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  • 昭和26年の物価が知りたい。「手術費用が5400円」という記事があり、どのくらいの負担だったのかを知... | レファレンス協同データベース

    昭和26年の物価が知りたい。 「手術費用が5400円」という記事があり、どのくらいの負担だったのかを知りたい。 米や卵では価格の差が大きくて比較がしにくいので、ちょうどよく比べられるものがあれば教えて欲しい。 回答したのは以下の数値。 回答資料1より 1952年(昭和27年)大卒男性事務系初任給 \10,166 1951年(昭和26年)小学校教員初任給 \5,500(回答資料2によれば\5,050) 回答資料1、2より 1952年(昭和27年)国立大学授業料年額 \6,000 その上で、当時は戦後まもなく、価格の変動が激しいことや、モノの価値が現代とは異なることを挙げ、単純に「現在とは○倍違う」とは換算できないことを伝えた。 【例示】 1951年 東京ー札幌間航空旅客運賃 \10,200 1951年 東京ー大阪間航空旅客運賃 \6,000 1950年 国立大学授業料年額 \1,200 以上

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  • 酒井忠次の得意芸「えびすくい」についての資料を紹介してほしい。「えびすくい」の歴史、どういう風に始ま... | レファレンス協同データベース

    酒井忠次の得意芸「えびすくい」についての資料を紹介してほしい。「えびすくい」の歴史、どういう風に始まったものなのか、いつ頃、目的、どんな時に踊っていたのかなどを知りたい。 【資料1】天正14年(1586)、家康が北条氏政を訪ねたときの酒宴で「忠次が海老すくいを踊った」との逸話があると記載あり。 【資料2】【資料1】と同様の内容で、どじょうすくいを彷彿とさせる珍妙な御座敷芸とのこと。また、新潟県に「綾子舞」の狂言のひとつとして「海老すくい」が伝わっているとの紹介あり。 【資料3】天正3年(1575)、三方ヶ原の一戦に敗れ、また甲州軍が来襲し元気を失くしている諸将を前に、家康は酒井忠次に海老すくいの踊りを命令した。滑稽な踊りで、家康は家臣たちを陰から陽へ転換させたと記載あり。 【資料4】天正3年長篠決戦前夜、忠次の報告に喜んだ信長が酒宴でエビ踊りを命じ、大いに気をよくしたと記載あり。 【資料5

    酒井忠次の得意芸「えびすくい」についての資料を紹介してほしい。「えびすくい」の歴史、どういう風に始ま... | レファレンス協同データベース
  • 「1923年の関東大震災の直後、南行徳村にあった汽船の発着所(江戸川沿い、深川区高橋へ向かう)で、自... | レファレンス協同データベース

    「1923年の関東大震災の直後、南行徳村にあった汽船の発着所(江戸川沿い、深川区高橋へ向かう)で、自警団によって日人三人が殺害されています。この発着所のあった場所を教えて下さい。」との質問を受けております。 当館の資料では、9月4日の夜、川崎で罹災し南行徳村に辿り着いた連合紙器株式会社の従業員3人が源心寺境内で虐殺される事件が起こり、後に源心寺境内に供養塔が建てられた旨の資料は見つかりましたが、それ以上の詳細な内容の資料は見つかりませんでした。 国会図書館に『関東大震災・虐殺事件 : 「秋田・三重・沖縄三県人虐殺」〈検見川事件〉の真相 : 附〈埼玉県事件〉〈千葉県南行徳村事件〉 』(東京館:図書カウンター書庫1201601431307)という資料はあるようです。この資料に、殺害場所や汽船の発着所に関わる記載がありますでしょうか。 ご照会の次の資料の「千葉県南行徳村事件」の箇所を確認

    「1923年の関東大震災の直後、南行徳村にあった汽船の発着所(江戸川沿い、深川区高橋へ向かう)で、自... | レファレンス協同データベース
    amanoiwato
    amanoiwato 2023/06/17
    “9月4日の夜、川崎で罹災し南行徳村に辿り着いた連合紙器株式会社の従業員3人が源心寺境内で虐殺される事件”
  • 室町幕府二代将軍の足利義詮の名前の読み方について、「よしあきら」と「よしのぶ」という二つの読み方があ... | レファレンス協同データベース

    室町幕府二代将軍の足利義詮の名前の読み方について、「よしあきら」と「よしのぶ」という二つの読み方があるようだが、その根拠が分かる資料はないか。 以下の資料を確認しましたが、名前の読みの根拠となる史料等についての記述は確認できませんでした。 1.「よしあきら」と振り仮名のあった資料 ・『歴史人名よみかた辞典』日外アソシエ-ツ株式会社/編 紀伊国屋書店,日外アソシエ-ツ 1989.12 p.548 ・『国史大辞典 第1巻 あ-い』国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1979.3 pp.171-172 ・『室町時代人物事典』水野 大樹/著 新紀元社 2014.5 pp.37-38 ・『足利将軍事典』木下 昌規,久水 俊和/編 戎光祥出版 2022.2 pp.14-17 なお、凡例に「歴史上の用語、とりわけ人名の読み方については、定まっていないこと場合も多く、ルビで示した読み方が確定的なものとい

    室町幕府二代将軍の足利義詮の名前の読み方について、「よしあきら」と「よしのぶ」という二つの読み方があ... | レファレンス協同データベース
  • 「てふ」と書いてなぜ「ちょう」と読むのか知りたい。 | レファレンス協同データベース

    調査した結果、もともと「てふ」は「ちょう」とは読まなかったことが判明した。 調査した資料に書かれていたことをまとめると次の通り。 ・昆虫の蝶は、昔は和語の「カハヒラコ」と呼称されていたが、平安時代、外来語の呼称「tiep」に取って代わられた。 この発音「tiep」をそのまま文字に書き写したものが「てふ」だった。 ・この発音「tiep」は、時代を下るにつれて変化していく。 具体的には、平安中期以降から鎌倉時代にかけて「てう」に変化し、 江戸時代までには「ちょお」と発音するようになった。 ・ところが「てふ」という表記だけは変わらずに「てふ」のまま残り続けた。 このずれのために、「てふ」と書いて「ちょう」と読むようになった。 〇調査した資料 ・『国語科図説:図説全集』(石井 庄司/編著 岩崎書店 1960) p.238-239「歴史的かなづかいは、われわれ現代人の発音を写し書くには、まことに不便

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