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ブックマーク / yamamoto8hei.blog37.fc2.com (4)

  • 一知半解なれども一筆言上 「トッツキ」と「イロケ」の世界【その6】~「虚構の世界」が日本を滅ぼした~

    前回の記事『「トッツキ」と「イロケ」の世界【その5】~二種類いるトッツキ礼賛者~』の続き。 今回の引用部分において、山七平は、トッツク人間の性向と似たものを、新聞記者が持っていることを指摘しています。 (前回の続き) この「逆」すなわち復讐の方法は実に多種多様で、私の知っているだけで十以上になるが、一番普及していたのが「フケメシ」であろう。 私と同時代に大日帝国陸軍にいて、「フケメシ」という言葉を知らない者はおるまい。 旧軍隊をいかに美化したところで、また内藤誉三郎氏がいかに一糸乱れずと感じたところで、そんな虚飾は、この「フケメシ」という言葉の存在の前に、一瞬にして消しとんでしまう。 三島由紀夫氏が切腹したとき、私は反射的に、氏はこの「フケメシ」という言葉を知らなかっただろうなと思った。 フケメシとは読んで宇の如く、メシの中にフケをまぜてわせることである。 もちろん当ではあるまいが

    zyesuta
    zyesuta 2010/03/31
    旧日本軍のバカ参謀と、傲慢記者の共通点
  • 一知半解なれども一筆言上 「話し合い」と「結果の平等」がもたらす「副作用」【その1】

    人って「話し合い」がとにかく好きですよね。 何でも「話し合いで解決する」のを理想と考えている。 それは元来、「和」を尊ぶお国柄だからということに由来するのでしょうけれど。 確かに「話し合い」は大切ですし、重要だと思うのですが、それを声高に主張する人に限って、その「副作用」というものを認識していないのではないでしょうか。 そんなことを考えるキッカケとなった、山七平のコラムを今日から何回かに分けて紹介して行きます。 ◆話合いの恐怖 人間は子供のときに頭に叩き込まれた図式が、生涯抜けないらしい。 これはあたりまえのことかもしれぬが、しかしそれは、必ずしもその人の宿命とはいえまい。 問題は、自分の幼時はこうであったから、こういう考え方をしやすいという自己把握をして意識的にそれを制御するか、表現だけは年齢や時代とともに変わっても、幼時に叩き込まれた図式に生涯呪縛され、その図式でしか思考も行動も

  • 一知半解なれども一筆言上 内なる「悪」に無自覚な日本人/性善説がもたらす影響とは?

    考えも意見もまるで私と違うけれど、それでもよく拙ブログにコメントやトラックバックをいただけるブログ主さんがいます。 「春夏秋冬」の和久希世さんです。 最近は、私の記事も(批判的ですが)取り上げてくれたこともありまして、それはそれで感謝しているのですが、彼女と議論を交わす度に、どうしても連想してしまうのが、山七平と岸田秀の次の対談です。 今日はその記述について紹介したいと思います。 ◆現代日教信仰箇条 (~前略) 山 なるほど。それではこの諸症状とやらをしばらく挙げつらってみましょうかね。 今、お話にでた社会の中に不自然をみて、それを悪であるとする発想は、人間は善であるという性善説と表裏の関係にありますね。 人間は善い、自分は善い、しかし社会が悪いのだと。 岸田 つまり、その場合、社会の悪はどこから来るのかということまでは分析しない。今、お話にでた社会悪の構造的原因まで追究しないことが

    zyesuta
    zyesuta 2009/08/12
    相変わらずいいポイントを引用してらっしゃる。ナマズ説は面白い
  • 一知半解なれども一筆言上 ソマリア海賊問題から「海上秩序の傘」について考える

    最近、ソマリア海賊問題巡る論争を眺めていて、ふと思い出したのが、以前読んだ山七平のコラム。 探してみたら、「『常識』の研究」の中にありましたので、今日は、そのコラムを紹介していきます。 ◆海上秩序の傘 「核の傘」という言葉があり、この言葉が何を意味しているかは多くの人はすでに知っているであろう。 しかし、この言葉がジャーナリズムに登場する以前には、人びとは「核の傘」の下にいて、そこで生活しているという意識はなかったに等しい。 それはいわば、空気のように意識されなかったもので、それが意識され出したのは、むしろ「核の傘」の威力がうすれて、それが当にあるのかどうか疑わしくなってきてからのことである。 「非武装中立論」に代表される「核の傘」の下の平和論は、「核の傘があるから……」を無言の前提としていたわけで、それは、その首唱者がそれを意識しようと意識しまいと、また意識しつつ隠していようと、現実

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