明治時代の仮名に関する研究のほとんどは字体数の減少に焦点があり、それ以外については未着手のものがおおい。以下においては、字体数の収斂に関する現段階の達成を確認したい。 平仮名史上において、明治時代は、一音一字の体系が確立した時代として知られるが、前時代までの多字体体系からこのような体系にいたったについて、既存の研究には、㈠淘汰の結果、自然とよく使われるものに集約されて現在のものになった(古田、一九七四)、㈡前代から収斂傾向にあったが、その結果現代のものにいたったわけではなく、この収斂にはいろは仮名が係わっているようである(浜田、一九七九)、という二通りの理解があった。その後の研究の進展は、㈡を支持するものが多い。たとえば、永井(二〇〇六)は江戸期全般の女子用往来物の字体数の時代的変遷をたどり、江戸時代後期において字体数がゆるやかな減少傾向にあったことを示しているほか、銭谷(二〇一〇a)も明
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