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批評に関するtxmx5のブックマーク (504)

  • obakeweb — 音楽作品の存在論まとめ:レヴィンソンvsドッド

    ヘッダー画像は5分で作った。 さて、日の話題は音楽作品の存在論。「音楽作品って、どういう特徴を持っているの?」「音楽作品の身分って、なんぞや」みたいな疑問に答えていく分野。 芸術作品の存在論をやっている人たちは、だいたい音楽作品を主題に扱っている印象。やはり、その特異な立ち位置に惹かれるのだろうか……。 日の目次〜! 音楽作品の特徴/我々の直観 音楽作品の存在論的カテゴリー 「タイプ説」―メリット/デメリット ジェラルド・レヴィンソン「指し示されたタイプ(Indicated Type)」説 ジュリアン・ドッド「曖昧なタイプ (Vague Type)」説 音楽作品の特徴/我々の直感「音楽作品って、どういう特徴を持っているの?」 まずは我々の実践/直観に沿った、音楽作品の特徴を挙げてみる。このような記述的な作業から、音楽の哲学は始まるのだ。 反復可能性:同一の作品が、演奏や音源の再生を通し

    obakeweb — 音楽作品の存在論まとめ:レヴィンソンvsドッド
  • カンパ先 - パン屋のはなし

  • 東京新聞:RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を 中島岳志:論壇時評(TOKYO Web)

    湧き上がった批判の声に対して、野田はツイッターで見解を発表し、軍歌を書こうという意図は「1ミリもありません」と釈明。「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性がある」との指摘については、「腑(ふ)に落ちる部分もありました」としたうえで「傷ついた人達、すみませんでした」と謝罪した。 多くの論者が指摘するのは、歌詞に登場する古語の不自然さだ。辻田真佐憲は「WEB版現代ビジネス」(6月11日)に掲載した「RADWIMPS衝撃の愛国ソング『HINOMARU』を徹底解剖する」で、愛国ソングとしての完成度の低さを論じている。歌詞は「古めかしい言葉づかいと、現代的な言葉づかいが微妙に混ざり合っていて、どうしても違和感をぬぐえない」。しかも、古語にこだわりを見せているわりには「日語の使い方が雑すぎる」。言葉の使い方の失敗により、この愛国ソングが「フェイクであり、空洞であることを」露呈してしまっている。

    東京新聞:RADWIMPSの愛国ソング 日本語論より動機考察を 中島岳志:論壇時評(TOKYO Web)
  • 矢野利裕のEdutainment:渡部直己氏の問題と教育と批評 - livedoor Blog(ブログ)

    2018年06月30日 渡部直己氏の問題と教育と批評 渡部直己氏のセクハラ問題の推移を見て、思うところがいろいろと出てきた。他にすべきことがたくさんあるが、頭がすっきりしないので書こうと思う。数年前に群像新人文学賞(評論部門)の優秀作をもらったものの、ろくに第1作も発表できずにいる僕は、自分としては「文壇」のプレイヤーとはほど遠いと思っているが、その一方で、「新人小説月評」を担当したり、定期的に書評を書かせてもらったりしているので、はたから見たら「文壇」のプレイヤーなのかもしれない。渡部氏とは面識があって、一緒に呑んだこともある(向こうは覚えているかわからない。名前くらいは認識していると思うけど)。あとは、『すばる』(2016年2月号)の批評特集内記事「近代日の文芸批評を知るための40冊」で『不敬文学論序説』を紹介したことがある。文芸批評に携わる者としてはそのような立場から、加えて、中等

  • Live at La.mama 2018 8.2

    Live at La.mama 2018 8.2 People In The Box 波多野裕文 + ROTH BART BARON 三船雅也 ROTH BART BARON が、渋谷のライヴ・ハウスLa.mama で行っているツーマン・イベントに People In The Box を迎えることが決定した。それぞれの王道をまっすぐに歩み続ける彼らが、8/2 に La.mama で交差するという、なんとも素敵なアクシデントが発生するわけだ。このイベントを祝福するために、司会進行役に La.mama 店長・河野太輔を迎え、2バンドのフロントマンである三船雅也(ROTH BART BARON)と波多野裕文(People In The Box)による対談を行った。以前から親交のある彼らの会話は、互いのバンドへの想いやバンドを続けることの意義から、音楽をリリースする際のフォーマットや音楽批評につい

    Live at La.mama 2018 8.2
    txmx5
    txmx5 2018/06/25
    “People In The Box 波多野裕文 + ROTH BART BARON 三船雅也”
  • アート・ランブル - Ohta Collective [太田コレクティブ]

    確実に言えることがある。 それは、日の現代美術において、若い世代のアーティストを中心に、ある新しい動向が広がりつつあるということだ。何かが起こっている。しかもとても刺激的かつ魅力的なものとして。それは2020年東京オリンピック開催という期限に向けての、なにかしらの恐ろしげな予感をはらんでいたり、またその逆の予兆めいたものだったり……。はたしてそれは絶望なのか希望なのか。連載は、もっとも注目するべき若き現代美術家でもある中島晴矢が、現代美術の今をフィールドワークしていき、その全体像をあきらかにしようとする試みである。

    アート・ランブル - Ohta Collective [太田コレクティブ]
  • 「ゲンロン8 ゲームの時代」の間違いの指摘 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

    「ゲンロン8 ゲームの時代」、少なくとも、冒頭部の共同討議「メディアミックスからパチンコへ」は無理のある内容です。それについて、具体的な指摘を求める声がありましたので、以下、クリティカルなものに絞ってまとめました。公正を期すため、この原稿は「ゲンロン友の会公式アカウント」(https://twitter.com/genroninfo)にも送ります。 ■ 株式会社ゲンロン御中 岡和田晃と申します。 「ゲンロン8 ゲームの時代」所収の共同討議の具体的な間違い、代表的なものを指摘します。 「出版とゲームが交差したJRPG」(https://genron-tomonokai.com/genron8sp/no1/)の章で、東浩紀氏は、「なぜ北米ではJRPGのような「物語的」で「文学的」なゲームが生み出されなかったのか(……)日のメディアミックスはそもそもが出版社が主導です。メディアミックスがゲーム

    「ゲンロン8 ゲームの時代」の間違いの指摘 - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)
  • 「平岡正明論」の再設定――大谷能生×後藤護×吉田雅史 鼎談

    大谷能生による『平岡正明論』が、ele-king booksより5月30日に刊行された。大谷能生にとっては『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』以来の、5年ぶりの単著になる。同書は、ジャズのみならず政治思想、第三世界革命、歌謡曲、極真空手、河内音頭、浪曲などを対象に縦横無尽の思考をハイペースで書き残し続けてきた「戦後最大スケール」の批評家・平岡正明の生涯と著作を丹念に辿っている。2009年に逝去した平岡正明だが、その再評価の機運は高まりつつある。昨年11月に刊行された『ヱクリヲ7』「音楽批評のオルタナティヴ」では、平岡をジャズからHIPHOPへの再接続を企図した後藤護「レアグルーヴ、平岡正明」が掲載され、同特集に参加した吉田雅史もまた当初は平岡正明論を準備していた。 残した著作は120冊を超える、大思想家でもあった平岡正明の可能性はどこにあるのか。大谷能生・後藤護・吉田雅史の3名による

    「平岡正明論」の再設定――大谷能生×後藤護×吉田雅史 鼎談
  • 批評とTeamLab | 永松 歩 | Ayumu Nagamatsu

    一時期、アートを制作しない人がアートの良し悪しを論じることに激しく嫌悪していた時があった。(コードを書かない人が開発を管理したりソフトウェアを売ったりする、楽器が弾けないのに音楽を語る。)つまり、成果物の制作プロセスを知らない、作り手の作品を成り立たせている審美や前提を知らないままそれを評することは、ただの外部からの戯言であり当事者の納得できる意見として成り立たないと考えていた。おそらくそう考える背景は、ものづくりを気でやれていないのに、批評する論点だけを持っていた自分自身に対する嫌悪であったようにも思う。 今もその考えが全く無いとは言わないが、スキルセットや感性、価値観が異なる各人が技能を活かしてそれぞれの貢献をするのが尊いことだというのが基スタンスだ。優れた批評が制作側にインスピレーションを与え成果物の質を上げることがあるように思うし、他者や外部からの意見を遮蔽していては当人も枯れ

    批評とTeamLab | 永松 歩 | Ayumu Nagamatsu
  • 黒瀬陽平氏(美術批評家、美術家)と高橋健太郎氏(音楽評論家、音楽家)が、黒瀬氏「五木田智央展」美術評欄を巡って激論

    かんざきひろ @kanzakihiro Twitter上で公開してる創作物に「〜に似てると思いました」「〜を思い出しました」というのは感想というよりディスってるのに等しいから思っても作者さんには言わないほうがいいと思うんだよな〜 2018-06-07 21:01:51

    黒瀬陽平氏(美術批評家、美術家)と高橋健太郎氏(音楽評論家、音楽家)が、黒瀬氏「五木田智央展」美術評欄を巡って激論
  • 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』解説◎春日武彦「掟破り、ということ」 - Underground Magazine Archives

    吉永嘉明『自殺されちゃった僕』 解説──掟破り、ということ 春日武彦 自分にとって大切な人が、しかもを含めて、次々にこの世を去って行ったとしたら、これはかなりのダメージを心に受けることだろう。おまけにその死が若過ぎ、自殺であったとなると。 そんな事態になったら、おそらく自分が何か不吉なものや禍々しいものを発散しているかのように感じるのではないだろうか。死の縁をわざわざ歩きたがるような人を、向こう側へ突き落としてしまうような邪(よこしま)な要素を自分が備えていると感じるのではないだろうか。あるいは、自分が不幸を招き寄せる体質なのではないか、と。普通、こんな目に遭う人物なんて、滅多にいないのだから。 実は不幸の理由をわたしは知っている。文を読み進めるうちに、すぐに思い当たった。簡単な話である。著者(以下、Yと略す)がこんな運命に陥ることになったのは、わたしのせいなのである。わたしはYと一面

    吉永嘉明『自殺されちゃった僕』解説◎春日武彦「掟破り、ということ」 - Underground Magazine Archives
  • 国会前の落とし前。サニーデイ ・サービス『FUCK YOU音頭』について。 - ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

    最近のサニーデイがやることなすことに興奮してしまうのは決して私が盲目的信者だからとかパブロフの犬だからというわけではなくて、ただただサニーデイのやることなすことがかっこいいという結果なのであって、当然のことながら、ごくまれにではあるけれども「あれ?」と思うこともある。 そんなひっかかりを感じたのは北沢夏音氏との共著作『青春狂走曲』の中に収められた『DANCE TO YOU』の制作にまつわるインタビュー。 曽我部恵一が小田島等と見に行ったSEALDsのデモを「もっとゲバった方がいい」「機動隊が出てきて大きな展開になればいいと思った」「世の中を変えるためには血を流さないとダメ」を評しているくだりを読んだ時である。 私を含めたふがいない大人になりかわり、民主主義を守るために立ち上がった若者に向かって血を流せなんて、なんかちょっと無責任な物言いなんじゃないかなぁとモヤモヤするところがあったのだ。(

    国会前の落とし前。サニーデイ ・サービス『FUCK YOU音頭』について。 - ドリーミー刑事のスモーキー事件簿
  • 青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2018年7月号 特集=バーチャルYouTuber

    バーチャルYouTuberとは何か? タレントの新しい形式のひとつとして「YouTuber」というものが確立されつつある。「バーチャルYouTuber」とは3DCGアバターを介してその名のとおり「YouTuber」としての配信を行う架空のキャラクター群を指す。そこにはインターネットにおける素人のタレント化とVRAI以降のキャラクター文化の結びつきが生じているのではないだろうか。いまもっとも先鋭な文化の様態に迫る特集号。 【目次】 ■私が出会った人々*31 故旧哀傷・出英利 / 中村稔 ■詩 フー・アー・ユー / 岩倉文也 特集*バーチャルYouTuber ■バーチャルYouTuberとの遭遇 シンギュラリティと絆と愛――人間とバーチャルYouTuberが出会うとき / キズナアイ(聞き手=編集部) 輝夜月と仮想世界に! / AO VTuberは、世界に向かってAIを叫ぶ / 小林信行

  • バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism

    はじめに 2017年の終わりごろ、にわかに人々の耳目を驚かし、少しづつ人口に膾炙しはじめたバーチャルユーチューバ(VTuber)というものたちがいる。動画では、3Dあるいは2Dモデルのキャラクタが動き、企画やトークを行なっている。それらは、あらかじめ決められた演技を行うような3Dアニメーションとはあるていど異なっている。というのも、それらのキャラクタの動きは、演者の意図した動きから、不随意な動きまでもトラッキングすることで生成され、たとえば、ライブ放送においては、演者とキャラクタの動きのリアルタイムな同期が行われているからだ。それらはアニメーションにおけるフィクショナルキャラクタのようでもあり、また、Twitterやライブ放送でのオーディエンスと双方向的なコミュニケーションを行う様子からすると実在の人物のようでもある。 バーチャルということばにこと寄せて、実在しないが実質的に存在するような

    バーチャルユーチューバの三つの身体:パーソン・ペルソナ・キャラクタ - Lichtung Criticism
  • ÉKRITS / エクリ

    久保田 晃弘 / Akihiro Kubota 情報が多すぎる時代にアーカイブから未来を予言する方法。可逆デザインは、わたしたちがいつの日からか信じ込んでいる「少ないほど良い」というデザイン理論の逆を行く。

    ÉKRITS / エクリ
  • 原雅明はなぜ特殊で特別な音楽評論家なのか? 柳樂光隆が新著「Jazz Thing ジャズという何か」の核心に迫る | Mikiki by TOWER RECORDS

    新しい音楽は〈ジャズという何か〉から生まれている――音楽ジャーナリスト/ライターの原雅明が新著「Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって」を刊行した。 2014年に始めた音楽レーベル、ringsの運営なども精力的に行う原は、編集者を経て80年代後半に執筆活動を開始。佐々木敦とのHEADZ設立や雑誌「FADER」の創刊、共にLA発のビート・ミュージック屈指のパーティー〈LOW END THEORY〉とネット・ラジオ〈dublab〉の日ランチの企画など、ライターとしてだけでなく様々な形で国内外のプログレッシヴな音楽を紹介してきた尽力者だ。 ★参考記事:いま、なぜ原雅明の周辺が面白いのか―ringsを立ち上げた音楽シーンのキーパーソン、その自由なバランス感覚の秘密に迫る 〈ジャズをめぐるサウンド史〉〈ジャズというなにかをめぐる実践的覚書〉の2部構成となる

    原雅明はなぜ特殊で特別な音楽評論家なのか? 柳樂光隆が新著「Jazz Thing ジャズという何か」の核心に迫る | Mikiki by TOWER RECORDS
  • 【インタビュー】原雅明「ジャズという括りが曖昧になってきた80年代〜90年代の他の音楽の動向も含めた視点から、ジャズを書いていく」 | BARKS

    【インタビュー】原雅明「ジャズという括りが曖昧になってきた80年代〜90年代の他の音楽の動向も含めた視点から、ジャズを書いていく」 原雅明が『Jazz Thing ジャズという何か』を上梓した。原雅明は、編集者を経て80年代末から執筆活動を開始した音楽ジャーナリスト/ライター。HEADZの設立と雑誌『FADER』の創刊から、レーベル運営やイベントの実践も通じて、さまざまな現場に関わり、フライング・ロータスらを輩出したビート・ミュージックの最重要イベント<LOW END THEORY>を日で企画してきた。現在は執筆活動とともに、ネットラジオdublab.jpの運営や、ringsのプロデューサーとして、これまで培った海外とのコネクションから、新たな潮流となる音源の紹介に務めている。 そんな原が書き上げた『Jazz Thing ジャズという何か』は、これまで語られなかった切り口からジャズを取り

    【インタビュー】原雅明「ジャズという括りが曖昧になってきた80年代〜90年代の他の音楽の動向も含めた視点から、ジャズを書いていく」 | BARKS
  • 春の美術入門書〜初学者や作り手のための〜|lie_

    を読まない学生は多い。 美大生ならなおさらかも知れない。いや、いわゆる"一般人"も、エンタメ小説やマンガしか手にとらないのかもしれない。私自身も、大学に入って「批評家」という人種に出会わなければ、こんなに嘘みたいにを買いあさったりしなかったかもしれない。(もっとも半分以上を読まずに積んでいるのでなおさら意味が分からない) しかし、アーティストが知るべき言説の世界があるのは事実だ。芸術は常に、アーティストや作品を、「人工的」に誰かが評価したり、発見したりして、今に続いている。みんなが「綺麗だ」としている印象派の絵画だって、中世の世界に持って行ったら、文化様式の違う地域に持って行ったら、見向きもされないかもしれない。逆にもちろん、昔は評価されていなかったものを道具にして、現代について考えることもできるだろう。多くの現代人が共通感覚だと思っている「美」でさえ、各々の時代の作品と、様々な時代の

    春の美術入門書〜初学者や作り手のための〜|lie_
  • テン年代サブカル批評系ネオリベラリズム概論 - ギロチン

    リベラルとカテゴライズされる人種の大多数は、試験で良い点数を取るのが生きがいだったみたいな、わりかし大人しめの従順なタイプで、そういう人種の生真面目さが、ネオリベやネトウヨ的なものに振れて、ネット言論や世の中を息苦しくしているような気がする。 例えば、とある典型的なサブカル文系ツイッタラーのツイートを再掲してみよう。↓ 度々引用させて頂き申し訳ないが、しかし、このツイートって、現代日の言論空間を覆っている不自由さ、実存的不安、自我を見事に表現した傑作だと思う。まず、「左派」を自負しながら「自民党に投票」し、「クラスのスクールカースト上位」だったけど「オタク文化に理解がある」と、言い訳がましいアピールをしている時点で、暑苦しいというか、薄ら寒々しいものを感じさせるけど、でも、この人に限らずある種の知的クラスタって、自分が、いつ底辺に蹴落とされるかわからない恐怖心だとか、血で血を洗う、

    テン年代サブカル批評系ネオリベラリズム概論 - ギロチン
  • インタビューってなんですか? 音楽評論家 #柳樂光隆|岡本尚之|note

    先日開催されたライター講座、若柳樂音筆の会(のちに若柳宮音筆の会に名称変更。その後、音筆の会に名称変更)の第1講では「インタビューがわからない」というテーマで、編集者の若林恵さん、音楽評論家の柳樂光隆さん、編集者・ライターの宮田文久さんが3時間を超える鼎談を行った。刺激的な一夜を終えて分かったのは、やっぱりインタビューがよく分からないということだった。音楽ライターの柳樂さんとは、色々な場所でインタビューについてお話しさせてもらっている。今回はさまざまな場所で話した柳樂さんのインタビュー論を対談形式にまとめた。はてブでは「しかしこの記事全体は対談だかインタビューだか迷って不時着しているふうにもなっていそうだなー」と書かれるなど、反響もあった。さて柳樂さん、インタビューってなんですか? とにかく雑誌が大好きな子供だったので、買ったら隅から隅まで読んで何度も読み返してた 岡:先日の「インタビュ

    インタビューってなんですか? 音楽評論家 #柳樂光隆|岡本尚之|note