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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/donatuo211 (6)

  • 神田川大曲塾の研究会「欧文印刷」 - 活版印刷紀行

    嘉瑞工房の高岡重蔵・昌生さん父子のご紹介を2回にわたっていたし ましたが、おかげさまでそのお二人を神田川大曲塾の6月研究会の講師 としてお招きできることになりました。 身近かでありながら私たちは欧文活字や組版について和文ほど詳しく ないような気がいたしますが、あなたはいかがでしょうか。塾生以外の ゲスト聴講も歓迎いいたしますので、ぜひ、ご参加ください。 印刷懇話会 神田川大曲塾第24回印刷文化研究会 ・テーマ  『これだけは知りたい欧文印刷の話』 ・講 師  高岡重蔵氏(嘉瑞工房相談役・英国王立芸術協会フェロー) ・井上嘉瑞さんと私 ・戦中・戦後、日の欧文印刷 ・欧文活字と活字組版の美しさ 高岡昌生氏(嘉瑞工房社長・武蔵野芸術大学講師・ドイツ ライプチヒ市印刷技術振興会会員) ・欧文組版の基礎とマナー ・活版組版とコンピュター 組版 ・日人がやってしまうおかしな欧文印刷 ・日  時  

    神田川大曲塾の研究会「欧文印刷」 - 活版印刷紀行
    zichao
    zichao 2011/06/08
    行きたいけど仕事で行けないから誰かがblogにupしてくれるのを期待age 今日16:00~
  • 2007年1月のブログ記事一覧-活版印刷紀行

    私は遠藤周作文学館から角力灘を見ていました。 かたわらに、金属製の展望者用ガイド・プレートがありました。青い海と紺碧の空、遠く、かすかに見えるのは五島の島々でしょうか。 その昔、長崎を出て五島の島々を横目にしながら、マカオへ向かう南蛮船が、あるいは、この沖を通ったのかもしれません。 1590年(天正18)マカオから印刷機や欧文活字など印刷機材を積んだジャンクが南蛮船を追うようにして辿ったのもこの沖かも知れないなと思ったりしました。 ここは、外海(そとめ)町。ジュリアンのふるさとから西彼杵半島の海岸線を南下した長崎寄りのところです。 いまは、長崎市に入っておりますし、事実、長崎から「桜の里」行きのバスに乗り桜の里で「瀬戸・板浦」に乗れば、簡単に外海に連れて来てくれます。 遠藤周作文学館、出津(しつ)文化村、歴史民族資料館、ド・ロ神父記念館、「沈黙」の碑、黒崎カトリック教会などなど、この一帯は

    2007年1月のブログ記事一覧-活版印刷紀行
  • 阿辻哲次先生の「印刷字形と手書き字形の話」 - 活版印刷紀行

    阿辻哲次著『戦後日漢字史』(新潮選書)、年末に求めて積んでおいたをようやく読み上げました。おもしろかったなどというと叱られそうですが。 たとえば、常用漢字表の制定についての章の「印刷字形と手書き字形」という項目のところで、はからずも私は小学校のときのN君を思い出してしまいました。 彼はいつも先生に「君の字は字じゃない、ミミズの絵だ」とからかわれていました。一念発起した彼は新聞・雑誌の「活字体」ソックリの字をマスターしたのです。のちに高校教師になりましたが黒板にも活字体で書いたにちがいありません。なにぶん、彼には「明朝体」の活字体でしか手書き文字が書けないのですから。 話を阿辻先生のに戻して、先生は「教科書や辞書に印刷されているのが「正しい字形である」と教え込む学校や塾の先生が多いので、子どももついついテストの答案をその通りに書かねばならないと思い込んでいる。とんでもない間違いだ」と指

    阿辻哲次先生の「印刷字形と手書き字形の話」 - 活版印刷紀行
    zichao
    zichao 2011/02/25
    ≪女はツノを出さない≫といって、小・中学校で女という字の二画目の「ノ」と三画目の横線が交わって上に飛び出すとバツという教師すらいるらしい----ツノ出しまくりじゃねぇか
  • バレンタインの「活字チョコ」 - 活版印刷紀行

    きょうはバレンタイン・デー。 デパートはもちろんコンビにもきれいな包装のチョコレートの山が築かれております。。 最近は女性から男性へばかりではなく、学校や職場でも女性同士でも交換しあうといいますから納得です。 そこで思うのですが、「活字チョコ」というのはいかがでしょうか。 たとえば、正方形の板チョコ状のチョコレートに「愛」とか「友」とか「憧」とかの文字が活字体で浮き出している。 あるいは当の活字のように、左文字で彫られている。こんなのがあったらおもしろいのではないでしょうか。 「別」なんというのをもらってドキリ。もっと凝れば、ホンモノの活字の形状にすれば、活字をみたことのない若い人も 口に入れる前に興味を持ってくれそうです。 特設売り場にあいうえお から んまで五〇音のひらがなとかアルファベットの26文字のチョコレートが用意されていて、自分の名前とか相手に伝えたい言葉をお客がセッティング

    バレンタインの「活字チョコ」 - 活版印刷紀行
  • 佐久間貞一と沼津兵学校 - 活版印刷紀行

    秀英舎(大日印刷)の創業は明治9年の10月でした。明治ヒトケタ年代に創業して今日まで続いている印刷会社は同社だけですが、この会社の創立発起人の代表が佐久間貞一その人 でした。 幕臣の次男として江戸、下谷に生を受けた彼は徳川幕府瓦壊のときは彰義隊員でした。いったんは徳川慶喜について水戸入りをしましたが、慶応4年に徳川家達の駿府入りに従って駿府に転進、掛川城下の掛川勤番組の一員として沼津兵学校掛川支寮に学び、財、漢、英、数と武術を学んで卒業したとされております。この支寮の頭取が保田久成でしたので、のちに秀英舎創立のとき力をかりることが出来たといいます。 また、創業当初、秀英舎の基盤づくりに大いに役立った『改正西国立志編』の中村正直は静岡学問所の出身でしたから、あるいは駿府で2人に交流があったのではないでしょうか。 以上は2007年に大日印刷から刊行された『大日印刷百三十年史』によりました

    佐久間貞一と沼津兵学校 - 活版印刷紀行
    zichao
    zichao 2010/12/31
    秀英体の由来はここからだったのか
  • わが目を疑った『活字発祥の碑』 - 活版印刷紀行

    なんと、たった1週間前、この碑は植木で隠されてわずかにいちばん上の『活字発祥の碑』 かろうじて見えるだけでした。やむなく、そのままカメラにおさめて研究会でパワー・ポイントで注釈つき披露をした私です。 それが塾友を伴なってやって来たら植木がすっかり刈り取られ碑文がはっきり読めるようになっているではありませんか。思わず「今朝のテレビの星占いで、仕事運がよかった」のはコレか、と思った次第です。 木昌造の長崎新塾活版製造所の事業いっさいを引き継いだ平野富二が築地の秋田筑後守の 屋敷跡120坪ほどの土地を買い「平野活版製造所」を新築したのがこの碑の場所で、こここそ明治・大正時代に日の印刷文化を下支えした「築地活版製造所」跡地なのです。 残念ながら平野富二の名前は木昌造ほど知られておりません。彼が「平野活版製造所」から明朝体活字で一世を風靡した「築地活版製造所」に発展させたのに、その会社も昭和1

    わが目を疑った『活字発祥の碑』 - 活版印刷紀行
    zichao
    zichao 2010/10/12
    新連載スタート
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