ホラズム・シャー朝の支配領域 この項目では、1219年から1222年にかけて行われたモンゴル帝国によるホラズム・シャー朝の征服(モンゴルていこくによるホラズム・シャーちょうのせいふく)について記述する。 この遠征によって中央アジアには多大な被害がもたらされたとされる[1]が、その規模については諸説ある[2]。 13世紀初頭、中央ユーラシアの東方(モンゴル高原)ではテムジン(チンギス・カン)率いるモンゴル国、西方(中央アジア)ではアラーウッディーン率いるホラズム国という2大勢力が急速に勢力を拡大しつつあった[3]。更に、1211年から1215年にかけてモンゴル帝国は第一次対金戦争によって華北の大部分を制圧し[4]、ホラズムは1212年/13年までにマー・ワラー・アンナフル地方を制圧してアフガニスタンのゴール朝を併合し[5]、1217年/18年にはバグダード遠征を実施してアッバース朝のカリフに