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熊野古道と歴史に関するvopinkpunkのブックマーク (3)

  • 庚申信仰 江戸期に流行-誕生寺・庚申塔に戦国期の年号

    一志町誕生寺所蔵「石造阿弥陀如来立像」 近世期を中心にして、ごく最近まで全国的に広く行われていたものの一つに「庚申(こうしん)信仰」がある。 「庚申講」と呼ばれる信者の集団が、干支で言うところの庚申(かのえさる)の日に一戸の宿に集まり、庚申をまつってお神酒・精進料理などを祭壇に供え、念仏を唱えた後、雑談をして時を過ごす。多くは、夜を徹して行われる。 庚申信仰は、道教に説く三尸(さんし)説を母体として、密教や修験道、民間信仰や習俗などが複雑に組み合わさって成立したもので、それによると、人間の体内には三尸という三匹の虫がいる。これらは常に人間の罪を監視しており、庚申の晩に隙を見て天に昇り、天帝にその罪を報告する。その行為によって、人間は早死にすると考えられていた。しかし、庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができず、天に昇ることもない。したがって、庚申の日に身を謹んで徹夜すれば、早死に

  • 地元誌に見る改修工事―明治~大正期の熊野街道

    海野隧道(古里歩道トンネル)ー『三重県の近代化遺産』よりー 2004年(平成16)7月、熊野古道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録された。そして、今年の2月10日には尾鷲市に「熊野古道センター」も開館した。多くの人たちが熊野古道を訪れ、峠の石畳道を歩き、道標や路傍の石仏に昔日の面影をしのぶことができるようになった。この古道は、今後も文化遺産として保護が進められていくであろうが、東紀州地域の発展には道路の改修や高速道路の建設も必要であり、現在一部開通した近畿自動車道紀勢線の東紀州への早期延長が強く望まれている。 東紀州地域は、古くは峠を歩いて越す熊野古道や海運が主たる交通の手立てであったが、熊野灘が荒れているときは何日も航海を見合わせなければならず、明治期以降、車馬の通行できる街道の整備が課題となってきた。1886(明治19)年~88年には、一部で街道改修工事がなされ、県庁文

  • 青の鼓動、感じる。東紀州観光手帖

    熊野古道馬越峠の魅力は石畳!~アクセスや駐車場も紹介!~ 熊野古道伊勢路を語り部さんが案内してくれる熊野古道語り部友の会。 個人で歩いてはわからない、地域の歴史文化、草花など見どころをガイドしてもらえます。 熊野古道伊勢路の魅力を一層実感できるので、熊野古道は語り部さんと一緒に歩かないのは「もったいない」語り部さんが実際に案内するポイントの一部を紹介させてもらいます。

    青の鼓動、感じる。東紀州観光手帖
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