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2022年6月10日のブックマーク (9件)

  • 建武の新政と千種忠顕、文観、阿野廉子らは本当に悪か? | 兵藤裕己 | テンミニッツTV

  • 金神21巻の感想 ゴールデンカムイ - day * day

    ゴールデンカムイ 21 (ヤングジャンプコミックス) 作者:野田 サトル発売日: 2020/03/19メディア: コミック ゴールデンカムイ 21 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) 作者:野田サトル発売日: 2020/03/19メディア: Kindle版 表紙の谷垣+チカパシは予想通り。リュウが来なかったー 21巻の表紙、そろそろ菊田、有古、宇佐美なんかの、鶴見隊来る〜? いや、命は、谷垣+チカエノ+リュウかな…— 華🐾 (@FaoMao) 2020年2月5日 にしても、アットゥシの目の描込みスゴイ…… 目次。 第201話『あばよロシア』 第202話『狙撃手の悪夢』 第203話『似顔絵』 第204話『残したいもの』 第205話『シネマトグラフ』 第206話『二人の距離』 第207話『塹壕から見えた月』 第208話『限りなく黒に近い灰色』 第209話『ケソラプ』 第210話『

    金神21巻の感想 ゴールデンカムイ - day * day
  • サルティチーハ:血塗れのシリアルキラーだった若き貴婦人

    ダリア・ニコラエヴナ・サルティコワ伯爵夫人(1730~1801年)は、自分の農奴百人以上を拷問して死に至らしめたと信じられている。しかも、犠牲者の大半は若い女性だった。 連続殺人犯というと、まず思い浮かぶのは男性だろう。しかし、世界の歴史を見渡せば、残酷な女性にも事欠かない。例えば、ハンガリーの「血の伯爵夫人」こと、バートリ・エルジェーベトを思い出すだけで十分だろう。彼女は、1585~1609年に数百人の若い女性を惨殺した。 同様の傾向を持つ貴婦人が18世紀ロシアにもいた。彼女の名はダリア・サルティコワだったが、人々は彼女の悪名高き性癖を念頭に、単に「サルティチーハ」と呼んだ。彼女は、ロシア人の「集合的意識」のなかで、いく分神話的な人物に変貌していった。 1756~1762年に彼女が少なくとも38人の農奴を殺したことが証明されている。目撃者の証言によると、計138人が殺害されたが、彼女の関

    サルティチーハ:血塗れのシリアルキラーだった若き貴婦人
  • 『ダリヤ サルトゥイコヴァ 美しき殺人者』

    ダリア・ニコラエヴナはロシア帝国の貴族女性で〝血の伯爵夫人〟こと有名なエリザベート・バートリと並ぶ大量殺人犯です。

    『ダリヤ サルトゥイコヴァ 美しき殺人者』
  • ロシア史上の嫌われ者5人

    キエフ・ルーシ(現代ロシアの源流となった中世国家)の大公たちは、善人だったか、悪人だったか?それを判断するのは難しい。何世紀も経ってから書かれた年代記からは、ほとんど分からない。しかし、キエフ・ルーシにキリスト教を導入したウラジーミル1世(聖公)の息子、スヴャトポルクは、明らかに最悪の評判の持ち主だった。何しろそのあだ名「呪われたスヴャトポルク」がそのことを物語る。 年代記によれば、スヴャトポルクは、権力を奪うために、後に列聖されることになる異母弟ボリスとグレブを殺したことで悪名高かった。彼は暫時、1015〜1019年の間に、断続的にキエフ大公の地位に就き、スラヴ世界で最も重要な都市キエフを治めた。その後、もう一人の異母弟ヤロスラフ(「賢公」と呼ばれたように評判が良かった)がスヴャトポルクを追い払った。スヴャトポルクは、落ち延びた先で病没した。 2.マリュータ・スクラートフ(1541~15

    ロシア史上の嫌われ者5人
  • スターリンの大粛清 - bqsfgameの日記

    独ソ戦の通奏低音として、スターリンの大粛清がある。 ただ、これ自体は、AHの「クレムリン」の拡張キット「レボリューション」を除いて、ゲームにならないので、どうも理解が浅くていけない。 なので、整理してみた。粛清の実行責任者は3代に渡って交代しており、基的に交代の都度、他ならぬ前任者が粛清されている。 大粛清の出発点は、スターリンの協力者だったが出世してライヴァルとなったレニングラード書記、キーロフの暗殺である。これ自体は、キーロフが不倫相手の夫に殺害された単純殺人事件として処理された。しかし、後にスターリンは、背後にレニングラードを中心とした組織的な陰謀があるとして、これを根絶するために大粛清を実施する。その時の実行責任者は、「スターリンの蝙蝠」と呼ばれたNKVD初代委員長のヤゴーダである。 しかし、ヤゴーダの取調べ(拷問とも言う)がぬるいと言う不満を持ったスターリンは、ヤゴーダを左遷し

    スターリンの大粛清 - bqsfgameの日記
  • ソビエト特権階級の子女はどうなったか

    彼らの父親は、国家を治め、ソ連を建設し、宇宙へ人を送り、人々の運命を打ち砕き、何千もの人々を銃殺刑に処した。 スターリンの右腕であり内務人民委員部(NKVD)の議長だったラヴレンチー・ベリヤには、一人息子がいた。セルゴは軍事技術者として輝かしいキャリアを築いた。 独ソ戦始まって間もない頃、20歳の若者は、NKVDの無線工学研究室で3ヶ月の速修コースを修了し、技術中尉の称号で軍に入隊した。1941年には極秘特殊作戦のためイランへ向かい、1942年には軍の北コーカサス部隊で働き、その後は特殊任務で反ヒトラー連合軍の首脳が集うテヘラン会談やヤルタ会談に望んだ。戦後、セルゴはレニングラード陸軍通信大学で学位を修めた。学位論文に取り組みながら、ソ連初の空対艦巡航ミサイル、KS-1「コメータ」を設計し、主要な兵器開発者の一人となった。自身のプロジェクトをテーマに博士候補号と博士号を取得し、プロジェクト

    ソビエト特権階級の子女はどうなったか
  • ソ連政治家紹介

    Кукурзник @kukurznik990 F.E.ジェルジンスキー。献身的かつ狂信的な「革命の剣」。ポーランド貴族出身。レーニンの忠実な右腕として政治犯の粛清を冷厳に推進した。清廉潔白で、任務に私情を挟んだことはないが、人並みの罪悪感を持ち合わせていたがゆえに苦しむこととなる。 http://t.co/o3wvajFn 2012-06-21 22:04:58

    ソ連政治家紹介
  • (2)レーニンの出自~貴族階級で裕福な家庭環境と人生を変えた兄の処刑とは

    『レーニン 権力と愛』を読む⑵ 引き続きヴィクター・セベスチェン著『レーニン 権力と愛』の中から印象に残った箇所を紹介していきます。 レーニンの出自ー彼の父親と裕福な家庭環境 一九五〇年代に出版された、ソ連における最後の公式のレーニン伝は、父親イリヤ・ニコラエヴイッチ・ウリヤーノフのことを「アストラハンの貧しい中流の下の階層」の出身だと書いている。ここでは、明かされている事柄より隠されていることの方が多い。レーニンの父方の祖母、アンナ・アレクセーヴナ・スミルノフは中央アジアに起源を持つカルムイク人の、読み書きのできない女性であり、その顔つきにも人種的な起源がはっきり現れていた。レーニンの風貌の描写はほとんどが、その「モンゴル人のような眼」と高い頬骨に触れているが、ソ連は彼の祖父母に関する情報を組織的に隠蔽した。それでは、ボリシェヴイズム創始者のイメージにそぐわなかったということだろう。創始

    (2)レーニンの出自~貴族階級で裕福な家庭環境と人生を変えた兄の処刑とは