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内田樹に関するyukio2005のブックマーク (88)

  • 男性中心主義の終焉 - 内田樹の研究室

    『プレシャス』のオフィシャル・パンフレットが届いた。 不思議な映画である。 あちこちの映画祭で受賞しているけれど、どうしてこの映画がそれほど際立つのか、たぶん日の観客にはその理由がよくわからないのではないかと思う。 それについて書いた。 変わった手触りの映画だな・・・と思った。「ふつうの映画」と違う。どこが違うのか考えたがわからない。そのまま寝て、一晩寝たら、明け方にわかった。 「男が出てこない映画」だったのである。 「看護師ジョン」役でレニー・クラヴィッツがクレジットされているけれど、2シーンだけ、台詞もわずか。プレシャスの成長を暖かく見守る「いい人」という記号的なかたちでしか物語に関与しない。 プレシャスのあこがれの数学の先生も、プレシャスを意味もなく突き飛ばす暴力的なストリートキッズたちもいずれも、人間な深みのない図像として記号的に処理されている。 一家の不幸そのものの原因であり、

  • そんなことを訊かれても - 内田樹の研究室

    仕事始めに取材がふたつ。 太田出版の『atプラス』という雑誌と、『週刊プレイボーイ』。 媒体は違うが、たぶんどちらも対象としている読者の世代は同じくらい。 20代後半から30代、いわゆる「ロスジェネ」世代とそれよりちょと下のみなさんである。 生きる方向が見えないで困惑している若い諸君に指南力のあるメッセージを、というご依頼である。 『atプラス』の方はかなり学術的な媒体なので、「交換経済から贈与経済へ」という大ネタでお話しをする。 「クレヴァーな交換者から、ファンタスティックな贈与者へ」という自己形成モデルのおおきなシフトが始まっているという大嘘をつく。 もちろん、そのようなシフトは局所的には始まっている。 けれども、まだまだ顕微鏡的レベルの現象である。 それを「趨勢」たらしめるためには、「これがトレンディでっせ」という予言的な法螺を吹かねばならぬのである。 めんどうだが、そういう仕事を電

  • 仕事始め - 内田樹の研究室

    朝から母の家の居間で原稿書き。 最初に『ブルータス』の「吉隆明特集」へのアンケート回答。 「最初に読んだ吉隆明のは何ですか?」というようなアンケートである。 私が最初に読んだのは『自立の思想的拠点』で、1967 年、高校二年生のときのことである。 その頃、私のまわりには吉隆明を読んでいる人はまだそれほど多くなかった。 70 年に大学に入った時点でも、決して多くはなかった。 私は全共闘の諸君は全員吉隆明の愛読者だと思っていたので、「誰、それ?」というリアクションに仰天した覚えがある。 大学に入って最初に「吉っていいよね」という私の言葉にそっと頷いてくれた相手は意外にも民青の活動家だったウエムラくんであった。もちろんそのようなカミングアウトは彼の党派的立場からはありえないことだったのだけれど。 時代が経つと、「1968 年には日中の大学生たちはみな吉隆明を熱狂的に読んでいた」と

  • 草食な時代 - 内田樹の研究室

    四年生の専攻ゼミでは「草男子から平成雑メンズ」というお題でお話を伺う。 こういう世代論的分類法はどれほど信憑性があるのかしらないけれど、遠く「モボモガ」や「アプレゲエル」の時代から始まって「太陽族」「六木族」「みゆき族」など「族」時代を経て、「○金/○ビ」、「根暗」、「新人類」、など無数のバリエーションがある。 どれも世相をすぱりと切り取って、鮮やかである。 今回の「草系」というのはネーミングが卓越していたので、広く人口に膾炙した。 けれども、それも「もう古い」のだそうである。 一月ほど前にはじめて耳にした世代分類カテゴリーが「もう古い」と言われては、おじさんの立つ瀬がありません。 きみたちの好きにしたまえ。 ただ、高度成長期、バブル期など「お金がだぶついているとき」は肉系の生き方が有利であり、低成長・不況・雇用不安期には草系の生き方が有利であるという大きな流れはあると思ってい

    yukio2005
    yukio2005 2009/04/30
    そんなことを少しも感じないで、自己利益の追求に熱中している人もまだたくさんいるだろう。 けれども、そういう生き方はもう「デフォルト」ではなくなった。
  • 新55年体制へ向けて - 内田樹の研究室

    『Sight』の取材で、麻生内閣の今後について「予想」をする。 福田康夫の登場を2007年1月に予言したので、「予想屋」としての評価が高まったらしい。 私は「予測」するのが大好きである。 もう起きたことについて、「ぼかあ、こうなると思っていたよ」と訳知り顔をする人間ばかりがメディアには登場するが、彼らはそのような事態の出来を果たしてあらかじめ予測していたのであろうか。 私は懐疑的である。 予測は「当たる」か「外れる」かしかない。 誰にでも、当否がはっきりわかる。 ところが、私たちの国の知識人たちは「間違えを認めること」を異様に嫌う。 だから、仮に予測をして、それが外れた場合でも、「私の予測ははずれました」ということを言わない。 でも、予測が外れた場合こそ「私はどのようなファクターを勘定に入れ忘れたのか?」「私はどのようなファクターの評価を誤ったのか?」をチェックする最良の自己教育機会ではな

  • 政権末期内閣の願うことは - 内田樹の研究室

    小泉首相の「わらっちゃう発言」によって自民党のメルトダウンが始まっている。 それにつけても、麻生政権は「もう末期」と昨秋から言われながら、なかなか倒壊する気配がない。 これはいったいどういうことであろう。 代議士たちも自身の選挙の当落についての個人的危機感はずいぶんと高いようだけれど、そのわりには政治家たちの表情にあまり「国難」を前にした危機感が見られない。 「どうしてなんでしょう」と訊かれたので、あまり考えずについ「その方が投票率が下がるからじゃないの」と答えた。 答えてから、なるほどそうかもしれないと思った。 その理路について書きたい。 支持率が20%を切った麻生政権下で迎えるにせよ、あるいは麻生退陣後の「選挙管理内閣」で迎えるにせよ、総選挙における自民党の大敗は避けがたい。 だから、現在の自民党執行部の脳裏を占めている喫緊の政策的課題は、「どうやって選挙に勝つか」ではなく、「どうやっ

  • 学びと暗黙知 - 内田樹の研究室

    後期最終日。 朝から忙しい。 11時にアートマネジメントのインターンシップについて連絡のため登校。 お昼ごろに卒業生の福田くん(チナツじゃないよトモカだよ)が来る。卒業後の波瀾万丈(でもないけど)について事情聴取。 社交館でいっしょにご飯をべる。 それから取材が2件、写真撮影が1件。 写真なんか「ありものでいいでしょ」と言ったのだが、ダメだといって、わざわざ撮りに来たのである。 カメラマンと担当の他に、ただ私に名刺を渡すだけのために代理店やメーカーの広報担当など5人来た。 もはやそういう無意味な商慣行が許容されるような経済環境ではないと思うのだが、彼らはまだそれに気づいていないのか、気づいていないふりをしている。 取材はNTT東日の社内報とEsquire。 どちらも、どうしてこんなに日人は「学ぶ」ことが苦手になってしまったのかという話。 そういえば、同じような話を日曜日の神戸国語教育

    yukio2005
    yukio2005 2009/01/28
    学びは「有用性が未だ知れないが潜在的な有用性がかすかに感知できる力」である。この力がなければ、「子どもでもその有用性や意味のわかる知識や技能」だけを選択することになる。
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

  • 日本の外国文学研究が滅びるとき - 内田樹の研究室

    水村美苗さんの話題作『日語が亡びるとき-英語の世紀の中で』を鹿児島への機内で読了。 まことに肺腑を抉られるような慨世の書である。 『街場の教育論』で論じた日教育についての考えと通じるところもあり、また今書いている『日辺境論』の骨格である、日はユーラシア大陸の辺境という地政学的に特権的な状況ゆえに「政治的・文化的鎖国」を享受しえた(これは慶賀すべきことである)という考え方にも深いところでは通じているように思う。 とりわけ、「あらまあ」と感動したのは、「アメリカの植民地になった日」についての考察である。 明治維新のときに欧米帝国主義国家がクリミア戦争や南北戦争や普仏戦争で疲弊していなければ日は欧米の植民地になっていただろうということを言うひとは少なくないが、「植民地になって150年後の日」についてまで SF 的想像をめぐらせた人は水村さんをもって嚆矢とするのではないか。 「たと

  • 窮乏シフト - 内田樹の研究室

    ゼミの面接が始まる。 これまでに49人と面談。ひとり10分から長い人は20分くらいなので、すでに12時間くらい学生たちと話し続けている勘定になる。 ふう。 まだ20人くらい残っている。 たいへんな仕事ではあるけれど、総合文化学科の全2年生の3分の1くらいの学生たちと一対一で膝を突き合わせてその知的関心のありかを聞き取る得がたい機会である。 現代日の20歳の女性たちの喫緊の関心事は何か? 女性メディアの編集者であれば、垂涎のテーマであろう。 お教えしよう。 彼女たちが注目している問題は二点ある。 一つは「東アジア」であり、一つは「窮乏」である。 東アジアへの関心の主題として挙げられたものは「ストリートチルドレン」「麻薬」「売春」「人身売買」「児童虐待」「戦争被害」「テロリズム」「少数民族」などなど。 これらは、「法治、教育、医療、福祉、総じて人権擁護のインフラが整備されていない社会で人はど

  • 日教組の ”影響” と言論の自由について - 内田樹の研究室

    テレビ政治討論番組で「日の丸・君が代」の強制について批判的に言及した人に向かって、別のスピーカーが「あんた、日人止めなさい」と怒鳴りつけた。 不思議なロジックである。 「日の丸・君が代」が国旗国歌であるということはいわゆる「国旗国歌法」によって9年前に定められた。 国法に疑義を唱える人間に向かって「だったら日人を止めろ」ということが適法的であるとするなら、国憲に疑義を唱える人間についてはどうなるのであろう。 たしか私たちの国の政権与党はひさしく「改憲」を党是として掲げいる。 憲法は片々たる法律とは違う上位規定である。 憲法98条にはこう記してある。 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」 下位規定である法律に「疑義がある」という人に向かって「それなら日人を止めろ」と言うことができるなら、

    yukio2005
    yukio2005 2008/11/12
    「日教組が日本の教育をダメにしていた」時代に学校教育を受けた人たちだから「日教組が日本の教育をダメにしたせいで、日本の子どもは全部ダメになった」ならその論を立てている本人は致命的に知性を損なわれたはず
  • アメリカはどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    民主党のバラク・オバマ上院議員が第44代アメリカ大統領に決定した。 衰退期に入ったアメリカが ”Change the world” とあらゆる社会集団の統合を掲げた理想主義的なタイプの若い大統領を選択したことはこの国の「復元力」を証示したと言えるだろう。 しぶとい国である。 なぜ、この国が8年にわたってジョージ・W・ブッシュのような人物を大統領に戴いていたのか、私にはよく理解ができなかったが、今にして思うと「オバマが大統領になる」ためには、「直前がブッシュ」という条件が必須のものであったかも知れない。 もし、8年前の大統領選でアル・ゴアが勝っていたら(実際に票数では勝っていたんだけど)、バラク・オバマに出番はなかっただろう。(最初「4年前」と書いたけれど、新聞を読んでいるうちに思い出した。ゴアは8年前で、4年前はケリーでしたね。ケリーさん、影薄い・・・) アメリカはテキサス「根付き」のカウ

  • ア連 - 内田樹の研究室

    世界連鎖株安が止まらない。 株価が下がるのは株式の「価値」についての評価が下方修正されているということで、下方修正されるにはそれなりの「わけ」があり、「わけ」がある以上仕方がない。 これまで株価を過大評価してきたことによってたくさん「儲け」が出た。その「儲け」を今吐き出しているのである。 問題は「儲けた人間」と「吐き出している人間」がしばしば別人だということであり、それさえ気にしなければ全体としては「とんとん」なのである。 こういう調整はどのメカニズムにおいても働く。 アメリカは公的資金を投入して金融機関を救済することにした。平たく言えば、「銀行の国有化」である。ビッグ3にも公的資金を投入した。これは「自動車産業の国有化」である。 アメリカは新自由主義のもたらした社会的な歪みを補正するために今「社会主義化」されつつあるのである。 バラク・オバマが大統領になり、保険や年金制度などのセーフティ

  • 朝の読書 - 内田樹の研究室

    卒論中間発表。 今回は2人欠席で13名が20分間ずつ発表。 正午に開始して、終了したのが6時。 うう、疲れたぜい。 どれもたいへん面白い発表だった。「裁判員制度」や「女子大の存在意義」や「おひとりさま」や「消費者参加型マーケティング」については、そのつどこのブログで自説を述べたので、今回はまだ一度も言及していないトピックについて。 「朝の読書」である。 ウィキペディアの説明を貼り付けておく。 「朝の読書運動は小・中・高等学校において、読書を習慣づける目的で始業時間前に読書の時間を設ける運動。個々の学校や担任単位で 1970 年代から各地で行われてきたものであるが、1988 年の東葉高等学校の運動をきっかけに全国に広まった。とくに小学校で盛んである。 読書時間は 10 分から 15 分程度である。生徒が持参した、あるいは学級文庫の中から選んだを読む。とくに小学生を対象として、読書教材を少な

  • アメリカの選択 - 内田樹の研究室

    金融危機に歯止めをかけるはずだった金融安定化法案が下院で否決され、ニューヨーク株式市場は「史上最大の下げ幅」を記録し、アメリカ発の金融危機が世界同時株安へと連鎖しようとしている。 そうですか。 法案が否決された理由は「高給取りの金融マンを救済するためになんでワシらの税金を投入せにゃならんの」という選挙民の感情に配慮したためだそうである。 11月に下院選挙があるので、ここで民意を逆撫でするような投票行動を取ると落選する可能性がある。だから、世界株安になろうと、世界各地の金融機関がばたばたつぶれようと、「オレの選挙」の方が優先という政治家心理が働いた結果だそうである。 もちろん、市場原理主義という大義名分もある。 生き残る企業と退場する企業はマーケットが選択する。政府がこれに介入すべきではない。 なにしろ、「マーケットは間違えない」という原則に従ってこれまでやってきたのである。 なるほど。 法

  • 知識についての知識について - 内田樹の研究室

    毎日新聞の次は『新潮45』。 総合雑誌の廃刊休刊相次ぐ中で苦戦中の『新潮45』も12月号からリニューアルするそうである。 野木正英さんが編集部に参加する。 野木さんは旧友故・竹信悦夫と高橋源一郎さんと灘の同期である。 このトライアングルがどんな過激で愉快な中学高校時代を過ごしていたのかについては源ちゃんと私の対談(『ワインコイン悦楽堂』)に詳しい。 そういうご縁があるので、竹信への供養もかねて、リニューアル『新潮45』に一臂の力を仮すことにしたのである。 野木さん、編集長の宮さん、三重さん、そしていつもの足立さんが御影においでになる。 インタビューのお題は「呪いのコミュニケーション」。 話頭は転々で何を話したのかよく覚えていないのだけれど、その中で「知識がある」ということが今ほど無意味になった時代はないということを話した。 20年ほど前の学会では、学会発表のあとの質疑応答で「重箱の隅をつ

    yukio2005
    yukio2005 2008/09/25
    テクノロジーによって消滅した人間の価値は過去にもいろいろあるよ。 たとえば「力持ち」であることは、大昔は生産について重要だったけど、機械化によって社会的にはほとんど無価値になった
  • 『学び合い』フォーラム (内田樹の研究室)

    8月8日、9日は新潟に「第四回教室『学び合い』フォーラム2008」の講演に出かける。 『学び合い』というのは上越教育大学の西川純先生が提唱しているきわめて斬新な教育法である。 小中学校において劇的な効果を上げて、今全国の教室に拡がり始めている。 フォーラムはその実践者(およびこれから実践しようとしている)教員たちが日中から集まって、公開ゼミや模擬授業をするというイベントである。 と、わかったようなことを書いているが、そんなことは行くまで知らなかった。 教育現場からのお声掛かりであれば、できるかぎり講演のオッファーは受諾すると言っている手前、引き受けたものの、「この暑い中、新潟は遠いなあ」とぐったりしながらでかけたのである。 行ってびっくりした。 教師たちの集まりにはずいぶんお呼びいただいたけれど、正直言って、聴衆の熱意には天と地ほどの差がある。 ぼんやり講壇を見ているだけで、寝ている人間

  • コピーキャット社会 - 内田樹の研究室

    『こんな日でよかったね』(バジリコ)がもうすぐ発売される。 まだ書店には配架されていないが、すでに重刷が決まったそうである。 ネット「青田買い」してくださる読者のみなさんのおかげである。 自分でいうのもなんですけれど、たいへん面白いです。 ところが、読んでいるうちにすごい誤記を発見する。 261頁に「ナチスドイツの宣伝相であったゲーリングは」とあるのだが、これは誰が何と言っても「ゲッベルス」の間違いである。 ゲーリングはゲシュタポと空軍の創設者の方である。 「ゲーリング」ヴァージョンを買ってしまった方は、稀覯書を手に入れたと思ってください。三刷りからは直しておきます。 (と書いたあとにネットで調べたら、amazonで46位、bk1では全体で3位、社会で1位になっていた。もう書店に並んでいるのであろう。1位というのははじめてのことなので、これはたいへんうれしいです。お買い上げのみなさん、あ

  • 政治化するお笑い(内田樹の研究室)

    基礎ゼミの発表で「笑い」について考えた。 「笑い」についてはベルクソンの古典的著作以来無数の研究がある。 しかし、笑いの「政治性」について論じたものはあまり多くない(私は読んだことがない)。 鞍馬天狗や水戸黄門が「わははは」と笑いながら登場するのは、別におかしいことがあるからではない。 笑いには「破邪顕正」という呪術的な力があると信じられているからである。 彼らはまずその場を浄めるために笑う。 現代では、そのような笑いの呪術的効果についての信憑は希薄化しているが、それでも「人より先に、人より大きな声で笑う人間はその場を支配する力がある」ということについての社会的合意は存在する(ガハハハと馬鹿笑いして背中をどづくというようなふるまいは、あれは「私はお前の上司である」という定型的なシグナルなのである)。 人々が見落としがちなのは、この笑いのもつ「政治性」である。 私たちの時代に「お笑いタレント

  • 正しい育児 - 内田樹の研究室

    一昨日は『プレジデント・ファミリー』、昨日は『日経キッズプラス』と2日続けて育児誌の取材を受ける。 どうしてなんでしょうね。 私は育児にビジネスマインドがからむことを少しもよいことだと思っていないので、これまでもことあるごとにこのような雑誌についての批判を公言してきた。 先方には私に筆誅を加えるいわれはあっても、ご高説拝聴というようなことを言ってくる義理はない。 ともあれ、せっかく遠路お越しいただいたわけであるから、「まあ、いいからそこに座りなさい」とエディターとライターを招じ入れて長説教。 あなたがたの雑誌が推奨しているような育児戦略はその根から間違っているのであるという話をする。 両誌の編集者たちはたいへん熱心に聴いて、納得顔で帰っていった。 うーむ。 昨日の最初の話題は「子どもを階層の違う家庭の子どもと付き合わせることの可否」であった。 最初は質問の意味がよくわからなかったのだが、