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art historyに関するyu76のブックマーク (5)

  • 建畠晢 - Wikipedia

    建畠 晢(たてはた あきら、1947年8月1日 - )は、日の詩人、美術評論家。埼玉県立近代美術館館長。京都芸術センター館長。元多摩美術大学学長・多摩美術大学名誉教授。京都市立芸術大学名誉教授。元国立国際美術館長、京都市立芸術大学学長。専門は現代美術。 兄は彫刻家・日大学芸術学部教授の建畠朔弥、父は彫刻家の建畠覚造、祖父は彫刻家の建畠大夢。 経歴[編集] 京都府生まれ[1]。早稲田大学文学部仏文学科卒業。「芸術新潮」編集者、国立国際美術館主任研究官を経て、1991年、多摩美術大学美術学部芸術学科助教授、1995年、同教授、2005年より客員教授、2015年より学長。2005年、国立国際美術館長、独立行政法人国立美術館理事に就任。2011年より京都市立芸術大学学長、埼玉県立近代美術館館長。2017年、草間彌生美術館館長[2]。この間、コロンビア大学客員研究員(2000-2003年)、東京

  • 諸川春樹 - Wikipedia

    諸川 春樹(もろかわ はるき、1953年 - )は、日の西洋美術史家、多摩美術大学教授。 来歴[編集] 1979年東京大学文学部美術史卒、88年同大学院博士課程満期退学、東大文学部文化交流研究施設助手、89年多摩美術大学美術学部専任講師、92年助教授、96年教授。 著書[編集] 等身大の巨匠たち ルネサンス美術の舞台裏 日経BP社 1997.7 西洋絵画史入門 カラー版 美術出版社 1998.2 共著[編集] 西洋絵画の主題物語 カラー版 利倉隆共著 美術出版社 1997.5 聖母マリアの美術 カラー版 利倉隆共著 美術出版社 1998.8 彫刻の解剖学 ドナテッロからカノーヴァへ 諸川責任編集 松浦弘明,喜多村明里,足達薫,金山弘昌,金井直共著 ありな書房 2010.10 翻訳[編集] パオロ・ウッチェロ,ドメニコ・ヴェネツィアーノ,アンドレア・デル・カスターニョ /アンナリータ・パオ

  • 照屋勇賢 オーラル・ヒストリー – 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ

    照屋勇賢 オーラル・ヒストリー 2008年9月28日 ニューヨーク、ブルックリン 照屋勇賢のスタジオにて インタヴュアー:手塚美和子、由みどり 書き起こし:渡邉亜由美 公開日:2010年2月28日 照屋勇賢(てるや・ゆうけん 1973年~) 美術家(立体、インスタレーション) 沖縄県出身。1998年以降、アメリカを活動拠点としながら世界各地で多くの展覧会に参加。ファスト・フード店の紙袋、トイレット・ペーパーの芯、高級ブランド・ブティックの使い捨てショッピング・バッグなどを使用した、現代の消費社会を浮き彫りにする作品群がよく知られる。また、沖縄の歴史的背景やアメリカとの関係を地政学的に検証しつつウィットを利かせたインスタレーションや紅型職人の協力を得て制作されるテキスタイルを取り入れた作品は評価が高い。このインタヴューでは、2007年のアジア・ソサエティ美術館での個展を担当した手塚美和子が

  • 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ

    立川正憲 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 奥野惠 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 出光真子 オーラル・ヒストリー 公開 末永蒼生 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 熊谷寿美子 オーラル・ヒストリー 第1・2回 公開 シンポジウム 「戦後日美術の群声」 2017年7月9日 日美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、美術の分野に携わってきた方々にインタヴューを行い、口述史料として収集・保存している団体で、2006年に美術史の研究者や学芸員によって設立されました。以来、継続的にインタヴューを行い、口述史料として収集しています。サイトでは、そのインタヴューを書き起こした文章および一部映像記録をオーラル・ヒストリーとして公開しています。 もっと詳しく

    日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ
  • エルヴィン・パノフスキー - Wikipedia

    エルヴィン・パノフスキー(Erwin Panofsky, 1892年3月30日 - 1968年3月14日)はドイツ出身の美術史家。英語読みでアーウィン・パノフスキーとする表記もある。 人物[編集] アルブレヒト・デューラーを中心とする北方ルネサンス研究で知られる。パノフスキーが、理論化をすすめたイコノロジー(図像解釈学)は、20世紀の美術史学で、「様式論」と並ぶ最も重要な方法論[1]となった。 1892年にドイツ北部のハノーファーに生まれ、ミュンヘンやベルリンで学んだあと、イタリア・ルネサンス絵画とデューラーの関係を扱った論文でフライブルク大学から哲学博士号を取得(1914年)。1926年、新設されたハンブルク大学で美術史の正教授に就任。このとき同大学の哲学教授だったエルンスト・カッシーラーと深く交流したほか、美術史家アビ・ヴァールブルクの知遇を得た[1]。ドイツ時代の重要な研究には、『デ

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