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ブックマーク / koumichristchurch.hatenablog.jp (48)

  • 公協訳聖書プロジェクト - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    神奈川のY教会のキリスト信徒Nさんという方から電話があった。著作権フリーで、教派的色合いなく、日語として少々不自然でも、とにかく原典を忠実になぞった聖書翻訳をWEB上で始めているので、当ブログに載せた聖書翻訳に関するメモを用いたいとのこと。どうぞ、とかんたんに申し上げた。 「でも同類のものなら、すでに電網聖書(World English Bible準拠)があるでしょう」と申し上げたら、「電網は数年前にストップしたまま」とのこと。調べてみたら、なるほど2002年3月3日でストップしている。旧約聖書はなく、新約聖書のうちパウロ書簡全部と黙示録が翻訳されないままになっている。というわけで、Nさんは、旧・新約、著作権フリー、原典に忠実なWEB聖書をつくろうという高い志なのだそうである。たしかに、そういう聖書があればなあと思うことがときどきある。 ただ気になったのは一信徒だとおっしゃるNさんは、寄

    公協訳聖書プロジェクト - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
  • パンはなくとも・・・マタイ4:4 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    福音派で新しい聖書翻訳事業がスタートするそうである。筆者は語学に決して堪能ではないけれど、一応聖書言語を学ぶ機会に恵まれて、牧師として聖書に取り組んで毎週説教準備をしてきて、気になるところがやはりあるものである。それは、きっと筆者だけではないと思う。そういう説教者たちのメモを聖書翻訳者たちに届けることができたら、よりよい翻訳聖書を生み出すためのヒントにはなるのではなかろうか。そんなことを思って、「新改訳聖書」のカテゴリーで、あと数回、聖書翻訳にかんするメモをしておきたいと思っている。カテゴリーボタン「新改訳聖書」をクリックすれば、まとめて見ることができます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 多くの人に親しまれ、かつ誤解されている聖句のひとつにマタイ4章4節がある。新改訳では

    パンはなくとも・・・マタイ4:4 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
    zichao
    zichao 2010/03/30
    パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる”と(聖書に)書いてある
  • 戦後政治史の陰で - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    東京新聞「音のコラム」(3/3朝刊)に戦後日史の陰の部分について書かれた文章が載せられたので、ここに転載しておく。読売をはじめ自民党清和会におもねる大新聞がほとんどの中で、東京新聞は異色の存在。 「小沢氏の問題提起」         斎藤学 小沢一郎について語る際には「私もこの人物を好きではないが」という枕ことばを付けなければならないようだ。が、それは原稿でべている人たちに課せられた規定らしいので私は気にしない。この人が図らずも提起している二つの問題(①米国との距離の再検討②戦後天皇制の再検討)は、旧帝国憲法の残滓に注目するという点で回避不能なことだと思う。 既に公刊されているように戦後日は岸信介氏のようなCIAのエージェント(金で雇われたスパイ)によって作られた「米国に貢献する社会」である(『CIA秘録』上巻、pp170-184)。この暫定的体制が、もくろんだ当人たちさえ驚くよう

    戦後政治史の陰で - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
  • フランソニアン - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    小海キリスト教会が属する日同盟基督教団はフレデリック・フランソン(1852-1908)が創始者であるTEAM宣教団(元北米スカンジナビア同盟宣教団)の宣教師たちによって生み出された。彼の母は折からスウェーデン国教会内に起こっていた敬虔主義運動の影響を受けた熱心なキリスト者であった。フランソンのConstant, Conscious, Communion with Christ(キリストとの絶えざる意識的なまじわり)という4つのCで表現される霊性は、おさない日から母の敬虔な信仰から受けたものであろう。 1862年、米国に移民して後、フランソンは病の中で神の深いお取り扱いを受け、信仰の覚醒を経験し主の福音のために自分の生涯をささげつくすことを決心した。フランソンの信仰の特質は、主イエスが再び来られる日は近いという意識であった。自分の目がまだ青いうちに主が来ると信じるフランソンは、あの船と徒歩

    フランソニアン - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
    zichao
    zichao 2010/02/23
    1つ、「あなたは確かにイエス・キリストによって救われているか?」 1つ、「あなたは人をキリストにある救いに導いたことがあるか?」 1つ、「あなたはキリストのために喜んで死ぬことができるか?」
  • 聖なる畏れをもってささげよ - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    使徒4:32−5.11 2010年1月10日 小海主日礼拝 1. 伝道とコイノニア エルサレムに誕生した新約時代のキリスト教会の姿が32節から37節に記されています。32節と33節には、伝道の働きと教会のコイノニア(共有)の姿が記されています。 「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」 以前にもお話したことなのですが、たいせつなことなので繰り返しますが、教会はその始まりから、伝道と社会的奉仕という二つの務めを果たしてきました。主イエスは伝道をなさるとともに、病める人を癒すということをしましたし、その弟子たちもそうでした。特に初代の教会に集う人々は、奴隷や貧しい人々が多かったので、コイノニアがたいせつにされていたのです。コイノニアとい

    聖なる畏れをもってささげよ - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
    zichao
    zichao 2010/01/15
    恐れと畏れ
  • 日本国憲法は国産品 その2 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    2.第9条も日製 日国憲法は、憲法研究会の鈴木安蔵が書いた草案を骨子としてGHQが作成した英文憲法草案を邦訳したものである。しかし、日国憲法の最大特徴の一つである第九条戦争放棄条項が、日の首相幣原喜重郎の発案である。また、この憲法が発布されたとき、日国民はこれを喜んで支持した。(以下は、伊藤成彦氏の「軍縮問題資料」1995年所収論文から略述。) 一九四六年一月二十四日正午、幣原首相はマッカーサー元帥を訪ね、約二時間半会談をした。この会談の内容について、マッカーサーは一九五一年五月五日の米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会で証言をしている。少し長くなるが引用しておこう。 「日の首相幣原氏が私の所にやって来て、言ったのです。『私は長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争をなくすことだという確信に至りました』と。彼は言いました。『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこ

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  • 厩を産屋として - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    ルカ2:1−7 2009年12月20日 待降節第四主日礼拝 小海 1.皇帝アウグストの時代に 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」2:1−2 (1)歴史の事実 皇帝アウグスト(Augustus63BC―14AD)は、初代ローマ皇帝です。ローマという国はもともとは紀元前509年建国以来、元老院議員たちが会議をして治める共和政でした。ローマがイタリア半島の小さな国であるうちは共和政で問題なかったのですが、版図が地中海世界に急速に広がるにつれて元老院でたくさんの議員がああだこうだと議論をしてことを決定するやり方では、もはや巨大化した帝国全体で頻々と起こる諸問題にすばやく対応できなくなりました。そこで、ユリウス・カエサル(100-44BC)は権限を自らに集中する国家の仕組みに切り替えようとしま

    厩を産屋として - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ
    zichao
    zichao 2009/12/21
    ただただアーメン
  • 日食と十字架 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

    「そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。」ルカ23:44,45 一昨日の日にちなんで、もう一度メモしておく。 主イエスが十字架にかかった日の正午から暗闇が全地を覆ったことは、同時代の小アジアの年代記記者フレゴンの記事においても証言されているから、文学的フィクションでなく歴史的事実であることが確認される。 「第202回のオリンピック大会の第4年目(すなわち西暦32-33年)、日が起こった。それは古今未曾有の大日であった。昼の第6時(すなわち正午)、星が見えるほどの夜となった。ビテニアに起こった地震でニケヤの町の多くの建物が倒壊した。」 Quarto autem anno CCII olympiadis magna et excellens inter omnes quae ante eam a

    日食と十字架 - 苫小牧福音教会 水草牧師のメモ