ヨーロッパで形成された アーキテクチュアという抽象的概念と、それを体現する アーキテクトというプロフェッションは、明治以降、我が国にも移植されてきた。ところが日本には そうした伝統がなかったために、それらの概念は正しく理解されず、本来の理念とは異なった、あいまいな形に定着されてしまった。そのプロセスと現状を、主としてアーキテクトの訳語の変遷を通して検証し、その打開を提言する。 筆者は インドを旅することが多いのであるが、あるとき ホテルで新聞を読んでいたら、ARCHITECT と言う文字が目についた。だれか 建築家のことが扱われているのかと思ったら そうではなく、ドイツの大数学者、フェリックス・クラインについての記事であった。彼を「近代数学のアーキテクト」と称して 誉めたたえているのである。これを「近代数学の建築士」と訳すわけにはいかないだろう。それでは誉め言葉にならないからである。 ある