VECTION 前回「権力分立と希望の幾何学」で予告した「不均衡の固定化による腐敗」の問題。ゲームの幾何学が積み重なった「壺」は、フェアネス評価を目指すと循環構造の中で歪んでいく。
VECTION 前回「権力分立と希望の幾何学」で予告した「不均衡の固定化による腐敗」の問題。ゲームの幾何学が積み重なった「壺」は、フェアネス評価を目指すと循環構造の中で歪んでいく。
新しい音楽は〈ジャズという何か〉から生まれている――音楽ジャーナリスト/ライターの原雅明が新著「Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって」を刊行した。 2014年に始めた音楽レーベル、ringsの運営なども精力的に行う原は、編集者を経て80年代後半に執筆活動を開始。佐々木敦とのHEADZ設立や雑誌「FADER」の創刊、共にLA発のビート・ミュージック屈指のパーティー〈LOW END THEORY〉とネット・ラジオ〈dublab〉の日本ブランチの企画など、ライターとしてだけでなく様々な形で国内外のプログレッシヴな音楽を紹介してきた尽力者だ。 ★参考記事:いま、なぜ原雅明の周辺が面白いのか―ringsを立ち上げた音楽シーンのキーパーソン、その自由なバランス感覚の秘密に迫る 〈ジャズをめぐるサウンド史〉〈ジャズというなにかをめぐる実践的覚書〉の2部構成となる本
【インタビュー】原雅明「ジャズという括りが曖昧になってきた80年代〜90年代の他の音楽の動向も含めた視点から、ジャズを書いていく」 原雅明が『Jazz Thing ジャズという何か』を上梓した。原雅明は、編集者を経て80年代末から執筆活動を開始した音楽ジャーナリスト/ライター。HEADZの設立と雑誌『FADER』の創刊から、レーベル運営やイベントの実践も通じて、さまざまな現場に関わり、フライング・ロータスらを輩出したビート・ミュージックの最重要イベント<LOW END THEORY>を日本で企画してきた。現在は執筆活動とともに、ネットラジオdublab.jpの運営や、ringsのプロデューサーとして、これまで培った海外とのコネクションから、新たな潮流となる音源の紹介に務めている。 そんな原が書き上げた『Jazz Thing ジャズという何か』は、これまで語られなかった切り口からジャズを取り
本を読まない学生は多い。 美大生ならなおさらかも知れない。いや、いわゆる"一般人"も、エンタメ小説やマンガしか手にとらないのかもしれない。私自身も、大学に入って「批評家」という人種に出会わなければ、こんなに嘘みたいに本を買いあさったりしなかったかもしれない。(もっとも半分以上を読まずに積んでいるのでなおさら意味が分からない) しかし、アーティストが知るべき言説の世界があるのは事実だ。芸術は常に、アーティストや作品を、「人工的」に誰かが評価したり、発見したりして、今に続いている。みんなが「綺麗だ」としている印象派の絵画だって、中世の世界に持って行ったら、文化様式の違う地域に持って行ったら、見向きもされないかもしれない。逆にもちろん、昔は評価されていなかったものを道具にして、現代について考えることもできるだろう。多くの現代人が共通感覚だと思っている「美」でさえ、各々の時代の作品と、様々な時代の
日本でリベラルとカテゴライズされる人種の大多数は、試験で良い点数を取るのが生きがいだったみたいな、わりかし大人しめの従順なタイプで、そういう人種の生真面目さが、ネオリベやネトウヨ的なものに振れて、ネット言論や世の中を息苦しくしているような気がする。 例えば、とある典型的なサブカル文系ツイッタラーのツイートを再掲してみよう。↓ 度々引用させて頂き申し訳ないが、しかし、このツイートって、現代日本の言論空間を覆っている不自由さ、実存的不安、自我を見事に表現した傑作だと思う。まず、「左派」を自負しながら「自民党に投票」し、「クラスのスクールカースト上位」だったけど「オタク文化に理解がある」と、言い訳がましいアピールをしている時点で、暑苦しいというか、薄ら寒々しいものを感じさせるけど、でも、この人に限らずある種の知的クラスタって、自分が、いつ底辺に蹴落とされるかわからない恐怖心だとか、血で血を洗う、
先日開催されたライター講座、若柳樂音筆の会(のちに若柳宮音筆の会に名称変更。その後、音筆の会に名称変更)の第1講では「インタビューがわからない」というテーマで、編集者の若林恵さん、音楽評論家の柳樂光隆さん、編集者・ライターの宮田文久さんが3時間を超える鼎談を行った。刺激的な一夜を終えて分かったのは、やっぱりインタビューがよく分からないということだった。音楽ライターの柳樂さんとは、色々な場所でインタビューについてお話しさせてもらっている。今回はさまざまな場所で話した柳樂さんのインタビュー論を対談形式にまとめた。はてブでは「しかしこの記事全体は対談だかインタビューだか迷って不時着しているふうにもなっていそうだなー」と書かれるなど、反響もあった。さて柳樂さん、インタビューってなんですか? とにかく雑誌が大好きな子供だったので、買ったら隅から隅まで読んで何度も読み返してた 岡本:先日の「インタビュ
Clint Eastwood's Japan critics are always there to make his day "Everybody knocks out a flop every now and then," quipped Clint Eastwood during a recent interview to promote his latest movie, "The 15:17 to Paris." The film forms part of an informal trilogy dedicated to real-life examples of American derring-do, following on from "Sully" (2016) and "American Sniper" (2014). Yet it's also the most e
……え!? エンドレスエイトの本!? 2018年に!? 『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』p.389 何いってんの????? キョンくんでんわ 哲学者が書いた「エンドレスエイト」読解本が出た…2018年に 『エンドレスエイトの驚愕 ハルヒ@人間原理を考える』という本を読みました。2018年に出た本です。 著者は三浦俊彦。東京大学文学部教授で、美学・分析哲学の専門家です。 読んでみたらハチャメチャに面白くてためになり抱腹絶倒、狂気と恐怖と謎のカタルシスすら感じるとてつもなく変な本だったのでご紹介します。 エンドレスエイトって? アニメ『ポプテピピック』で、30分の前半・後半で同じ映像を繰り返していることが話題になりましたが…… もっとヤバい「繰り返し」が昔もありましたよね? そう、「エンドレスエイト」です。 アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズ最大の驚愕と絶望と議論を巻き起こ
とんでもないTVアニメシリーズが出現してしまった。いろいろな意味で破壊的な内容が話題となっている『ポプテピピック』である。爆発的な人気と注目を集めながら、自ら「クソアニメ」を名乗るこの作品、一体何が凄いのか、どう新しいのか。ここでは新設されたリアルサウンド「テック編集部」独自の方向から本シリーズをじっくりと解剖し、分析していきたい。 批判を寄せつけない「クソ漫画」の先進的構造 竹書房『まんがライフWIN』連載の“大川ぶくぶ”の4コマ漫画が本作の原作である。背が小さくキレやすい“ポプ子”と、顔の長い“ピピ美”という2人の女子中学生が、意味不明の遊びをしていたり、世の中のムカつくものに暴力を振るったり、理由なく漫画、アニメ、ゲーム、映画など既存の作品のパロディー行為をひたすら繰り返しているという内容だ。とくに現在の30代くらいの年代が反応できるようなパロディーネタが多いが、それらネタが複合的に
消えた口 ポプ子から、開いた口が消えていく。 これはポプテピピックのマンガ版を通読したときに最初に感じる印象である。 連載第1回目の1話から5話までを見ると、必ずポプ子の口の開いているコマがあり、この時点ではまだポプ子はしゃべるときに口を開くという印象がある。しかし連載第2, 3回では、口が開くのはほんの1話程度になり、第4回以降は、放心するときか食べるときか食べながらしゃべるときを除いて、声を発するために口を開けることはなくなる。 たとえば、ポプ子がしばしば口にする「今日も一日がんばるぞい」のコマを比較してみよう。これはもともと得能正太郎「NEW GAME!」で主人公の涼風青葉が発するセリフであり、原作の青葉は口が開いている(図1)。そして連載第3回(23話)、ポプ子が最初にこのセリフを真似たときには、両手は原作通り胸元で握られており、口も青葉と同じく開いている(図2)。しかし、続く連載
2020年04月08日 仕事制限されるなかの4月頭メモ ・4月頭から再開される予定だったが、休校期間延長。まあ、仕方なし。高体連は6月まで大会を取りやめ。人の密集を避けなければならない期間続く。とりあえず、一ヶ月ぶんの課題を用意するが、長期戦になる気配ひしひし感じ、オンライン授業化を本格的に見据える。僕も含め、いまだ腰の重かった教員が向き合う局面。人によっては遅すぎると言うのだろう。たしかに、こういう事態は想定していませんでした。ICT推進派、先見の明あったと言わざるを得ない。 ・ただ、急なぶん、ネット環境がどのくらい準備されているか、という問題残る。99%ネット環境あったとしても、1%こぼれるのなら教育機会の平等性に反する。そして、1%に目を向けるのが「文学」の領域なのだ、とは福田恆存の有名な態度。 ・総じて、自宅での環境に依存する心配。自分の現場、都内私立で文化資本格差はそれほど顕在化
評論家・宇野常寛氏(@wakusei2nd)の新著『母性のディストピア』が話題を呼んでいる。 宇野氏による近著『母性のディストピア』(集英社/2017) (画像はPLANETS/第二次惑星開発委員会より) 情報番組「スッキリ!」のコメンテーターや政治番組への出演など、最近はテレビで見かけることも多かった氏だが、元々はゲームを含む様々なサブカルチャーを横断する鋭い批評活動で脚光を浴びた書き手でもある。 そんな氏の久々の新著は、宮崎駿、富野由悠季、押井守といった戦後アニメーションの巨匠たちに対して、いわば通常の文芸批評が三島由紀夫や村上春樹にやるようにして、作品読解から社会批評へと繋げていくもの。江藤淳や吉本隆明などの「正統派」の文芸批評の成果を下敷きに、「政治と文学」の観点から戦後アニメーションを論じてみせた非常に野心的な内容だ。 ところが、そんなアニメーションを論じた本が、終盤になると大き
「セッちゃん」は、イラストレーター・映像作家の大島智子による、初めての長編まんが作品である。「誰とでも寝る女の子」である「セッちゃん」と、「誰にも興味を持てない男の子」である「あっくん」の物語。
1 本書は『ブレードランナー』(1982/92)というフィルムと映画史/映画理論をめぐる書物である。『ブレードランナー』は映画史上の記念碑的作品である。この映画は米国議会図書館の国立映画保存委員会によって「文化的、歴史的、美学的に重要な」アメリカ映画に選ばれ、国立映画登記簿に登記された。過去百年程に製作された何十万本のアメリカ映画の中から『ブレードランナー』は未来の世代に手渡されるべき文化遺産のひとつに選ばれたのである。この映画はこれまで多くの観客を動員し、その少なからぬ観客に、それについて論じるよう駆り立ててきた稀有なフィルムである。実際これほど多くのひとびとにこれほど熱心に論じられてきた映画も他にないのではあるまいか。『ブレードランナー』は映画批評家や映画学者や映画監督は言うにおよばず、インターネット上の電子掲示板への書き込み者からサイト製作者をへて哲学者や社会学者や精神分析学者にいた
『菊地成孔の欧米休憩タイム』(blueprint) 菊地成孔の新刊『菊地成孔の欧米休憩タイム』(購入はこちらから)が、現在発売中だ。同書は、英語圏(欧米国)以外、特にアジア圏の映画を対象としたリアルサウンド映画部の連載レビュー「菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜」の中から記事を厳選し、新たに加筆・修正の上で収録した一冊で、同連載の番外編として掲載され、Yahoo!ニュースなどのネットメディアやSNSで大きな議論を巻き起こした『ラ・ラ・ランド』評などを収録している。 一方、リアルサウンドで執筆中の映画評論家・モルモット吉田は初となる単著『映画評論・入門! 観る、読む、書く』(購入はこちらから)を洋泉社より刊行したばかり。同書では、評論を巡る論争・事件の歴史から、“名作“”の公開当時の批評分析まで、徹底した調査と巧みな整理によって、映画の魅力、映画評論の面白さ
アートとは何か、アートは社会とどう関われるか。気鋭のキュレーターがアートの役割を根源から問いなおす、コラム連載第9回。 札幌国際芸術祭2017を終えて あっという間に夏が終わり、企画チームに関わった札幌国際芸術祭2017が閉幕した。この連載の第2回でも触れたが、大友良英さんをゲストディレクターに、キュレーター・チームではなく、映画や音楽など札幌の文化の振興に関わって来た個人をバンドメンバーとして企画チームを作り、「芸術祭って何だ?」という大友さんから投げかけられたメインテーマに答える形で、それぞれが内容を決めていくというユニークな方式をとった芸術祭であった。 その結果何が起こったのか。端的に言えば、全体像を誰も把握することができず、それぞれの経験の中で異なるかたちを取るような、混沌の日々だった。ゲリラも含めて同時多発的に何かが起こっている状況で、たとえば、テニスコーツは、二ヶ月の会期中、資
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