残さないでたちまちに変質し霧散していくという、そうした刹那性を、今日の文化状況に抗するかたちで改めて肯定しようとするものである。2010年代の日は、生のあらゆる面において、いわば「エビデンシャリズム」(エビデンス主義)が進展している時代ではないだろうか。 1 エビデンシャリズム批判 稿では、エビデンス(カタカナで言われる、広い意味での証拠・証憑、質的であるより量的なものを望む傾向がある)を残し続けなければならない、エビデンスを挙げていわゆる「説明責任」(アカウンタビリティ)を果たせるようつねに準備しておかねばならない──その種の説明はしばしばひどく形骸化しているが──、という強迫的な「正しさ」の緊張感をいや増しに増すことを「エビデンシャリズム」と名づける。(1)この用語は、エビデンスが健全な議論に

    アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い
  • 宇野常寛のホモ小説『AZM48』をめぐる議論

    宇野常寛 @wakusei2nd やばい、東さんがまた妬いちゃうよ。。。 RT @lingyin21 宇野常寛(@wakusei2nd)と福嶋亮大(@liang_da)が絡み合う夢を見て目が醒めた。あまりに気分がすぐれなかったので二度寝したら大汗かいて目が覚めた。閉め切りの部屋、室温は34度……。

    宇野常寛のホモ小説『AZM48』をめぐる議論
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